凪(フィクション>短編)
§ 3.始動
鳳のグループとプロジェクトをリードしてきていた三条が嗣芙海を訪ねてきたのは、佐々木の契約を嗣芙海が手に入れた週末だった。
佐々木のラヂオ屋店舗来訪の帰りがけ、アパートメントハウスの駐車場に着いたところで、三条から電話が入った。
「はい」
「三条です、お疲れ様です」
「おぉ、お疲れです」
「あのぉ、お時間欲しいんですけどぉ。オフィスには...?」
「あぁ。ウチでリモートしとるよ。暑くてオフィスに行く気がせんわ。管理会社の間波磔君が物件についてはケアしてくれるんでね。何で?」
「いや、鳳様のお客様のプロジェクトがこの度終了した事もあるし、他に何かあるかなぁと…」
三条は、たまたまPM選びに苦心惨憺する嗣芙海のところに来てくれた、以前の職場の嗣芙海の気に入りの部下である。寵子が倒れた際にも、居度端君、と言う有能なPMにもなれる様なコミュニティエンジニアにもなれる様な人物を連れて来てくれた。
居度端君は、三条に惚れ込んでおり、三条の職場にしか入りたがらず、変わり者だったが、居度端君のお蔭で、三条は寵子のサポートを必要とせずにいられた。
「あ、プロジェクト、探してる?俺ね、三条はもう鳳さんが次のプロジェクト見つけちゃったかと―」
「いいえ。全然。ちっとそのせいで困ってるところです」
と含み笑いしながら、三条が言った。
「なんかいいプロジェクトが―」
「―あのね、有る、有るよ。有る、有る。話、してみたい?」
喉から手が出ると思う程、勢いよく返答した嗣芙海に動揺した三条が、
「はい、お願いします。何時にお伺い出来ますでしょうか。午前中なら―」
「―あ、そ。じゃ、明後日、土曜日だっけ?悪いけどさ、土曜に来れる?」
「あ、土曜日。は、イイですよ。実は有楽町でカミさんと落合って夜に食事に出かけるので、昼頃より前だったら―」
「ウチもさ、昼頃、寵子さんが病院で、俺、一緒に行ってやりたいのね。その後、二人で食事でもして帰りたいし。で、だから、その前が好いな、と思ってます」
「承知しました。午前に伺います。いつごろ尋ねましょうか?」
「11時には一緒に病院へ出るつもりなんだけど、10時ごろに来れそうかな」
「了解っす。じゃ、朝から午前10時って奥様は早過ぎませんか」
「うん、大丈夫。専門医の命令で俺等は起きる時間を毎日、同じ時間に設定してるし」
「畏まりました」
「うん、階下に着いたら、電話してよ」
「分かりました」
週末、土曜の朝、三条は、嗣芙海の建物に午前10時きっかりに着いた。
事前に電話すると、上機嫌の嗣芙海から、
「階段上って来てくれる?」
と言われ、階段を上ると二人の部屋へ向かう入り口があり、其処でサッパリした表情の寵子がにこやかに扉を開けて待っていた。病気になったと聴いてから一度も会っていなかったので、三条は元気そうな寵子に微笑みかけて挨拶した。
寵子はご機嫌よく、病気もそう触りが無い様子で、すっきりした表情が印象的だった。
三条は寵子の顔色が良くて、嗣芙海の為にホッとした。
「おはようございます。お元気そうで良かったです。お邪魔してすみません、お忙しい時に」
スリッパを並べてくれる寵子に三条がそう言うと、
「おはようございます、ご無沙汰して。いいえ、三条さん、こちらこそ。コレ、スリッパ、履いてね。督葉羅が色々ご迷惑おかけしています。すみませんね」
大事にしてください、という三条の前に、にっこり頷き自分のコーヒーを取りに台所へ引っ込んだ寵子の後ろから、二つのコーヒーカップを抱えた嗣芙海がにこやかに現れた。
「よぉ。丁度、コーヒー淹れたんだぜ、ホラ」
嗣芙海がカップを三条に渡し、
