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灰になろう

朝起きたら、ママに、学校を休むよう言われた。
お葬式に行くのだという。

「誰のお葬式?」

そう聞いたら、ママが面倒そうに答えたが、テレビの音に紛れて聞き取れなかった。朝はいつもいらいらしているので、聞き返さなかった。どうせあたしの知らない人だろうし、誰の葬式であろうが、どうでもよかった。それよりも、どうしても学校を休みたくなかった。

同じクラスの良太くんに、本を持って行くと約束したのだ。昨日、教室で読んでいたら貸せと言われたのだ。すごく面白い本で、毎日繰り返し読んでいるので貸したくなかったが、断れなかった。良太くんは、すごく自分勝手でその上乱暴だった。女の子でも平気で暴力をふるう。殴られて鼻血を出した子もいる。

あと十ページほどで終わりだったので、最後まで読んでしまいたかった。こわごわ「明日でもいい?」と聞いてみると、良太くんは一瞬、鼻の穴をふくらませて顔を赤くしたので、殴られる、と思って目を閉じたら、「明日、絶対持ってこいよ」と言い残して運動場に行った。ほっとした。忘れると大変なことになるので、家に帰って読み終えた本をすぐにランドセルに入れた。

だから、絶対、今日は学校に行かなければならないのだった。

「お葬式、どうしても、あたしも行かなきゃだめ?」
「当たり前でしょ、何言ってんの」

ママは、そう怒鳴って、あたしに黒いワンピースを放り投げた。だいぶん前におじいちゃんの葬式に着ていったやつだ。着てみると、もう小さくて、ぱつぱつで窮屈でたまらない。

「ママ」

ママは、聞こえないふりをして、お化粧をしている。もう一度呼んだら、「何よ、早くしなさい」と振り向いたその顔が昨日の良太君みたいに真っ赤だった。あたしは、怖くなって、黙っていた。お葬式に向かうタクシーの中で、あたしは、良太くんのことで頭がいっぱいだった。

明日、学校で本を渡せば、良太くんはきっと怒るだろう。
良太くんは、昨日、「明日絶対持ってこい」と言ったからだ。
今の時点の明日は、昨日から言えば「あさって」で「明日」ではないから、あたしは約束を破ることになる。

お葬式の最中、あたしは、このまま走って逃げようかと何度も思った。
けれども、そうすれば、ママがすごく怒るだろう。
でもそうしなければ、明日、良太くんに殴られることになるのだ。

あたしは、殴られたり怒られたりすること自体はそんなに怖くない。
殴られたり怒られたりすると、自分の存在が否定された気がして、それがつらくてたまらないのだ。
お前なんか、この世にいなくてもいい、そう言われているような気がするのだ。

必死に考えて、お坊さんのお経が終わる頃、あたしはいいことを思いついた。
皆が立ち上がって、棺の前に並んで、順番に花を入れていた。
あたしは一番最後に並んで、皆の目を盗んで、そっと棺の中にもぐりこみ、花の下の隠れた。いい匂いがした。

自分なんていない方がいい、そう言われるのはつらい。
そう言われる前に、存在自体を消してしまえばいいのだ。
焼かれて灰になってしまえば、誰か知らない死んだ人と混ざり合って、どれがあたしかもうわからなくなるはずだから。

(了)

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