凪(フィクション>短編)
§ 6 夜長月
S県のIR郡のIRY町に近い、UK駅は、現在も運営しているものの、非常に古く、また実際にこの地に住んでいて通勤や通学に使われる事は無かった。
今や、観光客用のノスタルジックな昔のぽっぽや風の鉄道の小さな駅に似ている。
地元の住民は皆、マイカー族なので、IRY郡の小さい町からUK駅近くのホテルや観光地で就職していた。小学校や高校はスクールバスで子供たちを送迎し、この辺は片田舎で、車が無いと生活は出来なかった。寵子と嗣芙海の自宅の周辺はTBT線沿線に地下鉄線が乗入れを開始してさらに使い易くなったので、車がなくてもそう不自由はなかったが、奥地に入ると、車の所持は絶対だった。
駅には人が少ない分、通貨電車が多かった。新たな都会的デザインで突っ走るライナーを見ながら、UK駅を見ると、全く違う時代感を寵子は感じた。
木造で、だだっ広い駅の待合室に、人なんて誰もいない。だが、小さな猫が住みつき、そのせいで猫が商店街の組合に飼われて「駅長」としてホームページなどで掲示し、ネットで話題になったりしていた。通勤、通学にはスクールバスが利用されており、電車の通学などにはもう使われないが、観光客が訪問して写真を撮る為に、取ってあるだけの様なガランとした、建物だった。
UK駅から県道沿いに車で数キロも行くと、矢鱈と新しい、美しいガラスの建物が小さな丘のてっぺんに建っていた。四方がガラス張りだが、日光の光線を浴び、内部の或る一定の距離で視界が暗くなるように作られている様だった。後ろには深くて大きな深い森が鬱蒼とそびえていた。
丘の上の建物は、窓と言う窓がすべて透明だが、内部が見えない不思議な構造だった。が、外から入ってくる光線がガラスの角度や中の家具や鏡の置き方で、あちらこちらに輝き、美しい光線のオブジェに見える様になっていた。
ホテルを中心に、駐車場が広がり、遠くの丘から見ると、花の花芯部分がホテルの建物、周りに駐車してある車一台、一台が、花びら「の様に見える様に配置されていた。いわゆる道の駅がホテルの東側に向かって見え、それ以外は、枯れかけた森と鮮やかな紅葉に囲まれていた。
車のドライブ案内でもなければ来れない様な僻地に見えたが、冬はスキーリゾート、その前は紅葉シーズンで、カップルの旅行などで売り上げが結構上がるのだと言う。
ホテル前で全員を下ろし、荷物を降ろさせ、車を一番自分のいるところから近い花びらの形の駐車位置に配置した。
フロントには既に坂口が着ていた。坂口はリラックスした灰色のスウェットとスポーツ用のズボンで、今すぐゴルフにでも行けそうな恰好だった。フロントマネージャらしき人物が嗣芙海に気付き、最敬礼した。
「いらっしゃいませ」
坂口が微笑んで振向き、笑顔で寵子と嗣芙海に近寄って挨拶した。
「やぁ、督葉羅さん」
「坂口さん、おはようございます」
嗣芙海は丁寧に最敬礼した。お客様に対する丁寧さは寵子が嗣芙海を尊敬する理由の一つだった。どんなにそれが通常のマンネリズムであろうが、お客様に対して稲穂の様に低く頭を垂れる嗣芙海に寵子も態度を倣った。
おはようございます、とニッコリ且つ深く頭を垂れて挨拶する寵子にいつも同様にニコニコと頷きながら、坂口は皆に挨拶した。
嗣芙海は坂口に会った事のある寵子以外の全員を坂口に紹介した。
三条は嗣芙海に倣って大変丁寧な態度で自己紹介し、三条の後に居度端君も先輩に倣い、頭を低くし、ご挨拶をした。坂口もチーム全体の態度が良いので大変感じ入り、丁寧に挨拶し、後程、お話ししましょう、と嗣芙海のチームに言ってくれた。鳳も妻の弥生と坂口に頭を垂れてご挨拶し、皆、ポーターが就いて各部屋に案内され、最後に寵子と嗣芙海が残った。