「目覚めの一杯。おはようさん」
と、遅ればせの朝の挨拶をした。
「あ、有難うございます❣❣❣」
三条は、嬉しそうにカップを受け取った。
淹れたてのホットコーヒーが好物で、頭痛で今ひとつのムードでも、嗣芙海がコーヒーを淹れてやると、喜んで呑んだ。嗣芙海の淹れるコーヒーはそれ程、旨かった。
三条は軽く一杯呑み干し、嗣芙海が入れ直したカップを有難く嗣芙海から押し戴いて、嗣芙海の後から続いて一緒に玄関から入って左のオフィスエリアのパティッションに入った。
寵子はマグカップにコーヒーを淹れて、自分のPCが置いてある台所のテーブルに着いて、如月の診察の用意の為に日報手帳を見直し、化粧などをしたり、医者に着て行くモノを選んだりした。
10時40分にもなると、嗣芙海がオフィスエリアから顔を出した。
「寵子、用意どう?」
「出来たわ。ブルちゃんに挨拶するから待ってて」
「じゃ俺もタロに挨拶する」
二人は自分の担当するペットに短く挨拶し、5分もすると、丁度、オフィスエリアからコーヒーマグを以て出てきた三条が、
「ごちそうさまでした。相変わらずおいしいですね、このコーヒー」
と言って、嗣芙海にカップを渡した。嗣芙海は自分のカップと一緒に受け取って、台所に運び、寵子は着替えて、薄いオレンジのサンドレスに着替えていた。
医者では診察の事を考えて、女性はパンツスーツは履かずにスカートなどにする、と三条は聴いた事があり、その通りだな、と寵子をみていた。
3人でペットを室内に残してクーラーをつけたままの部屋を出た。猫は台所から、犬は玄関で見送ってくれた。
黒の大型4輪駆動のジープに三条も載せて貰い、駅まで一緒に来た。
寵子が助手席に乗り、嗣芙海が運転手席に乗った。三条はパッセンジャー席の後ろの席に乗った。ベビーチェアの代わりに動物病院へペットを連れて行く時の大きなバッグや、嗣芙海の付き合いなどに使われるゴルフ用具がたくさん雑然と置かれていた。
最近では、近隣の近場の現場で嗣芙海は顧客を見つけて来ていた。鳳に気に入られたのも、三条と居度端君が二人で有能な作業をしてくれたからだ。三条や居度端君の働き方で鳳は、嗣芙海の仕事ぶりも観察しており、今のところ、問題はなさそうだった。プロジェクトの紹介を色々してくれる鳳に嗣芙海は感謝していた。
駅に着き、三条を降ろしてやり、挨拶をした。
「悪かったね、わざわざ来させちゃって。来週、実際に佐々木さんに逢ってもらうんで、時間の確認いれっから。居度端君も一緒にね」
「畏まりました。是非。面白そうですね」
「う~ん、ローカル組だからなぁ、ははは。じゃな」
「はい、また来週」
寵子がにこやかに手を振り、嗣芙海と寵子は三条を駅に残して総合病院へ出発した。
夏の季節は、高血圧患者はやり易いものと聴いていたものの、こう外温が高いと、室内のクーラーが効いている所に外の熱暑から突然入ると、体内で温度調整せねばならなくなり、夏も冬同様、非常に高血圧患者にとっては難しい季節になっている。あんまりにも暑い日に移動が多いと、寵子は体調が悪くなる。今日は嗣芙海が一緒だし、嗣芙海の寵子の面倒とケアの方法が正に寵子の望み通りで完璧なので、ストレスが無かった。
総合病院の如月医師は、診察室に入って来た時に、一目寵子を見て、自分も上機嫌になった。寵子がにこやかに主治医に笑いかけたからだ。
外出時間が重なると睡眠時間が短くなりがちな寵子の癖を知っている嗣芙海が寵子の時間管理をしてやっているので、ケアをしてやればやる程、寵子の体調はすこぶる良くなった。血圧の日報手帳を看護師に手渡し、如月はそれを受け取って中を確認した。やはり血圧が高めの状態を数日、認識したが、薬をキチン取って居る事、取り忘れても、慌てて呑むときちんと低くなる事が数値で分かって居るので、如月はこれ以上は処方箋を増やすつもりはない、と言ってくれた。
