なにひとつぶち壊せずに四十年……
前に『崖にて』の文章を書いたのだが、そこに書けなかった大好きな歌があったのだった。
お好み焼きは協力プレー。お好み焼きのことを思う時、そこにはいつも友達がいる。部活帰りに一緒だった友達とお好み焼き屋さんに行った。ホットプレートを使って焼いた。家ではそんなに作らないから、みんなひっくり返すのが上手くない。ちょっとした緊張と意外とうまくひっくり返せた時の喜びは、年をとるごとにぼんやりしていく友達の顔と一緒に、お好み焼きの上で光を放っている。
北山あさひの作品には、ごはんがたくさん使われる。2023年秋に出た第二歌集『ヒューマン・ライツ』でもごはんがどんどん出る。
北山あさひはユーモアの人である。焼き芋が頭のなかで再現映像として流れてくるのは、短歌の湿気を裏切る北山の技術だ。この歌集ではユーモアの意識が前作よりも濃い。想像が部屋すみずみを塗り替えてじゃじゃ〜んと陽が昇るような、そんな北山あさひの短歌が大好きだ。
ところで、いろいろなことが悪くなっている。例えば、この三年ほどを振り返ると、政治が、暮らしが、世界が、悪化している。日本に生きている人間の生活にとって、それはバイアスの範疇を超えた確固たる事実。どうでしょうか。
北山の歌集に、絶望とそれに抗する意識は色濃い。<なにひとつぶち壊せずに四十年…… ホットココアの奈落>は重い。私はいま25歳、北山あさひは40歳。この十五年分が鉛のような短歌を産み落としている。
わたしたちは空爆を止められず、失敗をつづける政治や、ぶつかりおじさんを憎みながら、風に消えるような小さな声を上げ続けるしかないのだった。正直に言えば怒るにも限度があって、ひとつひとつを受け止めて真剣になれば、かんたんに生活が立ち行かなくなる。心の動きを鈍くしながら、生活を繰り返すしか手立てがなく(ないように思えるし)、それをしないと自分が死ぬ。
そういった圧迫のなかで山盛りのごはんが輝く、この意味を考えている。
▼ 北山あさひ『崖にて』を読んで
読んでくださってありがとうございます! 短歌読んでみてください