ずっと旅をしていく
「銀河鉄道の夜」との一番最初の出会いは
小学生の頃に観た
青い色の猫が主人公のアニメでした。
次は高校生の頃に観た演劇の舞台。
少し前では「幕が上がる」という高校演劇を舞台にした
ももいろクローバーZ主演の劇中劇。
二次創作されたものと先に出会っていました。
そして「銀河鉄道の夜」という物語がとても苦手でした。
宮沢賢治の「注文の多い料理店」は大好きなのに
「銀河鉄道の夜」は苦手でした。
原作をちゃんと読んでないのに
なんでこんなにも苦手なんだろう?
と思って『キナリ読書フェス』の課題図書の中から
「銀河鉄道の夜」を読み始めました。
が、全然先に進めません。
「銀河鉄道の夜」の最初は先生が
授業をしているシーンなのですが
「幕が上がる」でその先生役を演じているのが
あーりんなので脳内であーりんがお芝居を始めるのでした。
そんな風に違うことを考えてしまってちっとも物語に入れません。
なのでいったん「銀河鉄道の夜」の本を閉じて
別の課題図書「世界は贈与でできている」を読むことにしました。
この本を手に取ったのは
課題図書の中でこの本だけ異質だなと思っていたからです。
他の本は物語(柔らかい感じ)なのに
「世界は贈与でできている」は哲学書(堅い感じ)で
なぜこの本が課題図書なのか気になっていたのと、
岸田奈美さんが書いたnoteを読んで読みたいと思ったからです。
ここで感想を書くと「世界は贈与でできている」の
感想文になってしまうので詳しくは書きませんが、
本の中でSFの定義が書かれていました。
SFは現実には「ない」ことを描き、問題を可視化する装置、
という事が書かれていて、SFは世界を違った目でみるための物語
なんだと知りました。
「銀河鉄道の夜」もSFとして、問題が可視化されている物語
として読みだすと、冒頭にあーりんが登場することなく
最後まで集中して読むことができました。
綺麗な言葉で美しいものが綴られていて
すみずみまで綺麗な物語でした。
でも物語から感じられる色は青みがかっていて
温度も低く感じられて
ずっと静かで悲しい物語でした。
二人も胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、
何気なくちがった語で、そっと話し合ったのです。
物語に書かれているとおり、
ずっとかなしみを表現するために違う言葉をずっと探しているようでした。
そして私がこの物語が苦手だと思う理由のひとつは
蠍の火の話なんだと気づきました。
尾の毒でいくつもの命を奪っていた蠍が
いたちに襲われて自分は逃げて井戸に落ちて
何の役にも立たずに死んでいくのを悔いて
「みんなの幸せのために私のからだをおつかい下さい。」
と神様に祈ると、まっかなうつくしい火になって
ずっと夜の闇を照らしている。
というお話です。
「(略)僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
というジョバンにのセリフがあるのですが
ほんとうの幸いが自分の身を犠牲にした先にしかないように思われて
なんだか釈然としない気持ちになるのです。
蠍だけじゃなく、ほかにも自分を犠牲にするお話が出てきて
もっと全員が幸せになる道はないのだろうか…。
と考えてしまうのです。
今回「銀河鉄道の夜」を読んでみましたが
結局よくわかりませんでした。
この解決しない、すっきりしない感じも苦手なんだと思います。
旅立ったものの、帰る道がわからなくなって
所在なくふわふわしている感じがずっと続いているのです。
でも銀河鉄道に乗ってしまったので
「わからない。」という気持ちを持ったまま
そのまま旅を続けようと思います。