沈む街と暮れる年と。
クリスマスから年越しまでのこの1週間未満の何日かが、1年のなかで最も好きな時間かもしれない。
多くの人は地元に帰るか、そうでなくてもこの寒さのなか出歩こうとする人影もなく、夜にコンビニの灯りを目指してふらふらと缶の酒でも買いにと外に踏み出すと、自分しかこの街にいないような気持ちになることがある。アスファルトは昼間の気怠い喧騒を完全に吸ってしまって、純度の高すぎる静けさの中で建物は死んだように眠る。頬を撫でる風はその冷たさから痛みすら運んでくるものの、不思議と重くなった体には心地よい。
年を追うごとに視野が狭くなっていく、ような気がしている。たくさんの世界を知って、出会う人は増えていくはずなのに。否、だからこそ、かもしれない。狭く狭く、閉じこもることでしか自分のことを守ることができない。
学生の頃はよかった、なんて後ろ向きな発言はしたくないけれど、学生の頃は発言に現実がついてこないからよかったんだと思う。「ああしたい」「こうしたい」があっても、みんなまだ一律に力がなかったから、叶えることができなかった世界。だからこそ、自由に本当の願いをいつでも口にできた。でも、大人になって今は違う。「ああしたい」を叶えた人、叶える途中の人、あきらめた人、別の目標にすげ替えた人。叶わないことへの恐れやプライドが夢の邪魔をする。
学校を出て数年が経ち、出会う人も環境も変わり、わたしはもしかすると少しずつ【今まで】と歯車が合わなくなっているのかもしれない。
人の成功や幸せを手放しで喜べなくなったのは、いつからだろう。自己嫌悪の回数ばかりが増えて、今年もまた、年が暮れていく。生きづらい、と思う理由を並べるのは簡単でも、生きづらさを抱えている人として守られたい欲求が足元に蠢いているような気がするから直視できない。今年ももう終わる。来年がまだ続く。あの窓のカーテンの隙間から見えるあたたかな橙色は、誰のものだろうか。
2021.12.28
すなくじら
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