続:「いたれりつくせりにしない」とはどういうことなんだろう
---前回のつづきです!---
そこで、でてきた青木さんの次の章の言葉
行為が起きることではじめて出現する「場」
これは、もう、「あ、確かに、そうか」って思った。
今まで私は「場」という言葉、「場」という概念を何気なく使っていたし、深く考えてこなかった。けど、ここで改めて考えさせられた。
「未目的」な空間こそが、行為から場が生まれる空間なのかな
<階段>
何の変哲もない大階段に、若者がきて、集まって、座って、しゃべったり、ゲームしたり、なんか食べたりする。そのような行為で初めて、"若者の交流の場・溜まり場”という場が生まれる。
考えてみると、階段は最初から人が集まって座ることを想定して作られていない。階段は人の上下のレベル間の移動を可能にするためにあるものだ。
つまり、階段は本来目的地でもなく、目的もない。
そういう、「未目的」な空間こそが、行為から場が生まれる空間だと青木さんは言いたいのかな。
<廊下>
以前共にエスキスを受けていた人の発言を思い出した:
廊下という曖昧な空間ってやたらと盛り上がる
これも、関連している!とおもう!
目的の持つ[教室]と[教室]をつなぐ未目的な[廊下]。階段と同様に廊下も、もともと人が集まることを想定して設計されていないと思う(少なくとも伝統的な廊下は)。
結局、私がこの本から読み取ったことは何だったんだ
色々考えてきたけど、「未目的な空間」とか、「ここ何する場所?」となる空間って、曖昧で、計画しづらいだろうなって思う。
そもそも、(青木さんもおっしゃっているが)計画の段階で「ここはこのように使う空間」って設計している時点で、至れり尽せりになってしまっているのかもしれないし、そうなると、設計そのものがよくわからなくなる。
なんだろう、、、利用者が空間を主体的に捉えられるように、その空間の定義を曖昧なままにしておいたり、すぐに固定的なイメージに飛ばないようにするのがいいのかもしれない。
んーん。
全然まとめることができなかったな。期待していたアハ体験はまだまだ先のようです。
本の返却日が来てしまったので、またふとした瞬間に脳のシナプスがつながるのを期待したいと思います、、、!
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