『グッバイ、ドン・グリーズ!』感想 地元よりは遠い場所での話
【ネタバレを含みます】
道中の魅力が少ないロードムービー
青春ロードムービーに、大層な目的はいらない。打ち上げ花火が丸いのか平らなのか確認しに行くでもいいし、遺体を探しに行くでもいい。重要なのは課程での成長や恋模様であり、濡れ衣の汚名返上でも、ドローン探しでも、旅の目的自体は副次的なものだ。
積もるところ、『ドングリーズ』は課程の部分に魅力がない。他のレビューを見ても脚本上の粗がいくつも挙がっているし、100万回は見たようなテンプレートな展開に終始している。
なかでも、ドローン探しの道中でドロップが自身の死を臭わせ、感動の押し売り展開が見えたときは辟易した(冒頭から「そういう話」だとわかるので、すでに一抹の不安を覚えてはいたが)。
いっそのこと「僕の余命はわずか。最後に思い出を作りたい」と始まったほうが、全体的に味が出たのではないだろうか。
また、ポエムのような説明じみた台詞も全く響かなかった。これは率直に、脚本が稚拙なせいだろう。思想・信条はここぞというときにだけ語り、そのほかの表現で感じさせてこそ響くのではないだろうか(最近では『ルパン3世』の押井守脚本回「ダーウィンの鳥」がすごい。余白・間の使い方に思わず唸る)。台詞が響かないのは、舞台設定に緊張感がないことも大きいと思うが、詳しくは下の項で触れる。
このあたりの問題が気にならないなら、わりと高評価で観れる作品だろう。
「地元よりは遠い場所」で
『よりもい』は南極という、過酷かつ日本人のアイデンティティに根強く絡む場所を目指したことで、ストーリーに深みが出た。
一方で『ドングリーズ』の大半は、地元よりは遠い場所が舞台となる。スマホの電波も届く裏山のような場所でなにを語っても、コンビニの前で雑談してるのと大差ない。
なにより、事前の宣伝からアイスランドが舞台のように臭わせてきた分、肩すかし感がひどい。『大怪獣のあとしまつ』的な詐欺だ。アイスランドの大自然の中で「道は作らなきゃ~」と語るのと、関東近郊の国道(酷道?)沿いで語るのとでは重みが違う。『よりもい』が「場所」の魔力を活用した大傑作だっただけに、余計に落胆が大きい。
「とりあえず女子高生に何かやらせる」というアニメ・マンガのテンプレートに「南極」を当てはめたのは、誰もが思いつきそうで辿り着けなかったアハ体験のようなテーマだ。
日本人にとって南極が特別な場所であることは、現在でも『南極物語(キムタク版)』などを通じて受け継がれている。だからこそ『よりもい』は、幅広い年代から支持を集める名作になったのだろう。
その点、『ドングリーズ』は地の利がない。イントロダクションでも推されている「炎と氷の国・アイスランド」を期待してみれば、ダイジェスト的に描かれるだけ。別にマグマの上で「地の利を得たぞ!」とライトセーバーを振り回してほしいわけじゃない。雄大かつ過酷なアイスランドを彷徨う、少年たちのロードムービーを期待しただけなのだ。炎って結局、日本の山火事かよ!
現実で起こり得る奇跡を描く作風も……
ラストの間違い電話と電話ボックスの伏線回収は、素直にしびれた。だがしばらくすると、「このネタを思いついて、膨らませただけの作品なんだろうな」とすぐに冷めてしまった。
よくお笑いのネタはオチから逆算したり、言いたいフレーズから膨らませたりするそうだが、『ドングリーズ』もオチありきで作ったのではないかと邪推してしまった。
オチがどれだけ秀逸でも、そこに至るまでが稚拙では冷めてしまう。
いしづか監督は、基本的に魔法や超常現象を介在させず、現実で起こり得る奇跡を描く作風なのだろう。実際『よりもい』12話の未読メールの演出は、日本アニメ史に刻み込まれたすばらしいシーンだったと思う。
『ドングリーズ』も「天文学的な数字(作中でこの言葉を出したのは伏線と思いたい)」だが、確率的には起こり得る奇跡だ。しかし、作中で腑に落ちない点が多すぎるがゆえに素直に受け取れず、「はい、ここで泣いて!」と押しつけられた感が否めない。
結局のところ、「『よりもい』チーム最新作」と謳っているくせに、脚本家の花田十輝氏を外したことが最大の敗因になったと思う。そう、チーム(友達)は大切にしなければいけない。
初日から観に行くくらいには期待していたので(席がガラガラだったのが決め手だが)、ちょっと辛口になってしまった。
しかし、レビュー記事はいつまでたっても上手くならない。