ぼくらなら
誰かの活躍は嬉しいし、それが親しければ尚更だ。
努力の過程や迷いや苦しみの過程も少しばかり見えやすいというか、見えているはずだから、余計に勝手な共感みたいな感情が生まれてしまう。
目の前のあなたにも遠くの誰かにも、全く同じ気持ちになることはできないけれど、自分の似た経験や感情を重ね合わせて理解しようと努めたい。
自分の心は、むやみやたらな共感や理解めいたものは鬱陶しいから、ひたすらに同じアピールはしたくないけど。
2022年2月26日
昨日、たくさんの夢達を目の当たりにした。
自分の知らない世界が、日常の左隣くらいにあった。
ずっと興味だけあって行けなかったけど、ようやく足を運ぶことができた。
鼓膜をあれだけ震わせたのはいつぶりだったんだろう。
特にドラムとベースが身体の芯に響いて、いや、畳み掛けてくるような感覚は久しぶりの体験だった。
音楽に身を任せる姿は、いつか自分も夢を見た未来であって、感動と共に悔しさや悲しさも込み上げた。
イヤホンからだけでは見えなかった姿は、暑苦しくて、強くて、夢の中でしか見られない宇宙の中みたいだった。
雑多な空間の中、美しいと感じた。
そして、あの空間の中の私は、孤独であった。
音楽は、あの会場だから生きているんだなと感じた。
奏者の奏でる音楽を聴く人たちがまた奏でていて、奏者がさらに波を作っているような感覚だった。
イヤホンから流れる音の配列じゃなく、あの音楽たちは昨日生まれて昨日死んだんだろうなあ。
でも、形に残らずに体験がずっと生きていく、んだと思う。
幸せだった。
素敵な時間を作ってくれてありがとう。