迷走瞑想
一度きりのタイムマシーンを手にしたら、過去と未来のどちらを選ぶか。
人生のゴールはおそらく決まっている。人生における不遑枚挙の選択のうち、どの道を進んでも死という結末は変わらないが、死に方や死に様も決まっているのかもしれないと考える時がある。多くの人は待ち受ける死を前にして未だ迷いから脱することができない。かく言う私もそうである。「どうせ死ぬのだから」と物事を楽観的に捉え、面白く生きる他ないと腹を括ることができたらどんなによいであろうか。狸に憧れる日が来るとは思いもしなかった。その実、人間は上等ではないと私は主張する。現実を受け止めるには、それくらいがちょうどよい。
話を戻そう。過去か未来かの選択について。
未来に進めば、そこに在るのは現今における選択の帰結としての希望もしくは絶望。恐ろしい丁半である。もし絶望を目の当たりにすれば、更なる未来を憂いて迷ってしまう。つまり、未来において未来に絶望するのである。
過去に進めば、自らが敷いてきた線路上で転轍機が壊れんばかりに東奔西走する羽目になる。転轍機をどちらに切るか迷ってしまって、過去において絶望する。
どうせ絶望するなら、今がよい。今ここで迷うなら、いくらか健全である。
明日も仕事に行こうか、迷う私がいる。