如月の看護師が血圧を測ったところ、むしろ低い位だったので、
一安心、となった。今日の診察は結構簡単に終了した。
「無理はなさらぬ様に、リモートが出来たらその方が好いですね」
と嗣芙海に如月が直接言ったので、嗣芙海は最敬礼して、
「了解しました。実際、私も暑くて参っているので、リモートで行こうと思っていましたので、寵子もそうさせてます」
と言った。
病院の薬局で薬を貰う手配をして、待合に入り、大体あと一時間半は懸る、と薬局の担当に言われて、嗣芙海が時間を見ると、丁度昼が終了した辺りの時間になった。
嗣芙海は、空腹の腹の音を聴きながら腹を右手で抑えた。
「…、腹が鳴ってる。んんふふ」
寵子がソレを聴いて笑った。
「大きい音だ事」
「…なぁ、腹空いたな」
「ん、お腹空いたわ~」
「だな。帰りに昼喰っていこうか」
携帯を見て、この辺の店舗を確認しようとすると、
「きゃ、嬉しっ」
寵子が横に座っている嗣芙海にもたれて甘えた。
嗣芙海は、待合の長いすから立ち上がって、担当に、飯を喰いに行くので、一時間半もしたら薬を貰いに来ると話し、担当も了解し、番号札を受け取った。担当は一時間半後に薬を受け取れるように用意しておきます、と言ってくれた。
嗣芙海は車を走らせ、寵子を病院通りの近くにある、咲良和食レストランに連れて行った。如月がいる病院は、S県のIR郡の近くに位置しており、周囲は市内第二小学校と畑が病院を囲んでいた。この辺は丁度、寵子のアパートの隣町あたりだった。
畑ばかりの草原の様な場所に病院が建設されて、一年しない内に食堂やレストラン、ドライブイン、バス停留所が増え、病院が救急治療を開始してからは、地元の高速道路公団もF口を作り、病院通りまで救急車が下りれるようになった。近くのK駅が開発されてからは、送迎バス付のショッピングモールも其処此処に出来た。
市内第二小学校の大きなグラウンドの横道に入り、ショッピングモールの裏に出ると、咲良和食レストランの裏口が丁度、見える様になっていた。
駐車場はモールの裏側なので、わざわざ正面から入るより、裏から入って、店に近いところに車を停めた。車を出たら、店の建物なりに右に入れば正面口だった。
寵子はこのレストランが好きで、和洋折衷の食べ物の飾り方からしつこくない味付けと塩を控えめにしてくれるところまで、気に入っていた。今日は、着ているドレスのオレンジ色に負けない程、寵子がニコニコして華やかだった。
寵子は人に気遣いする質で、余程我慢できない状態でない限り微笑を絶やさない。嗣芙海は彼女と長く付き合ってから結ばれたので、大体表情一つで寵子の気分は読めた。
病気が酷いと、酷く鬱陶しそうに苦しそうになる寵子の表情を知っていた。だから、顔色も良く、華やかな今日の表情は、元気の印で、嗣芙海は安心していた。いつも通り、嗣芙海は自慢の様に頬を染めながら彼女をエスコートして、
「僕のお姫さま」
と寵子に話しかけ、ウェイトレス達に笑われながら、一緒に寵子はけらけらと笑った。
二人でクスクスサラダと小さめのヒレカツを頼み、寵子は玄米ではなかったので、白いご飯を遠慮した。嗣芙海は腹が空いていたので、白米を戴き、二人は満腹で病院の薬事課の薬局入り口に帰って、薬を受け取った。
車に乗ってから、自宅に帰る前に、寵子に許可を得て、ショッピングモールの中にある、ラヂオ屋第二号店に立ち寄った。もう店主の佐々木の義弟、林氏夫妻とも顔合わせ終了済だった。店によると、妻の佐々木の実妹、房子さんがにこやかに迎えてくれた。
