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自分を信頼する理由
noteをする中で、繋がったり離れたり、
縁というのを感じている。
noteだけのことではなくても。
一期一会に
その、どのご縁も大切な縁で、
その時その時を過ごしていたものは、
どれも貴重なかけがえのない時間。
その時に感じた想い、
体験したものというのは、
自分にとって財産となるもので、
有り難いものだ。
どんなコトモノでも
感謝に尽きない。
noteを始めて1年位経った頃、
初めてnoteで、とても不快な経験をした。
息ができなくなるような衝撃と、
腹ワタを抉られるような不快さだった。
あまりのショックに食事が喉を通らなくなった。
何事かと、状況を理解することで精一杯。
なんとか理性を保ち、状況を整理して淡々と、
不当な部分に対しては、
一度だけ丁重に訂正を述べた。
SNSの怖さを体感した経験だった。
noteは優しい街と思っていたが、
物騒な人たちもいるのだと知った。
見ず知らずの第三者の立場の方からの言葉は、
中立な視点からの貴重な言葉で、とても有り難かった。
また、他のたくさんの方々からの言葉にも心を救われた。
見ている人は見ている。
自分に嘘をつかない。
自分の言動に責任を持つ。
自分を信頼している。
だから、周りへも信頼を置いている。
そのような繋がりを築いてきているから。
自分に恥じぬよう。
冷静に建設的に対等に立ち、
受け取る姿勢となって、初めて話し合いができる。
それが分かり合えなければ、
それはそれと見て、
それ以上もそれ以下もない。
何かしらの力動的なものを感じ、
摩擦が起こらないように、間合いをみる。
自分に心当たりが見当たらなければ、
必要以上に自分が傷つくことも無い。
よく見て聞いて、整理する。
よく理解して、行動する。
自分の内と相手の内と
区別をつけて。
自分事へ繋げ過ぎずに、
感情的になり過ぎずに、
冷静に落ち着いて、
拾うものと受け流すものと区別する。
自分の都合良いように歪めるのではなく、
事象と感情を受け止めた。
たくさんの人たちがnoteをしている。
私へ対し、引っ掛かりを感じる人もいるだろう。
noteでもリアルでも、どこにいても、
自分と同じ人間はいないのだから、
それは至極当然のこと。
その人たちが口にする言葉と態度を見て、
自分が感じるものを整理し理解する。
力動的なものは、
その人自身の中にある違和感。
その違和感は双方に感じもするだろう。
交流することは、好意あることだけれど、
疑いを持たれれば、裏があるように考え始め、
内側の何かに触れ、
心を揺るがす様子に変わる。
自分と関連付けて考えてしまえば、感情的に
適切な思考や判断はなされずに歪む。
過剰に反応しているのか、
自分が刺激されているのか、
冷静に眺めみる。
嫌悪が強ければ、聞く耳を持たない、
言動は過敏な刺激になる。
その人自身がどうするかに委ねるしかない。
自分は自分自身のことしかできない。
過剰に反応しているかどうかは、
自分たちの感情の揺れ動きで理解できるもの。
俯瞰できれば、自身を理解し、
感情と思考を区別して調整していける。
不快に感させたものには謝罪をする。
ごめんない。
自分の考えや想いがあることも
相手に合わせ配慮しながら自他を尊重をする。
冷静に受け止められるのならば、
対話も行えるが、
感情に飲まれている相手には余裕がない。
対話が行えないのは想定内。
すでに、闘争心を向けられ、
話し合いをするよりも前に、
歪められた主張を一方的に公に主張する。
SNSの怖さ。
伝えられることは、
経緯と考えを誠意持って表すことしか、
できなくなる。
話し合いは皆無。
逃走心となる場合は、攻撃を向けることなく、
嫌悪感や不安感を抱いて去っていく。
内側の何かに触れ、自分事の何かと結び。
それを投影されているのか嫌悪となって、
闘争逃走反応。
祈るように、遠くでエールを送る。
私は私のことへ注力する。
嫌いにもならない。
嫌がらせでもない。
前にも後にも変わらずに
自分の軸に立つだけ。
振り返ってみて、
どの方にも、どの場合も、対応は同じ。
変わらない軸を持って
関わりを行っている。
過剰な反応は、自身を苦しめる。
自分が変わらないでいられる範囲で交流をする。
余裕を持って。
事象は事象、
それ以上にも以下にもならない。
私は私ができることをする。
自分に嘘をつかない。
自分の言動に責任を持つ。
だから、自分を信頼している。
わかってくれる方もいて、
敵意を向ける人もいて、
コンプレックスを感じる人もいて。
どのような期待や想いを
持っていたのかはわからない。
その反映であるようにも見えた。
ごめんなさい。
私は私。
心を知るのは 自身で。
他者は気づかない自身を知らせてくれる人。
そして、自身の言葉が、自身を作る。
自分で考えて
自分で選択して
自分で決めて
自分で進む。
自分の言動を
自分が見つめる。
自分に嘘をつかないように
責任転嫁しないように
自分に嘘をつかない
恥じるような生き方をしない
それが、自分を信頼する理由。
2024.07.
下書きしていた記事をこの節目に……
・・お読みいただきありがとうございます・・
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