
私は私
自分軸
私は、それを感じ、一貫した自分を持てている。
落ち着いた心の安定と、心地よさを感じられている。
私がこのようになれたのも、
たくさん傷つき、悩み、乗り越え、
いろんな経験を経て、今がある。
私は、自分として生きることを止めなかった。
どんな経験も
自分の糧とし、生きてきた……
(総字数9641字)
〜普通じゃない〜
1.
私は普通なようで普通じゃない。
そして、普通になることは、
ありきたりで退屈だ。
私は私でいたい……
幼少期、自分が周りと少し違うと感じていた。
親が、親の価値観やあるべき姿を強いることがあった。
自分がしていることを「違う」と言われているように感じた。
自分の好きなことや自分の考えは、
間違いなの?
おかしいの?
幼稚園、小学校低学年の頃、そう感じていた。
親の言う価値観との違い。
自分が普通ではないという感覚。
自分に自信を持つことが、なんだか難しくなった……
自分の感じているものはいけないことなのか?
自分が好んでいるものは悪いものなのか?
モヤモヤとした感情を抱いていた幼少期だった。
ー幼稚園の頃ー
女の子なのに人形ごっこ遊びが嫌いだった。
男の子が遊ぶ、電車や車、体を使うことが好きだった。
男の子の遊びばかりを好んだ。
親は、あまりにも女の子らしくない私の姿に、
もっと女の子らしくしなさい!
女の子が遊ぶ大人しい遊びをしなさい!
そのようなことを何度も言っていた。
落ち着きがなくて、お転婆だったからかな……
「ままごと」をするのは好きだった。
人形も、着せ替えをするのは好きだった。
自分の世界にいるのは楽しかった。
女の子の友達と一緒に遊ぶ時は、
友達の世界観に付き合わされている感じがした。
友達との「ままごと」は、一緒に作るというよりも、
その子の世界観だけが展開され、
それに付き合わされている感覚があった。
相手を見ながら、合わせて動こうと思うが、
女の子の友達は自分の世界の中にいた。
こうしていい?と尋ねてみるが、
それはダメ〜そうじゃない!
その場がその子のものとなっているような言葉が返った。
一緒にやっているようで、一緒ではないような感覚。
お互いに一つの空間を作るというよりも、
その子は自分の世界だけの中を見つめていた。
私が主張を強く出せば、その場の空気は悪くなる、
嫌な気持ちとなってしまう、そう思っていたから、
いつも自分は身を引いてしまう。
そんな遊びはつまらなかった……
男の子たちとレンジャーごっこをして遊ぶのが好きだった。
同じ空間にいながら、各々が自由に動いている。
その時の状態に合わせ、合わせたり合わせなかったり。
言葉はなくとも、自分の世界を楽しめた。
それぞれが自由に、時々絡み、その場の空間を一緒に遊んだ。
そんな遊び方がとても楽しかった。
だから、私は男の子との方が馬が合った。
私はちょっと普通ではないのかな?
そういう自覚が芽生えた。
生活を通して、肌で感じていたものが確かにあった。
幼い頃から周りからも、普通じゃないと言われていた。
家族、親戚、周りの人々。
元気が良すぎて女の子じゃないみたいだ!
男の子だったらよかったのに!
そんな声を幾度も浴びた。
私は普通ではないのか……
そう思うことは、必然だったように思う。
ー女の子の遊びー
それでも、幼稚園の頃、
女の子の遊びを試したことがあった。
母や周りがあまりにも言うので、
そうしていった方がいいのかな?と思い、
女の子らしい遊びをしてみようと試みた。
女の子の友達と、お人形さんごっこをした。
人形を使って、物語の空間に入り込む作業……
人形を動かす自分を感じてしまい、どこか滑稽に感じた。
つまらない……
親の言うあるべき姿であるように、
周りの女の子と同じ姿であるように、
女の子らしいことをしてみたが、
全く持って、つまらない!
その時の感覚は私の中に記憶された……
ー自分の感覚ー
私はどこか普通じゃない。
それはいつも、心のどこかに潜んでいた。
気にしている時もあり、
何かをしていれば、それは忘れられた。
私には、私の感覚があった。
自分の中の快と不快。
遊び、食べ物、着る物、色、形、音、
匂い、空気、肌感、センス、
いろいろなものに……
モヤモヤと不快が生じるものが苦手だった。
その自分の感覚は、自分にとって、
とても大切なものだった。
2.
