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社交辞令

社交辞令が窮屈。

そう見聞きする。


もちろん、私も
そう感じることは、時にはある。

だけど、比較的、
窮屈に感じないことの方が多い。

社交辞令を
そこまで面倒臭いものとか
嫌な気持ちを持っていない。


いい顔をする時、
いい人になろうとしてる時、

そう感じるもののような気がする。


自分に無理をしているから。


相手に合わせて
そうしていると感じているかもしれないけれど、

本質は、自分へ向けられているのだと思う。


いい顔、いい人を
作るのは、自分のためとなっていて。

自分を中心に考えているから、
相手に合わせることが無理をしたこととなって
窮屈に感じる。

そういうことのように思う。

なので、

社交辞令が窮屈だという人は
自分中心な考えに気づいてないのだろう。

そう思うことがある。


笑顔でいること
仲良くすること
円滑な場を作ることは

相手のため
お互いのため

その心良い提供なわけで

相手へ差しあげるものなで、
相手の喜びを考えているもの。

いい人であるのは
相手のため、お互いのためなのだから、

何も窮屈さを感じるものではない。


心良く差し出してあげることが、
気持ちの良い感情や
喜びに感じるものになるのは、

それは、相手中心な考えでいるから。


そのように感じられないものは、
相手を思っているものとは、
少し違うもののように思う。


心を遣っているか
気を使っているか




いい人になろう
いい顔をしよう

上手くやろうとすれば、途端に
下手くそになる。

どこか力んで、
余計な力が入ってしまうもの。


変に力がかかれば、

ぎこちなくなるし、無理をするし、
疲れてしまう。

窮屈と感じるのはそういうことだ。


ナチュラルに
自然に

ニュートラルに動けると
疲れもしないのだけど。


いかに、自然体で行えるかということだろう。

板につける
身につける

それは自然な行いになる。


自分へ目を向けて、自分のことを気にしていては、
いつまでも、周りへ目を向けてはいけない。

相手へ合わせるというのは、
自分を気にすることではなくて
相手に目を向けていくこと。

そういうことと思う。


みんな、自分中心。

それは当たり前。


でも、その視点で物事を考えていたら、
対人関係は築けない。

自分一人だけの世界ではないのだから、
視点を変えられずに考えていたら、
窮屈さだって感じるもの。


上手くやろうとすれば
上手くいかない

上手くやるには
自然に平常に

自然に平常にするには
日々の積み重ね

それが上手くなるコツ

そう思う。


平常が
気を使うではなく、心を遣う。

そうなっていけるといいね。


そしたら、きっと、
社交辞令も窮屈さを感じなくなるんじゃないかな……




気はエネルギー
心は心地よさ
そんな風にいつも感じてる

・・お読みいただきありがとうございます・・


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