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BOOWYの歌詞にみる仕事論 ~序章「 16」 編~
中学生の頃に狂ったように聴いたBoowy。氷室京介さんの声と、それまで耳にしたことがなかった、荒削りで剥き出しな詩に衝撃を受けたあの頃。
ボウイが解散して、氷室さんがソロになってからは、ファーストアルバムを買ったっきりになっていたのだが、最近出たおそらく最後のアルバムを久々に購入。
ボウイ時代の曲もあり、車で懐かしく、だけどあの頃聴いたように、今も衝撃を感じながら聴いている。
なぜ彼らの詩に今も心揺さぶられるのだろう。
それは多分自分のなかにある、ハングリーさだったり、怒りだったり、やるせなさが共鳴するからだと思う。
仕事をしていて時々生まれる怒り。それは、ボウイが歌っていた、体制への反発心と重なる。
今回のアルバムに収録されていた「16」。
(大好きな曲なので、収録されていたことが嬉しい!)
そうさこのまま何もできないで年をとってゆくのはゴメンさ
心がすりきれてゆく前に
GoodBye Far a way no train
midnightの列車はno return
あさってへ心走らせて
(作詞 氷室京介)
このまま終わってたまるかという怒り。『後で見てろよお前ら』という心に押し戻された怒りのマグマが刺激され、発憤するのかもしれないと思ったこのごろ。
いや、もしかしたらこの怒りは、無力な自分自身への怒りでもあるのかもしれない。