変わったのは、小学校3年の頃。
他者と自分の違いが気になり出した。
周りと比較をするようになって、
劣等感を感じたり、優越感を感じたり、
他者との違いや同じを探すようになった。
ただの自分の快と不快というだけではなく、
所属という居場所という空気。
周りの話題についていくことや、
共感し合いたいという気持ちが生まれた。
ここでまた、
他者との違いや微妙な価値観の違いを感じていた。
ー小学校中高学年ー
小学校中学年の頃、周りの様子が気になり始めた。
周りの人が話していること、興味を持っていること、
自分と他の人と違っているところ、同じところ、
自分は何を思っているか、感じているかなど、
いろいろな気持ちを感じていた。
小学校高学年の頃、周りの所属の強さを感じた。
周りに置いてかれまいと、無理しながらも頑張って適応させていた。
周りの顔色を見て、周りに合わせる適応は、
自分を守るためだけど、きつかった……
他者との違い、適応と所属に悩み、
微熱が続いたり、腹痛を起こしたり、そんな心身不調が出ていた。
自分に嘘をついて、無理をしていることが嫌になったし、
懲りた……
ー中学の頃ー
どうやっても、周りの価値観やラベリングをする目に、
ほとほと嫌気がさした。
私の美学に合わない……
自分の気持ちに正直に向かうことをしていった。
中学での環境、周りにある感覚は、
私に合う環境や感覚ではないと肌で感じた。
私は、自分の年齢が子どもであることが苛立たしく、
早く大人になりたいと思った。
だが、その反面、嘘の塊のような大人を嫌悪する気持ちから、
自分がその大人と同じになることへの嫌悪感と抵抗感も湧いた。
両極の感情が混在していた。
中学は、自分と同じ感覚の人が少ない環境だ。
高校では学力別になることで、
同じような思考の人が集まる環境なのではないか?
年齢も上がり、ある程度大人として扱われ認めてもらえるのではないか?
そんな風に考え、同じ基準を持つ環境と年齢が上がることへ
期待を向け、希望を胸にし、高校受験を頑張った。
ー普通になることー
私は、自分を普通と思ってきていない。
普通になりたいと思ったことはある。
その時は、周りに馴染ませ、
自分が異なるものではないように、
周りと同化させていく感覚だった。
それを試したことがあるからこそ、
それがとてもつまらなくて、とても退屈と感じ、
自分が透明で透けていて、形のなく、
周りの色と同じになるような感覚を抱いた。
それはまるで、
自分が背景と同じ色になるカメレオンのように感じ、
自分が空っぽの透明人間のように感じ、
自分が消えていないような感覚。
そんなことを感じた中学生時代。
普通でいたい気持ちはある。
みんなと同化すれば安心だ。
ただ、同化してしまうと、
自分が消えて見えなくなる。
とても退屈でとてもつまらない。
自分の存在がわからなくなる。
その感覚が不快だった。
ー自分の存在ー
自分の存在をわかるようにしたい!
だから、私は、
普通と同化するのをやめた。
むしろ、
自分が消えて見えなくならないように、
自分を感じていたいから、
普通じゃないということや人と違うということが、
自分らしさを感じられて、
それが、自分の誇りとなった!
普通でいたいと思う心も持っている。
でも、
自分は自分でいたいと思う心も持っている。
どちらも持ち合わせているけれど、
考えを振り切ってしまえば、
普通でないことが、
自分らしさを引き立てるものとわかる!
目立ちたくはないけれど、埋もれたくもない。
表立っては目立たないけど、よく見ると違うよね!
そんな感じが好き。
普通でないことは、どうしたって目立ってしまうけど、
隠してるわけでもなく、どこか違うかなと気づく。
それでいい。
小さな頃から、
普通でないと感じて
普通になりたいと感じて
普通は退屈と感じて
普通じゃなくいたいと感じて
普通を意識することは、
道徳的にはその視点ももちろん必要。
けれども、ただ、
私は私だ!
