“学びの場”のあり方について考えたい
今日、卒業設計の講評会を聞いてきた。
正直、自分が卒業設計をするかどうかについては、「しないかな、、、」と思っていた時もあるぐらいかなり悩んでいた。
けど、自分の考えていることを表現・発信・記録したいと思った。
テーマはまだ探り中だが、自分の経験を活かした設計提案はなんだろうって考えている。
自分の経験を活かすとは
小学2年生から中学1年の夏までを海外の現地校で過ごし、その後は日本の中学高校を経験し、日本の大学に進学し、それから7ヶ月スウェーデンでの留学を経験させてもらった。
思い返すと、「自分はずっと学生だな」と、「ずっと学校を中心に生活しているな」と、当たり前だが、ふと気づいた。
特に、留学中はすごく改めて”学校”ってなんだろう、”学ぶ”ってどういうことだろうって考えさせられた。
それは、やっぱりスウェーデンの”学びへの姿勢”が日本とは違うと感じる点がたくさんあったからだと思う。
今までの様々な学びの環境で経験したこと、感じたことを通して改めて”学びの場”を考えたいと思った。
子どもも大人もフラットな場で
日本社会について、考えていることも取り入れたいと思っている。
ざっくり言うと、日本文化特有の年齢や立場に対するパキッとしすぎる考え方。
それは部活の上下関係から始まり、年功序列、入学試験、(浪人というマイナスのニュアンスをもった言葉)や就活のタイミングとか、先生と生徒(教える側、教わる側という構図)、そして更には日本語の持つ謙譲語尊敬語という言語文化などいろいろ関係してくる。
ごちゃまぜの社会へ
人と人の新しい関係を作りたい。
理科の授業を受ける中学2年生のグループのすぐ脇で、テレワークをする30代の女性という、普通だったら関わることのない人と人がなんらかの交流ができる場をつくりたい。
「今日は〜の仕事をしているAさんに話をしてもらいます!みなさん、話をききましょう!」(Aさん登場、中学生、静かに話を聞く)といった、構図ではない、関係性を。
公共空間のあるべき風景を、みんなにとって身近で、かつ社会を支える重要な教育;"学びの場”から考えたい。
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追加:色々したいことが出てきたのはいいことだけど、意気込みすぎず、自分はいまこんなこと考えています〜的なノリで行こう。笑
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