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LONG WEEKEND (長い週末)

嵐の様に始まって、突然任命されちゃったひと月の仕事。
おっとりした外資日本支社で、40人程、勤めていた。
その40名のPCとWEBにかかわる事を私がホンの暫く、対応した。
不具合もあり、サインイン不可も何度もあり、PC不具合も一軒あり、まぁ、回答も出来たし、解説も出来たし、対応もしたが、何もないまま始まってしまったこのひと月の仕事は、何んとか適宜終わった。

大した「大仕事」も、NW障害も無かったけれど、それなりに不具合対応もアレコレあり、引継ぎサイトを作成しながら対応した。

今年のCHACHAは、正月が失業保険を受けながら始まり、4月末に一度、失保を出て、5月に勤めたプロジェクトが2か月で終了となり、私と一緒に働いていた数名も辞めさせられ、困って助けを求めた再求職を認められたところで一か月後、失業保険は停止された。食べるものもなくなり、電車賃もなくなった。ローカルの福祉施設は不親切だった。人を見下げる態度で、舐められて居る様な感じがした。

見兼ねた先日までの仕事のコンサルが、私の為に勧めてくれた仕事は、
「退職していく担当と後継担当のタイミングの穴を埋める仕事」
だった。

勤めた会社側は、大変気遣いしてくださり、右も左もわからない私に大変理解を示して下さり、社員は残らず、フレンドリーだった。企業側は、ひと月だけの仕事だったからか、大したストレスを持っていなかった。

私も入った当初にはそう大きなストレスが無かったが、会社を出て行く方の引継ぎを受けるにしたがって、出て行く方の担当自身はその用意がなく退社する事になった事、転職先が見つかっても簡単に辞めさせてくれず、その為に本社から引継ぎを要求され、ホテルを取って徹夜をして用意している模様だった。

日中に私と後継担当に話をしている事が、少し理をなさなかった事などあり、私も混乱し、辞めた後も社内に入ってきて長々と干渉してくるようになった前担当についてコンサルにも相談しつつ、何んとか対応していった。

後継は外国人で、俗によくあるアトラシアン系の社内ページに引き継ぎ内容を英語化して掲載するのが私の仕事の一つだったので、黙々とソレをやっていた。外国人後継はコレを少し読んで、私が英語が話せる事でかなり安心したのか、色々と電話やチャットでアレコレ訊いて来たのでさらにコレを機にConfluenceサイトを追加したりして、この担当にとって虎の巻になる内容にしてやった。

何せ、久しぶりに始めた仕事で、失業保険再支給のおっとりな世界から、急に実務主義の中に返り咲き、ソレが成功かどうかも分からずに社会復帰、ワイルドなひと月だった。最初の日に財布を無くし、それを気付かずに週末を過ごし、同じ日にソレを二度繰り返した。

営業さんが私の顔を見憶えてくれていて、財布を二度、届けてくださった。社長補佐はコレを見て私が認知症なのかと思い込んだりしてちょっとした騒動だった。が、営業の彼は私をそのように決め付けたりはせず、余程ストレスがあるのだろう、と思ったらしく、結構親切にカバーしてくれた。

いずれ、用事を承る毎に馴れてきて、電気製品からPCのディスプレイの接触不良、Webのログイン不可からオンライン保護しているサイトの容量増加や容量整頓まで、アレコレと仕事を頼まれて故障を直したり設定し直したりしている内に、社長補佐からお礼を言ってくれたり、営業から依頼されたりするようになった。最初は忘れ物をしたりで「遣えない」、と思ったかも知れないが、少しづつお礼を言ってくださるようになり、まぁ、周囲も質問も沢山してくださる方もちらほら見えてきた。

最後に、この超単発の仕事を受ける事にして直ぐに決まった大企業のサポート職も無期限派遣で受けれる契約に書き直されて、ラッキーな事が続いた。最初の試用期間は3か月だが、その後また年毎の契約になる、と言われ、求職に疲れて居た身には嬉しかった。同時にこの超単発の仕事がソレの用意のようなイメージだった。

後継の外人の男の子は、まだ20代後半で数日前に同棲していた日本人の彼女と結婚する事になり、そのせいで着任時期がズレた。まだまだ若いけれど、知識はあるし、余計な事を言わないいい子なので、長く続いてくれるといいなと思っている。

最終週には色々と用意していた物も段々準備完了でヒマになって来た。次の仕事の行き先などもチェックしたりして、来週の用意もかねて契約書が送られてきたり、自分の所属会社から色々とサインを要請されたり、一読する事を要請されたり。今月で、当初ドジが続いても、社会復帰的には出来て来たので、用意は万全、となった感があった。

神様が用意した二つの仕事。一つ目が二つ目の準備をしてくれた。二つ目はどうなるだろうか。楽しみだ。





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