中学の時に出した答え。
ここが、「私を生きる」スタートだった。
ー個性ー
私の娘たちも、自分が普通でないと感じていた。
それは、私が感じてきたものと同じようなものだった。
女の子の感覚に馴染めない時期があった。
気質的にも周りと少し違っている要素もある。
自分は他と違う……
そう感じることは、誰しもあるのかもしれない。
娘たちに私は言う。
私も同じように感じてきたよ。
周りと同じにしたいの?
無理してまでしたい?
自分の気持ちを大切にしてね。
人と違うって、素敵なところだよ。
自分の個性になるよ。
個性があるって、すごくいいじゃん。
人と違うものを持っていることは素晴らしい。
自分を大切にしていい。
人と同じではつまらない。
自分探しは、
他者がいるからできるのだろう。
共感し合えることも嬉しい。
違いがあることも個性で嬉しい。
普通でなくていい。
娘たちにはそう伝えている。
変わっているくらいが、
自分も
人生も
おもしろい
私は私!
道徳や良心を守り、自分らしくあれ
普通じゃない。
変わってるね。
それは、私にとって、嬉しい言葉!
〜大嫌い〜
大嫌い。
そう言われたことがある。
あなたなら、この言葉を言われたら、
どのように捉えますか?
ー仲間はずれー
小学校高学年。
この時は、絶賛、対人不安があった時期!
嫌がらせも何度かあって、無視や嫌味の攻撃を受けた。
「あ〜また先生にエコ贔屓されてる〜」
「いいこぶりっ子〜〜」
下校しようと思ったら、履いてきた靴が隠されていた。
「えっ……?」(探しても全然見つからず……)
私は、上履きで帰った。
さすがに、悔しくて、悲しくて、唇を噛み締め涙した。
家に入る前には、涙を拭い、
何事もなかったかのように家へ入った。
そんな思い出。
何も悪いことしていないし、
言われの覚えもないことを言われていた。
嫌われている……
中心の人たちが、次々と順番に無視をしていた。
ターゲットが自分に回ってきたんだ……
諦めと悲しさ。
確かに、その頃の私は、
貧血で顔は青白く、微熱が続いたり、体調不良が多かった。
そのこともあって、先生からよく心配をされていた。
また、授業では、運動のお手本や、
勉強の正解の回答は、私が当てらることがほとんどだった。
「ほら…まただよ〜」
「何でもできる人は先生に可愛がられるよね〜」
ヒソヒソと、わざと聞こえるように発せられる声。
(先生……なんで私にさせるの……)
(お願いだから、模範を私にやらせないでよ……)
そう心で呟く。
しかし、また別の心では、
そりゃ〜そう言いたくもなるよね〜と、
状況を理解する自分もいた。
それでも、
こんな風なやり方をするなんて卑怯だなと、
まとめる自分もいた。
そこで結論づけた私の解釈は、
ただの嫉妬と遊び感覚の無視ブーム!
悔しい、悲しいし、納得いかないけれど、
必要以上に騒がずに、いつもと遊ばない友達といることにした。
時間が解決する、それを待つ!
小6の私の考え。
結局、順番に無視があったから、主格がターゲットになった。
私は、お陰様で道徳的なことを話し合える親友ができた。
その後、主格同士の争いがあって、一人が不登校になった。
「いじめ」はまだ続いた。
私と親友は、以前その子にいじめられたことがあったが、
このくだらない「いじめ」を無くしたくて、
その子を助けたくて、毎日その子の家へ行った。
プリントを届け、「学校に来て」と伝え、
なかなか顔を出してくれなかったけど、
少しずつその子は心を開いてくれるようになった。
ある時、その子は学校へ登校して来た。
大人になってから、母から聞いた。
あの時、学校へ来てと声をかけに何度も行ったこと。
あのお陰でその子が学校へ戻れたんだと、
その子の母親がそう話し、何度も感謝されていたのだそうだ。
「いじめ」から、いろいろな思いをたくさん学んだ。
ー中2ー
「○○と話しないで!あんたなんか大嫌い!」(その後無視)
クラスメイトが、自分の好きな男子と仲良くしていることに腹を立てた。
「私が好きなの知ってるでしょ!話さないで!」
(え?!誰と話そうが、私の自由じゃないの?)
