第37回:砂子塾長の熱血ドラテク持論
ブランパンGTワールドチャレンジアジア2019の最終戦、上海ラウンドでの木下隆之vs砂子塾長シリーズチャンピオン決定戦を終え『戦える男』のつくり方を提唱
戦える53歳はこうしてつくられた
我がBMW Team Studieのアジア挑戦の2年が有終の美で終了した。いつにも増して高い緊張感で迎えた上海ラウンド。#81木下(隆之)アニキ、#82塾長の戦いは、レース1が#822位、#813位。レース2は#82優勝、#814位という結果に。
レース終盤、2位走行の俺、ミラー越しにタイヤドロップに悩まされながら後退していくアニキ。後ろには4番手を走るAMGが迫っている。理想は俺3位、アニキ2位フィニッシュであれば、同ポイントのふたり揃ってのチャンピオン。無線でチームに確認する。
「これどうにもならないよね?」
「はい。仕方がありません、砂子さんは目の前のAMGを確実に仕留めてください。有終の美を飾りましょう」
上海ラウンドはさらなるBOPの締めつけがあった。85㎏のウエイトにノーマルのM4以下のローブースト。ここ上海は長いGフォースが掛かるコーナーが多く、もはや臨界点を超えたM4GT4の重量はわずか数ラップでタイヤのグリップをダウンさせる。それでもレース1からさらにキャンバーをマイナスにつけた効果で、トップのAMGを終盤に捉える。
ファイナルラップ。いま一度、無線交信をする。
「本当にどうにもならないよね?」
「はい。勝ちましょう」
トップでチェッカーを受けた。こんなに寂しい優勝は初めてだ。無線でチーム監督BOB(スタディ鈴木康昭代表)はいった。
「チャンピオンおめでとう!」
「悲しいよ……BOB……」
「ファンがこのバトルを喜んでくれてるよ!」とBOB。
表彰台の下にはチーム関係者、多くのファン、そしてスッキリした笑顔の木下アニキとBOB監督の姿。最高のチーム。最高のパートナー、そして、最強のライバル。最高の2年を過ごさせてもらった。
10年ぶりの電撃復帰。引退して夢だった西表島での生活を終えて、東京に戻ってきたら、レーシングシミュレーターの仕事を任された。
これは凄い! 仕事に没頭した。走って、走って、走りまくった。TVCで教えたドライバーはすでに1万人超え。もはやドライビングドクターとなっていた。どうすれば速くなる?
答えは簡単。基本をマスターせずに先はない。基本の徹底こそが近道。
自身でいえば、もうひとつの大きな要因はフィジカルだ。サーフィンは完全に生活の一部。毎日、波情報をチェックし、仕事前の早朝に波乗りも珍しくない。その波乗りのために毎日30~ 45分のジョギングも欠かさない。
引退後のライフスタイルが、いつでも戦える男、いつでも戻ることができる男をつくっていたと思う。
43歳から53歳の10年は、放っておけば『ポンコツ・クラッシックカー』にもなり得てしまう年齢。フィジカル=感覚器官でもある。センサーを鈍らせない。体幹を鍛えるのは、どのスポーツでも常識。その感覚器官を衰えさせない状態で、つねにタイヤを感じること。それはシミュレーターで毎日でもできる作業だ。結局のところ、どれだけ正確に感じ取れているか?である。
ブレーキング、ブレーキリリース、ステア。ここまでの作業を、できるだけ脳を使わないようにしたい。いわば「歩くように」歩いているときに脳はさほど使わない。動作に脳を使っているうちはダメ。そこまで基礎的な動作を叩き込むのだ。
その空いている脳のスペースに、いま感じ取ったタイヤの状態が続々とインプットされていく。いたって本人は鍛錬などという感覚ではない。ライフスタイルなのだから……。
さ、いまからでも遅くはない。始めよう! サーフィン、筋トレ、シミュレーター……。1年であなたの肉体は
変化し、増えた筋肉量が男性ホルモンのテストステロンを増量させる。『戦える男』の必要不可欠ホルモン。
ついでに週イチの東京バーチャルサーキット。もう説明の必要はないよね。必ず結果につながる!
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