なんでなんで?の連続
子どもが
別居親と「会いたくない」と言う(思う)と
なぜ真っ先に、同居親の「刷り込み、洗脳や(別居親の)悪口」を疑うのだろう。
なぜ、別居親の「加害行為」は疑わないのだろう。
子どもが
別居親と「会いたくない」と言う(思う)と
なぜ、「それは本当に子どもの気持ちか?」って疑うの?
別居親と「会いたい」と言う(思う)ときは
「それは本当に子どもの気持ちか?」って、絶対に疑わないくせに。
面会交流が「子どもの利益だ」って
なぜ言えるのだろう。
過去の研究で有益性を発表したものがあるけれど
それはあくまで「自主的な/双方合意の上での」面会交流であって
「強制的な/法に強制された」面会交流の研究結果ではない。
なぜそこを見てくれないの?
DVや虐待に
回数や、被害の大小は関係ないって何でわからないの?
DVや虐待は
夫婦や家族、親子の問題って何で切り捨てるの?
DVや虐待は
別居して離れて暮らしたらOKって、そんなことないよ。
生じた恐怖は一生残る、トリガーがひかれると恐怖は生じるって何でわからないの?
DVや虐待は
「身体的暴力」だけじゃないって何でちゃんと理解してくれないの?
「精神的暴力」は被害の小さい暴力ではない!って何でわからないの?
「DVあるところに虐待あり/虐待あるところにDVあり」だよ、なのに、
子どもを連れて逃げたら「実子誘拐」になり
子どもと逃げずにいたら「虐待共犯」になり
自分だけ逃げたら「ネグレクト」になってしまうの、なんで?
共同親権は
せっかく救ったDV被害者、虐待被害者たちを
今は安全なところにかろうじていることの出来る被害者たちを
「司法で加害者のもとに戻すことがある」って
「司法は人権侵害を手伝ってしまうことになる」って
本当にわかってほしい。
第一、「親権」って・・・「親の権利」ってもうやめたい、この考え方。
え、わたしら、「子の利益」考えなあかんやん?
「単独親権か!?共同親権か!?」みたいな議論してること自体が
もう恥ずかしいんやって。
諸外国は「共同親権」っていやいや、「親権」の概念が、そもそも全然違います。
そんな意味合いを持つ言葉、使われてませんって。
本来なら、「親権」という概念そのものを廃止することから始めなあかんと思います。