動物達は、寵子が見繕って購入した大型の籠に入れてあり、動物が好きそうなフロントスタッフが籠の近くで動物目線に自分らの視座を落として、二匹に話しかけていた。そのスタッフの所に寵子は行き、
「督葉羅の部屋に動物は参りますの。私も一緒です。もう行っても宜しいかしら」
担当が立ち上がり、
「畏まりました」、
と最敬礼した。
坂口は、寵子の様子を見て、昼まで休むように嗣芙海に言って、再度軽く挨拶し、二階に大きなダイニングホールがあるので、12時過ぎになったら集まって飯でも、と言ってくれた。嗣芙海は携帯のメールで全員にコレを伝え、三条、居度端君及び鳳はコレを了解返信した。
7階のカップルスィートルームに案内されて、寵子はわぁ、と声をあげた。
「見て、あなた。凄いわぁ。美しぃ~」
部屋はドアから入って正面に居間があり、ベッドルームや動物用のフロアルームやキッチンの様な部屋までついており、一見、ウッドハウスがドアから広がっている感じだった。冬はスキー客が見込めるので、ホテルも暖かなウッドハウスルームを沢山作った、と坂口が話していたのを嗣芙海は思い出した。
ドアから入って広い居間の向こう側正面に大窓があり、外景が臨めた。下階では見えなかったスキー場と思われる深い森は紅葉の大きな深い森が広がり、太陽の日差しがまぶしい程輝いていた。
部屋の中は和洋折衷で、カーペットが暖色で外景が見える窓の前には、昔元々は和室だったのか、和室用のふすまの敷居の跡が見られた。深い紅葉の濃茶の様な暖色カーペットで全ての床を覆い、部屋によって暖色の度合いが少々違っていたが色の合う続き部屋だった。ダイニングには木彫りのテーブルが4つの木彫りの椅子と並べられ、木彫りでやさしい揺り椅子が窓の横にあり、窓の左横にテレビ、ディベッド、色合わせがされた古いが良く維持された家具や機器で一定の距離感を以て囲まれていた。ベッドルームは室内右横の奥間にある部屋の様だった。
嗣芙海は、歩を進めて、ベッドルームに向かった。両手を使って開けるようになっている奥間のベッドルームは、昔はクローゼットだったのかと思う程、奥に入った配置だが、中に入ると落ち着いた居間と同じく暖色系のカーペットで抑えた木製の家具が二人を待っていた。
ベッドの前にはチェリーウッド系の深茶色の小さなデイベッドがあり、位置を変えれば、猫や犬がどちらかの側に添い寝出来るようになっていた。寵子は悲鳴を上げて喜んだ。
ホテルのポーターが荷物を降ろし、坂口が言っていた様に昼食は2階のロビー階で大ダイニングホールにいらしてください、と言い、フロント階に降りていった。
寵子は猫と犬を適宜籠から降ろしてやり、猫はさっそく室内の冒険を開始していた。犬も猫を追って後をついていろいろな部屋の臭いを嗅いでいた。
嗣芙海は、部屋に入って右横出口よりに動物用の籠置き、餌用の入れ物、トイレ用の砂ひと袋と箱、また犬用のトイレシートが既に並んで用意されているのを見て、
「至れり、尽くせり、だね」
と呟いた。
「じゃ、散歩、するか?」
「散歩」と言う言葉にはしゃいで喜ぶタロの首輪にリーシュを架けながら、寵子にも
「行く?」
と訊いた。
寵子は、少し疲れたようだった。溜息をついた。
「あぁ、そうね、後で夕方の散歩に一緒に行っていいかしら。
今は少し、足を上にあげて休みたいの」
嗣芙海は寵子の身体を抱きしめ、額に口唇を当てて、熱が無いのを確認し、
「すぐに帰って来るから昼寝して待ってて」、
とタロを連れて散歩に行った。
駐車場がホテルの建物を包んで居る様になっているデザインだったので、駐車場の周囲をタロを連れて一周した。
深い森の入り口付近は、閑散としており、スキー場のリフト乗り場や、色々な看板や入口門などが立て続けに目に入って来た。今の時間にここからタロと一緒に深い森に入ると、道に迷いそうなほど、森は鬱蒼としていた。
