【二人のアルバム~逢瀬⑲~結び事 その弐~】(フィクション>短編)
§ 3. 結び事
彼の両親は、穏やかな性格のカップルで、ニコニコとしてくれた。彼の父は、
「料理も旨いね」、
と言ってくれた。頭を下げてお礼を言う彼女に、彼は労りのサインの様に、彼女の肩を右手で抱いて、肩を揉むような動作をした。心優しくよく気が付く彼のむっちりした掌が、本当に彼女には有難かった。
この狭いアパートハウスには、両親は泊められなかったが、彼女には、この老夫婦の心には彼女の事を気遣い、心遣う気持ちが現れ、この小さいアパートハウスで二人が新生活を始める事を認めてくれた、と理解出来た。彼女は、最初、この夕食会を怖がっていた自分が馬鹿だったか、と悔うた。
彼の思っていた通り、夕食後にワインを一本開けた両親は、彼と彼女の結婚を笑顔で認め、彼が運転しなくても良い様に呼んだ近くのタクシーで、2人は予約しておいた駅のホテルまで帰って行った。部屋に帰って、彼女は着物を脱いで片づけをし始めていた。
「どう、悪くなかったでしょ」
彼が駐車場から帰り、煙草を一本口に抱えて、網戸を閉めたままで窓サッシを開けた。猫は窓辺に飛び移り、ニャルソックを開始した。
傍に猫が着た事で、彼は煙草を灰皿に潰し、
「いやぁ、肩が凝ったなぁ」
と笑顔で背伸びしつつ、煙草の煙を窓の外へ追いやりながら、独り言の様に言った。
クスッと笑って、
「何かいろいろ話合いされたのでしょ?」
と彼女が言った。丁度茶碗などの洗い物が終わり、手を拭きながら、
「有難うございました。本当にいい気持で、夕食の時間が持てたわ」
キッチンから出て来て、彼女は彼に有難うございました、と丁寧に最敬礼して頭を下げた。
彼女は、彼がお礼を言う時は、誰に対しても一線於いて、他人行儀ではあるが、礼儀正しく、丁寧に深々と頭を下げるのを知っていた。社長は彼のそんな育ちの良さを買っていた、と言う。
彼女は、彼が会社でどんなに管理者として部署のリーダーになっても、新しい会社の経営者になっても、他人を年齢や見た目で馬鹿にしたり、見下したりしない、そんな彼を尊んだ。
50代に入っても、未だ慎みが有る態度を持ち、素直で、学ぶ心をいつも持ち続け、初心を忘れぬその従順さや真摯さで、いつも奢らず厳かな態度を持ち続ける彼を、彼女は深く尊敬していた。彼を見ると、いつも 奢らず、昂らず、他人を見下ろさず、
「実る程、頭を垂れる稲穂哉」
と言う諺を人間にした様な人だ、と彼女は彼について思っていた。
今夜は、彼と同様に丁寧に彼に頭を下げる事で、好い夜の時間を彼の両親と過ごせた、と心からのお礼を意味して感謝したい、と話した。
照れて赤面しながら、頷き、真摯に彼女の言葉を聴いていた彼は、頭を振って彼女を抱きしめて、嬉しそうに言った。
「あなたの為なら、何でもする。お礼なんて、水臭い事はしなくていいよ」
「有難うございます」
ふと気が付くと彼女の脚元に灰色のブルーが着ていて、一緒にみゃあ、と一声鳴いた。
この鳴き声がまるで彼を承認した様に聴こえて、2人は噴き出した。
「あら、お前もそう思う?そうよねぇ」
彼女はそう言って笑った。彼は赤面して黙っていたが、如何にもな猫の表情に嬉しそうにしていた。
§ 4. 婚禮の儀
週が変わらない内に、彼の父が、丁寧な手紙を彼女に書いてきた。
手紙は廉潔に書状とも言うべき達筆の筆書きされていた。彼と同じ顔をしている彼の父の人となりは、文面からも、これと読んで分かる様だった。
潔くて真摯な彼が、何処から「稲穂」の様な素直さ、そして情熱的な清廉潔白さを学んだのか、手に取って、分かるようだった。文面を纏めるに、
やはり彼女が推察し、彼が後に確認した通り、夕食時、彼の養母である今の父の細君は、義理の仲だった。だが、親切そうなその顔はおよそ彼女には似ていなかった。前妻の美倭子は、病気で突然逝ってしまったそうであったからか、後妻の幸子は、筋肉もあり、しっかりした身体を持っていた。
現在の養母は、彼にも大変よくしてくれた事が、2人の会話によく現れていた。親しく、楽しげな関係で、彼女には楽に会話の出来る、ざっくばらんな雰囲気の女性だった。彼の父は、美倭子の写真を持って来た、と言い、見せてくれた。彼と彼の父は、意味ありげに、写真を見る彼女の表情を真剣に見ていた。
美倭子の顔は、確かに彼女にそっくりであった。一緒に生まれたが引離された双子が或る日、突然、出合ったのかの様なショック。彼女は、そんな感情を感じたものだ。然も、自分とそっくりで自分の愛する人を産んだその人は、もう死んでいた。
彼と彼女の思い出は、限りなく貴重であり、大切な思い出だ。同時に若し、彼が自分の許を逃げてしまったとしても、彼女は彼を思って、幾年経とうと、思い続けるであろう、と以前彼を思って泣いた時の思いが、また胸に湧き出でて来た。それ程、彼への思いは深かった。
買い物から彼女が戻ると、腹を減らした猫が食べ物をねだった。直ぐに用意をしてやり、自分にもお茶を入れて、テーブルで、彼の父への書状を書いた。後程、彼に見せて、その後送ろうと思った。
午後遅くに彼女宛に、彼の実家で誂えた白無垢が送られてきた。当家にて使われている白無垢、との事だった。まるで誂えた様にぴたりと自分に合っていた。
養母の幸子より、是非この白無垢で、彼と祝言を挙げて欲しい、との事だった。彼は両親が彼女を歓迎している印だ、と喜んだ。結婚に、回答が欲しい、もう一度確認してほしい、と彼が言った。結婚後は変わらず、彼は彼女とここで暮らしたい、と言った。彼女は、全く迷わず、
「はい、喜んで」
と、応じた。
日を翌週に控えて、彼の実家に招かれた。祝言は此処で上げよう、と彼が言った。そうすれば彼の両親は喜んでくれるだろう。彼女には、もう親はいなかったので、よもや問題はないと感じた。
(つづく)
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