(元々仲がいいし、私も同じ人のこと好きなの知ってるじゃん)
(は?話したきゃ、自分も話せばいいじゃん……)
(彼は、あなたの所有物なのですか?)
(なんで、そこまであなたに気を遣わなきゃいけないの?)
(ただの嫉妬じゃん!)
その子の周りの女子たちが、
「そうだよそうだよ!あんた何考えてんの?」
「かわいそうじゃん!謝りなよーー!」
他のクラスの少し優しめの子たちも
仲を取り持とうと私へ謝罪するよう悟しに来た。
(そんな悪いことした?)
(私以外の人なら、同じことしても何も言わないよね?)
(誰かの好きな相手は、話してはいけないの?)
(同じ人好きなら、遠慮したり気使いしないといけないの?)
(は?向こうだって遠慮や気使いなんてしてないじゃん!)
(嫉妬なだけじゃん。女子って面倒くさいな〜)
言いたいことはわかるけど……
自分がしてることが、こうやって言われるほど、
そこまで悪いことだと思わない。
謝るのは納得いかないからしたくない……ごめん。
私はそれを伝え、その子に謝らなかった。
(ていうか、何でこんなたくさんの人に言い回ってるの?むかつく)
(そのまま無視されても結構です!どうせいつか終わるし)
可愛げのない中2の私、強〜〜。
言いたいやつは、言わせておけ!
くだらん!
わかる人にはわかる!
(すでに自分が出来上がっていた)
わかってくれる友達っているし、自然に集まってくる✨
と信じていたが、
この後、部活にまでも広がり仲間はずれされ、
広い範囲の女子たちから総スカンになって、
少ししんどい時期もあったけど……
信じていた。
親しい友達は、表立って仲良くは控えていたけど、
フォローしてくれていたし。
加担していない、おとなしめの中立にいる子もいたし。
男友達がついていたし。
友達がいないわけではないから。
少しずつ、仲間はずれをやめていく人たち。
時間が経ってくると、誰も気にしなくなって、
いつの間にか、いつも通りに戻った。
私は私の気持ちに忠実にいた。
ー高1ー
一緒にバンドを組んでいた仲間。
好きな男の子が、私のことを好きなようだった。
自分の恋が叶わないなら、好きな男の子が成就するようにと、
私に一緒になって〜〜とお願いしてきた…💧
懇願……
健気な想い。
当時好きな人はいなかったけど、
いやいや、できないよ〜〜💧と伝えたら、
彼女は、
「なんで!お願い!彼がかわいそう!ひどい!」
本人が、モヤモヤとしてしまい……
私のことが嫌いになった。
彼女はバンドを辞めた。
申し訳ないとは思うけど……
彼女のいろんなグルグルする気持ちは、彼女の問題!
嫉妬や様々な感情をぶつけられた。
でも、私は自分の気持ちを大切にしたし、
解釈できているから、
彼女のことを嫌いになったり、怒ったりもしない。
ただ、う〜ん、そうか〜!となるだけ(笑)
バンドの仲間も理解してくれていた✨
高校時代は、自分が思い描いていた環境だった。
のびのびと居られて、環境にも友達にも恵まれた。
ーママ友ー
一緒によく飲むし、家族ぐるみでの付き合い。
生育歴などの話もしたり、とても親しい友達。
彼女は、ちょっとクセのある愛されキャラ(笑)
ちょっとこじらせなところもあるけれど、
とても可愛らしい人だ✨
交友の中でも、彼女ともう一人と私と他にも数人は、
大学生に戻ったような会話を楽しんだ(お下品話も多い😅)
彼女が言った。
「コンパに行くとしたら〜」
(酔ってる!いつそんな時がくるの?笑)
「あんたと一緒に行きたくな〜い!」
「だから、コンパに来ないで!」
おもしろい。
彼女は、一緒にご飯食べに行ったり、
仕事の話や家の話や
腹を割った付き合いをしている友達の一人!