タロは、寵子が室内に残った事で、嗣芙海が気に懸っているのを本能的に感じていた。往復で数キロも歩かずに、嗣芙海は用を済ませたタロと帰ってきた。
部屋に戻ると、寵子の高い笑い声が居間から聞こえた。
ドアをカチャと閉めると、奥から
「あなたぁ?お帰りなさい」
と元気な声がした。
鳳が動物の籠などが置かれた奥の方からひょいと顔を出した。
「おぅ、お帰り。素敵なウッドハウス調だね、ここは」
とニカニカしながら居間に入って来た。
嗣芙海が笑いながら挨拶すると、弥生が連れたプードル犬が、寵子の腕の中でちんまり収まる猫のブルに吠えた。弥生が
「コレ。吠えないでちょうだい、ロンたら」
と注意した。ロンは弥生の腕の中でくぅん、と鳴き、ブルは知らん顔を決めて、軽蔑のまなざしで犬を見下ろした。タロは気遣い宜しく、この時点でリーシュを取られていたので自由に鳳にハァハァしながら笑顔で挨拶をしに行き、頭をなでて貰っていた。
「奥様が朝寝のところ、起こしちゃったみたいで。ごめんね」
嗣芙海の顔色を伺いながら、と鳳が遠慮気味に笑っていた。
「大丈夫ですよ、鳳さまったら」
と寵子がにっこり笑った。
寵子は弥生と一緒にデイベッドに座ってペットの話に興じており、猫は寵子の膝上から直接、テレビの横の高い背のチェスト棚のてっぺんにジャンプした。ブルはチェスト棚の上に香箱座りして、下に居る犬やら飼主を見下ろした。
弥生の扱いは寵子に任せ、嗣芙海はタロの餌袋から食餌を与え、充分な水を与え、鳳と暫く話していたが、暫くして12時にダイニングフロアの2階でみなと会う事を約束して、鳳夫妻は出て行った。
扉を閉めて、嗣芙海はほぉっっと息をつき、居間に帰った。
デイベッドに座って此方を見ている、寵子に手を伸ばして、その横に腰掛けた。
「大丈夫か、寵子さんは」
「大丈夫よ」寵子は嗣芙海の腕の中に甘えてしっくりと埋まった。
「ん~、あなたの腕の中に私は旨く入るわね。ふふっ」
と寵子は含笑いして唇を丸めた。嗣芙海は寵子を抱き留め、その蕾めた口唇に軽く軽くキスした。
「キャッ、嬉し」
と嗣芙海の首元の凹みに顔を埋めて目を閉じた。赤くなりながら嗣芙海は、
「朝から無理してて、大丈夫でいられるかな。薬は呑んでるよな?」
「ん。無理していないわ。お薬、呑んでいますよぉ。疲れてたけど、20分くらいウトウトしたし、ブルやタロやあなたが居るし、私は大丈夫よ」
「そうか。よし」
タロがディベッド近くで寝転んでいた。チェストから軽く飛び降りて、ディベッドの背にブルが飛び乗った。
「ブルちゃん、ご飯食べた?」
嗣芙海が動物フロアの方向を見ると、部屋の隅に猫用の水と餌がキチンと置かれていたので、餌の皿を見ると、空になっていた。
「ん~にゃあぁぁぁ」
猫が返事した。
「全部食べ終わってるな」
「そうなのね。じゃ、人間もそろそろお昼よね」
猫と嗣芙海が同時に何か言った。
寵子が笑い出し、
「仲良くなったのね、あなた達。同時に話してる」
キラキラさんざめく日の光の様な寵子の笑い声が嗣芙海の疲れを取去り、彼の口元にも笑みを浮かばせた。
12時頃になると、2階のダイニングホール入口に軽いシャツドレスに着替えた寵子と汗のシャツから着替えた嗣芙海が二人で着いた時には、既に着替えてリフレッシュした三条真美子とあけみがお揃えの手作りサンドレスを着ていた。寵子が目を輝かせて素敵だと言っているところに、坂口が妻茗子と共にダイニングに着いて、全員揃った。鳳と三条が仕事の話をしながら嗣芙海と合流し、全員でダイニングホールの入り口から坂口のセットしてあるテーブルの方に移動した。
昼のメニューはクラブサンドイッチで、トーストされたふかふかのパンの間に挟まれた色々な肉や野菜が挟まれて、全員、美味しく戴いた。
(つづく)