結婚しない幸せ、だってあるんじゃない?
新卒として社会で働きはじめてから半年がたった。
わたしは大学を卒業してから社会に出たが故に、専門学校や高校を出てすぐ働き始めた友達より少し遅い社会人デビューとなった。
そう、ようやく働き始めたことによって、女子会で何を話してもどことなく漂う「学生は時間があって良いよね」の空気感をようやく打破することができた。
ところが、記念すべき社会人第1回目の女子会のテーマは完全に「結婚・出産」に議題が移っていた。
え〜わたしにも仕事の話をさせてくれよォ〜〜と思いながらもレモンサワーのグラスの水滴をじっと見つめていると、ああでももうそんな歳になったんだなあとじわじわと迫りくる“何か”へのリミットを感じさせられた。その正体は、数日たった今でもはっきりとはわからない。
子供を産むことができる年齢には、確かにリミットがある。そこを鑑みての結婚、を逆算するなら。
女性はこの手の話がとにかく好きだ。メンバーの中に保育士になった友人が混ざっていたこともあって、子どもにはこういう生活をさせてあげたいからウンタラカンタラみたいな話も出ていた気がする。
先に言っておくが、わたしは子供が嫌いなわけではないし、愛し合う二人が結ばれることに否定的なわけでは決してない。ただ、suuは子どもいつ欲しいの?いつまでに結婚したい?と聞かれたときに、【結婚をして子どもを授かることを皆が望んでいる】と思っている人が一定数いることに疑問を抱いた。
実際、共働きの家庭が増えたとは言え、完全な主夫とバリキャリの妻の組み合わせって現実世界にはまだ少ないんじゃないかな。
結婚して女の子は家庭に、は古い古いと言いながら、あんまりTHE仕事!って感じのお母さんはわたしの周りにはいなかった。反対に、結婚して家庭に入ってお母さんもゆるく働く、ぐらいの配分の家族バランスを見かけることが多かったかな。
わたしは自由が欲しい。とっても。恋人との時間はすごく好きだ。子ども可愛いと思う。でも子どもを産む以上はお金がかかることは明確だし、誰かと家庭を築くってきっとものすごく大変なことだと思う。そしてそれ以上に、独り身であれば金銭的にも時間的にも手に入れることができた、世の中にある美しいものや美味しい食べ物、綺麗なお洋服や文化的な生活を、果たしてわたしは諦め切れるのだろうか。
結局自分が大好きなだけじゃんか。
子どもを望んだけれど、子に恵まれなかった叔母夫婦は、年に一度、二人で一ヶ月間のの海外旅行をする。それはそれは豪勢な旅で、お土産話を聞くだけでワクワクしてしまうような、すてきな時間。叔母に子どもができなかったことで、叔母が変わらなかった部分、に安心した自分は最低だと思ったけれど、ガツガツと仕事をこなして、自分の力で自分をとことん甘やかす、野性的で鮮やかな叔母が好きだった。
反対に、わたしの母は若くして歳の離れた父と結婚した。顔が可愛かった母(残念ながらここは遺伝してくれなかった)は某大手会社の受付嬢をしながら、合コンで出会った父と結婚し、わずか2年で寿退社をした。母が父と出会ってくれなかったら今わたしもここにはいないので到底文句は言えない。わたしだったらどうするのだろうとここ数年考えていた矢先、ついにわたしは、母が父と結婚した年齢になった。
きっと母になる喜び、生命を育んでいく感動って、山の頂に辿りついた人だけが見ることのできる景色のようなものなんだと思う。ため息の出るほど美しい朝焼けを見たくて、山に登りたいと思うことは自然なことだし、山登りの道は険しく、ときには大怪我をしてしまうようなリスクもゴロゴロと転がっている。
だから、世の中のお父さん、お母さん、愛する人と将来を誓った皆さんはほんとうに、素直にすごいと思う。覚悟がないと、誰かと生きることを選択できないもの。
でも、山に登らず、海で瓶ビール片手にひとり夕暮れを待つ幸せも、同じくらい尊い時間なのではないか。
何が幸せかは自分で決めたらいい。ただ、結婚しない道も、母にならない道も、わたしはきっと、分かれ道の先と同じくらい楽しい未来だと思うんだ。
女の子って大変。
2020.9.2
suu
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