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生まれ育った港町が映画の舞台になった! 「羊の木」へのオマージュ

錦戸亮君が主演、吉田大八監督がメガホンをとった「羊の木」を観た。
いつも映画を観るときは決まってお一人さまなのだが、今回はターミネーター2以来、26年ぶりに家族と、母と一緒に映画をみた。

なぜなら、この映画の舞台となったさびれた港町は、私が生まれ育った町だから。
そこには今も母が住み、しかもチラッと(腰から下半身)、映画に登場しているのを確かめに。

撮影風景を見ていた母は、錦戸亮君がそれまで誰かを知らなかった。最初は名前が言えず、「にしきのあきら?」と言っていたくらいで、「瘦せたかわいらしい子」という印象しかなかったらしい。

その彼の演技、この映画では見事だった。
自然体で、見慣れたふるさとが舞台となっているせいか、ほんとにこの人が、この町にいるかのように感じられた。

錦戸君だけでなく、他の出演者も同じだ。
松田龍平も、田中泯も、北村一輝でさえも(彼がほんとにこの町に来たら、すごく目立つはず)。

この映画の主要場面に、奇祭「のろろ祭り」が出てくる。
じっさいに私の港町にあるのは、ユネスコ無形文化遺産に登録された「たてもん祭り」だけで、この祭りも、「のろろ様」も創作だが、この祭りがまたリアリティーがあって良かった。

「のろろ」と目を合わせてはいけないという言い伝えを守るため、住民はみな家に入り、無人となった夜の商店街を練り歩く、のろろと白装束を着た者たち。
あの商店街の夜の風景は、いつも映画のように無人に近い感じなのだが、あの静けさこそ、この映画の要であり、登場人物と物語を引き立てていたように思う。

ストーリーは、元受刑者たちを社会復帰させる町の第一号として、国の初めての試みという枠組みで進む。
それぞれの人間が歩んできた別々のドラマを受け入れてくれるのが、この映画で描かれているさびれた港町の姿だ。
彼らの誰もが、この町の、深く静かで、時に荒立つ海のようでもあった。

これからの時代は、どんな小さな町でも、ある種の多様性を包んでいく力が必要になるだろう。
この映画のおかげかもしれないが、もともとこの町には、見ず知らずの誰かを優しく受け入れる、広い海のような懐を持つポテンシャルを感じたのは、映画がデキ過ぎていたからだろうか。

※たまに、こうして映画の感想書いています。


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