房子夫人は、寵子とは初顔合わせだったが、寵子がにこやかに対応し、房子も明朗だったので、何ら問題なく挨拶が出来た。嗣芙海が実際に第二号店舗に来たのはこれが初めてであった。
第二号店舗の開店はまだだったが、一度自分で店を確認しに来たかった。店内は、引っ越し直後の様に製品の入った箱やPOPが店の中に散らばっていて、アルバイトの若い青年達が色々と運び込み、忙しく出入りしていた。開いて暫くは昔佐々木が作ったレジ機で対応するが、開発プロジェクトが終了したらきちんとPOS導入予定にする、と佐々木社長は説明していた。
店も結構なサイズで、そう簡単に潰れそうではなかった。
鳳の話では、佐々木は個人の商売をしてはいるが、商売が途中でつぶれる事はなく、将来性がある、と嗣芙海に話していた。
ITプロジェクトが途中で頓挫するのは、周囲の担当に酷い迷惑が懸る。大体の場合、この手のネットワークの小さ目な零細企業だと、予算や急場の金の手配が出来ずにつぶれるのが殆どだ。
この話が鳳から入った際、小売クラウドツールでコンサルとして興味はあるが、POS開発と言うと、精密で店舗経営に深く関連する装置となる為、時間が懸るだけでなく、金もかなり懸る、と一度断った。
が、鳳が佐々木の家族が後ろで予算についてはバックアップするし、佐々木社長の叔父が経営している市内の郵貯銀の資金援助も承認が得られた、と覚書を見せてくれて、一応銀行もバックアップしている、と説明した。
また、「家族ねぇ」と渋った嗣芙海に、鳳は、佐々木社長の実家が地元のかなりの土地成金である事、鳳のゴルフ場のオーナーで、鳳のコンサル会社のバックアップもしてくれている事、佐々木家はこの辺では何万反とある畑を売る事で金儲けをした事など説明し、佐々木社長を頓挫のプロジェクトで辱める事には絶対ならない、と嗣芙海を説得していた。
ショッピングモールのストアを巡ると、他店でも、大体が大小を問わず、POSを使って製品のバーコードを読み取り、POS装置がレシートと会計を実施していた。中にはセルフサービスで客が実際にPOSを使って読み込みもしており、寵子などは良く買い物に行くと経験するらしく、嗣芙海より上手にPOSを使って嗣芙海に過去、経験したPOS開発について話をしてくれた。
町の商店街で使うPOSだったら、精々小さなバーコードリーダーを手で持って使うと思っていた嗣芙海だったが、今では商店街の店であろうと、クラウドネットワークでPOS機能を付けた装置が使われていたのだ、と時代遅れな発見をして、嗣芙海は我ながら呆れたりした。
自宅に帰ってから、寵子がシャワーを浴びてる間に嗣芙海は三条に電話し、実際に訪ねてきたラヂオ屋第二号店の印象を話し、小売業におけるPOSの展開についていろいろリサーチして社長と話せるように設計についても考えろ、と指示した。
寵子が実際には過去に数件、POS開発を以前PMOとして対応しており、知識も多少持っていた事が、非常に助けになると思った。
「やっぱりあなたは俺のミューズだ」
口に出して言っていた、と気が付いたのは、シャワーから上がった寵子が
奥から
「え?何か仰いました?」
と訊いて来たからだった。
「何でもないよ」
とにこやかに言って、自分もすぐにシャワーを浴び、二人で冷たいものを呑みながら、次の佐々木のプロジェクトについて、嗣芙海は詳細を寵子に話して聴かせた。ダイニングエリアの窓のカーテンを開いて、外景を見ながら、寵子は嗣芙海の話を黙って聴いていた。
(つづく)