仲がいいのだけれど、
たまに彼女から出てくる、私への思いを
何となく感じていた。
ママ友同士の飲み会♫
もう一人のママ友の
学年違いの役員会の打ち上げがあった。
誘われるまま、私も彼女も参加した。
その彼女が酔っていい気分になり、私に向かって、
指を差しながら言い放った。
「私、あんたのこと大〜〜嫌い!!」
え?!(一瞬、空気が凍りついた)
初めて会ったママもいるような場。
周りのみんなはビックリ!
あわわ……
私は、笑顔で「わかった、わかった」
(ただをこねてる可愛い子にしか見えなかった!笑)
みんなはヒヤヒヤ……
私「ほら、もう一軒、行きたいお店あったよね?ほら行くよ!」
彼女「あ、そうだ!いこいこ」(かなり酔ってます)
私と彼女は、二人でその場を去り、別の店へ向かった。
と、いう出来事。
後から聞いたら、その場にいた人たちは、
「二人の関係大丈夫なの…?」「心配…😱」
「大嫌いって言われていたのに、笑ってたよ〜😱」
と話していたらしい。
その場に残っていた、もう一人のママ友が、
「二人で別の店に行ったから、大丈夫じゃない」
と笑顔で伝えてくれていたそうだ。
親しき仲にもってあるけれど……(笑)
私は、その時全然嫌じゃなかった。
なんか羨ましく思ってくれているのかな〜とか、
どこか憧れているようなものを感じてくれているのかな〜とか、
そんな風に感じていた。
もちろん、その後の店でも普通に一緒に楽しんだ。
翌日、彼女の家でお茶をしていた私。
昨日の出来事を教えてあげた。
「昨日私に、あんたのこと大〜〜嫌い!って言ってたよ(笑)」
彼女は流石に、
「え、え💦うそ💦ごめん💦本心じゃなくて〜」
「羨ましいって思ってるからかな💦本当にごめ〜〜ん💦」
焦りながら、超〜平謝り(笑)
「大丈夫だよ!長い付き合いだから」
「わかってるから気にしなくていいよ」
「え〜ん!💦本当にごめ〜〜ん!ゆうゆうでよかった〜〜✨😭」
本人も言ったように、
何かしらの嫉妬のようなものとわかったいたし、
若干、妹みたい(実際は1歳年上)と感じている自分がいる!
楽しかった思い出。
ー自分を信じるー
大嫌い!と言われたことがあるから、
大嫌いと言われることに抵抗は少ない。
そして、その状況や背景も
見極められていると思うから、
不安も心配もない…
自分の選択する解釈も信じられる!
ちょっと勝ち気な自分でもあるけれど、
相手に逆上せずに、いつも淡々と、
自分の感情と状況を整理していたなと感じる……
人と人との信頼関係
ということもあるけれど、
自分の見極める力には、自信があった!
大嫌いと言われたけれど、
悲しさや苦しさよりも
自分を信じていた✨
〜自由〜
私は、自由でいたい人。
自由でないと苦しくなる。
自由でないと疲弊する。
それは、ある意味幼さのようにも思えたり、
人の本質のようにも思えたり、
それが、自分の個性に思えたり、
私にとって自由とは、私の生きる意味なんだ。
今の私は、とても自由。
ほどよく力緩ませ、生きている。
やることはやり、
やりたくなければ無理はしない。
自分のペースってあるものだ。
けれども、自分のペースでできないこともある。
そうなると、余計な力が加わわってくる。
人は一人では生きられない。
この世に存在する以上、
他者との関わり、社会との関わりは不可欠だ。
自分のペースで動けないことがあるのは、当たり前。
だから、負荷がかかってくるもの、当たり前。
余計な力がかかるのは、当然に起こるものなんだ。
自分のペースでできない時、
自分の自由が一時的に奪われる。
奪われた自由は疲れを生む。
だから、自由でいたい私は、疲れやすい。
自分のペースでできている時、
とても楽。
自分自身でいられている自由がある。
だから、心も体も疲れない。
むしろ、充足感を感じられる。
自由にいられないのは、自分の心。
私は、自分の自由さが好き。
自分の価値観
自分の感覚
自分の思考
子どもの頃から感じていた。自分というものを。
5歳の時に、自分は消えて無くなってしまいたくなったこと。
6歳の時に、自分は生きていていいのだと、両親の名から一文字ずつもらった自分の名前に、自分の存在価値を意味づけたこと。
7〜10歳、みんなと同じに、普通にと言われ続け、自分が他と違うと感じたこと。
11〜12歳、人に合わせて自分を見失い、心も体も不調が出て疲弊したこと。
自分の気持ちを偽り、他者に合わせ、馴染ませる自分。
まるで、自分が空間に溶け込み、自分が透明になる感じ。
自分が無くなり、自分の存在が見えなくなる。
そんな感じがした……
だから、私はまた、自分の存在価値を見出す。
13歳。自分を自分の価値観に存在意義を見出したこと。
14歳。いじめに合い、周りと自分との価値観の違いを感じたこと。
人と合わせると、自分が消え、疲弊する。
ならば……
自分の価値観、自分の感覚、自分の思考を守ろう!
