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やってみて気づいたこと

先週末に【blog】というシリーズを初めてみた。

意外と難しい……

私は普段は、自分語りのような、
ポンと置くだけの自己完結の記事を書く。

自分語りしたものを展示しているような
そんな感じにnoteに記事を書く。

メッセージ性みたいなものも含めた内観や
人の心にある内側にあるものを
絵を描くように書いたり、
体験を通した心の動きなどを書き留める。

なので、ベクトルはどちらかというと内向き。


読み手へ語りかけるように書いてみると、
普段の自分語りの表現ができなくなる。
説明が多くなり、読みにくさが出てくる。

ベクトルを外向きにしていることが意識される。

〜です。〜します。と文末が続かないように
気をつけたり、ダラダラと話が長くならないようにと、
気を配ることが多くなる。

要点を絞って、まとめたり、どこを削ぎ落とすかなど、
輪郭を形作っていくことが難しく感じた。

わかりやすさや伝わりやすさ、
聞き心地や読み心地となる、
リズムやテンポが掴めない。

文字が単調に並ぶように感じられてくる。
国語を苦手となる部分はここにある。

余計なものが多く感じてしまって、
内容が全く入って来ない。

という現象。

説明ばかりで言葉が多く
単調に話す講義が眠くなる、と似ていて。

読む時も、聞く時も
余計な言葉を省きたくなる。


話が上手い人、説明が上手い人を見ると、
ただただ尊敬の眼差しで見てしまう。


どうしたら、そんなに素早く、
頭の中でまとめられるのか?

整理して取捨選択した言葉を
ポンポン出せるのか?

羨ましくて仕方ない。


今、一緒に働く臨床心理士さんは、とても敏腕で、
言葉だけでなく、雰囲気や距離感、関係構築含め、
個性とスキルに尊敬を抱いている。
真似て学びとろうと、ロールモデルにしている。


要点を絞って話すということが、私は苦手。
内観した言葉を吐露するのは解放もあり楽だけど、
相手に手渡すとなると、途端に言葉は失速する。
考えることが多くあって……

お手紙を書く時と似ていて、丁寧に相手へ向けていて。

対象を所在させ、向き合って、
ベクトルを向けていると言えばいいかな。

自分の考えのものというのは、所在は自分にあって、
ベクトルが向いているのは自分。内向。
表現する場が公としているだけで、向いているのは内向。
気に入ったらどうぞとどこか受動な印象もある。

受動と能動と考えるとわかりやすいかもしれない。

能動していれば、自然とベクトルは外向へ向くのかな?

スタンスの取り方の違いは、比重の割合のようでもある。
皆、どちらも持ちあわせて、その時々で変化もしている。

自分や読み手のその時の気持ちやスタンスによっても、
受け取り方も変わる。


ここ最近、仕事でもnoteでも感じていることは、

「伝える」

ということ。そこについて考えさせられる。

何をどう伝えるか。
どう言葉にするか。


関心はいつもそこにあるようだ。




〜関心〜

仕事をしていて、悩みどころは、
何を伝えたらいいか。
どう伝えたらいいか。
伝える以外での在り方や働きかけ。
その時に使う言葉選び。

どんな影響を与えているだろうか
強すぎず弱すぎず、ニュートラルに
自然な関わりで、何を置いていけるだろうか、
始終考えを巡らせている。

どう在ろうかと自分を模索して。
仕事でもnoteでも。

職場の頼りになるロールモデルより、
いい刺激をいただいて学んでいる。


【blog】というのを書いてみて、
思った以上に大変さを感じ、自己理解に繋がった。

自分の苦手さに今は関心があるんだな。

いい練習かもしれない。
気づきがまた楽しみだ♪





・・お読みいただきありがとうございます・・


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ゆうゆう yu-yu
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