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自分を守るには早くないか?~Boowyの歌詞にみる仕事論① ON MY BEAT編~
大人になって仕事をしていくなかで、 Boowyの歌に共感する部分があろうとは思いもしなかった。
なぜなら、「仕事=大人≠Boowy」という式が(勝手に)頭に植え付けられていたから。
それが意外や意外、仕事や仕事で関わる人や組織に対しての憤り感は、そのまんまBoowyのあらゆる歌に歌われていたことに気が付いた。
その一つ、「ON MY BEAT」の最後の一節、
自分を守るのは 何かを残したあとだぜ
形にこだわっちゃ古びたものしか見えない
やたらと計算するのは棺桶に近くなってからでも
十分できるぜ Life is on my beat
(作詞 氷室狂介)
例えば会社を継ぐときや起業するとき、何か新しいプロジェクトを起こすときというのは、自分を守ろうとする精神ではやれない。
計算はそりゃ必要だけど、計算ありきではない勢いの方がはるかに必要になる。
多分、そんな勢いも情熱も何もない、本当はやりたくないけど格好つけたかったり、やると美味おいしいかも(この時点ですでに計算ありき)などと思っていると、中身がないもんだから形にばっかりこだわる。
そして自分を守ることには長けているので、計算が働く。その先を読む計算高さには頭が下がるが、肝心の「なぜそれを自分がやるのか?」という問いの答えが用意されていない。
そんな人は誰も応援したいと思わないものだが、守られている枠からはみ出ることをしないので(要するにその点では形にはこだわるので)、傷つかないように自分を守ることができ、大きな失敗はしないで済むのだ。
「ON MY BEAT」は、ボウイの初期の頃の歌だ。ボウイ時代のなかでもまだ若いときに書かれた歌なのだが、あれから何十年経って、違う世界にいる自分があの頃と同じ熱い想いを胸に抱えていることが嬉しい。
でもこの歌を知った頃は、本当の意味でこの歌詞を理解していなかったと思う。
自分は安住の地にいて古いシステムに守られながら、何かを批判して何かを成し遂げたつもりになっている者だらけの世の中に、ボウイの歌はずっと前からメスを切り込んでいたのだ。
そんなことに気づかないまま大人になったが、いつの間にか彼らのリズムとビートをずっと頭の片隅に刻み続けてきたのかもしれない。
この歌は、いつまでも自分がチャレンジし続け、傷つくことを恐れないでいられるかどうかのバロメーターになっている気がするのだ。