だって、それが本当の自分だから……
なぜだか、自分の感覚、自分の思考、それに自信があった!
よく言えば、理解が早いというのだろうか。
悪く言えば、可愛げがないというのだろうか。
生育歴で言えば、
自分を持っているのに、親の価値観の押し付けに強く制されていた。
親の価値観と自分の価値観の葛藤の打破でもある。
自分が、その他大勢の中に埋もれたくなかった。
自分の存在を意識するために、
むしろ、人と違う自分でありたかった。
15歳。理不尽な親、教師、クラスメイト、頭の固い人たちから離れたくなったこと。
他の人と同じでなくて上等だ!
自分の価値観は自分のもの!
自分の価値観を崩すくらいなら、分かり合うなんてしなくていい!
自分の価値観をわかってくれる人はいる!
そういう人たちを見つけていく!それでいい!
私の価値観の一貫性のルーツはここにある。
心は未熟ながら、思考は大人びていたかもしれない。
幼かったともいえるのかもしれない。
私自身の中のズレ、発達に合わせた社会とのズレ、
私は大人の階段を登りたかった。
自分の自由を奪われることが、とても苦痛に感じた。
母になり、
母という役割分業をしなくてはならない。
私にとって、それは自分ではない、母という役割を行なっていた。
だから、負荷がかかる……
自分でそこに価値を見出している時はいいのだが、
周りの理解を感じられないものに変わると、
自分自身を取り戻したくなった。
自分の存在を守りたくなった。
家族からしてみたら、私は母であり、妻である。
でもその前に、私は私というものがある。
その3つの役割を器用に使いこなせなかった。
気質的なこと
生育的なこと
環境的なこと
社会的なこと
要因はいろいろ。
穏やかな心を宿す……
自分を自由に、心を自由に、
自分を心を大切にしたい。
私のことを知る人は、私をとても自由だと話す。
確かに、他と比べれば、とても自由にしているのだと思う。
ただ、どこか役割を行なっている自分を感じ、
役割を終わらせたい自分がいる。
役割を行うことは必要な時もあるのだが、
それぞれが、自由に、お互いを理解して共存したい。
家族であっても
周りであっても
社会であっても
自由にのびのびと、自分を表現できる環境。
自分の存在が奪われる感覚を感じる時、
自分の自由を奪われている感じがする。
自分が自由を感じられていると、
人に自由を与えられる。
余裕がある人とは、心が広い、器が大きい、寛大など言われるが、
きっと、ゆとりを持てている。
何かの枠や、何かに縛られている人とは、窮屈さを感じる。
きっと、その支配の中でものを見ている。
それも価値観だ。
自分に合う価値観でいい。
私は 窮屈さを感じることが苦手。
息ができなくなる。
小さな頃にマニキュアを塗って、爪が皮膚呼吸できてないと感じた時。
タートルネックの首の苦しさ。ゴムやベルトの締め付け。
狭い空間。圧を感じる人や空間。換気の感じられない場所。雑踏。
空気が汚れている場所や空間。空気の流れを感じない空間。
湿度の高い空間、風を感じない無風の日。
不安が強くなった時。強いストレスを感じた時。
自分を失われそうになった時。
私にとっては、どれも息苦しくなるものたち。
私はいつも
自分を守るために生きている。
自由な心で
私は私を生きている。
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