人の痛みを汲む人は
共通するのは、思慮深く、優しいのである。
20代の時の話。仕事にただがむしゃらに向かっていた。何とか表面取り繕えていれば良しとする精神で当然心は荒んでしまい虚無感の中にあった。人生かけて何を探す、どうしていくのか、全部わからない、そもそも私は存在して良いのかと、我が身の在り方すら捨てかねない頃の話だ。
時にその人はロイヤルホストのパフェが美味しいからと、深夜の帰路に元彼が同乗した車を走らせ、何故か奢ってくれと堂々とせがんで、あまつさえ私にもパフェを勧めてきたのだ。
この意味のあるようでないようなファミレスナイトの時間は日中の感覚より、こくり、こくりとゆっくりな時間の密度に変わった。
話すことなど特に決まってなかった。
身にはならない日常のくだらない話をぽつりぽつりとする。彼は細長いグラスに苺の断面が見えるよう、グラス面に沿って美しく陳列された期間限定の苺のパフェを選んだ。私はマンゴーのパフェにした。
夜が深まっていく。こく、こくりと。
パフェがゆるく溶けていくのと、ゆっくりと深夜へ向かう瞬間、車の走る音。
夜が深くなっていく時間を買っているようで、垂れてきてしまう贅沢を長い匙で掬って口にぬぐって味わいしていたのだった。
あとは本当に大切な事を一言、二言と語り未来の事に想いを馳せる。少し希望を抱く。そして再びサラっと帰路に向かうのだった。
一つの恋が終わる頃
彼はそうして終わりを嗅ぎ取って
仲の良かった私たちが離れ離れになってしまうことを知っていたのだろう、
私が彼氏と別れるであろう殆ど最後に、私と彼とをファミレスへ連れて行ってくれた。
3人で過ごした最後の時間。
パフェの味はもう覚えていないし
奢ったかどうかも忘れてしまった。
夜の深さと、群青が深く行き交う車道が糸の連なりのように照らすのを窓越しの額縁で眺めていた贅沢な時間だけ。ハッキリと。
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