人は一人では生きていけない(YOU CANNOT LIVE ALONE IN THIS WORLD)
人は一人では生きていけない。
「俺は一人で生きているし、一人で生きてきた」、
と胸を張る奴に限って、若い頃に苦労していろんな人に助けられている筈だ。其処のお兄さん、一緒に思い返してみようよ。
この振返り行為を邂逅と言う。思い返して猛省し、振り返ると言う意味である。
私はご都合主義で自分勝手な人間だから、他人を振り廻す事も多いし、神は私に病を与えて、邂逅をさせられる。だが、真正直だ。この真正直さで困った事の方が多いが、振り返れば、いつも、そこに見知らぬ人が居て、私が転べば助けてくれて、手を貸してくれた。
だから、猛省はいつもしなければならない。インフルエンザに罹患したり、病気がなかなか治らない時や、眠れない夜や、咳が止まらない夜、神が私に何か猛省してほしい時なのかな、と思う。
インフルで寝込んで、医療費に苦しみ、猫餌を買ってなかった私は、猫の餌が切れてから気が付き、その後、眠れなかった。
夜、自分の責任で動物を、然も元腹を空かせていた野良猫を、また腹を空かせてしまい、一晩、餌が少なくて、少しでもにゃあにゃあと腹がへって鳴くような目に遭わせると言うのは、動物スキの私には、地獄だった。
猫の保護会の元親の奥さんから、
「保護猫の仕事に関係してるから、もうこの様なことは二度とは繰り返せないです。今回は緊急事態だし、あなたが病気だったしね。餌、たくさん持ってきたから、取っておきなさい。わかるわ。病気すると医療費、辛いよね。
…、でも、次に、同じことが起こったら、ウチでココに来て、猫を返してもらいます。この子を引き取りに、主人が来ます」。
「しません、信じて下さい、死んでも猫は守ります」、と言った。
この一言で甘い気持ちは吹き飛んだけど、猫への済まない気持ちを沢山感じた。
「二度とお腹、空かせないからね」、と。
同時に、今回、チャンスをくれた奥様に有難く、頭を下げた。
「身体に気を付けてね。健康に」。
「はい」
最敬礼した。今回は朝早くからまだ寝てる旦那様に秘密で来てくれたようだった。ホントに有り難かった。涙が出た。
私は、アメリカで言葉を話せないところから一人で暮らし始めて、12年滞在した。その間、つくづく一人では生きていけない事を自分自身の奇妙、且つ、苦労の多い経験でよく理解した。困った時は、見知らぬ人の情けで生きてきたと言える。
この世の中、金がすべてでもないし、地位がすべてでも立場がモノを謂うワケでもない。けれど、何もない人間からすれば、それらはモノを謂う。
何もない私の様な人間は、時にそういう現実社会に叩かれ、時季的な病気に最悪のタイミングで罹患したり、後先考えないまま、何もかも無くしてしまい、困ってしまう事が多い。時に、そう言う時に優しさを分けてくださる人達は、有難い。時に、そう言う人達は、まったく凄く親しい友達でもないし、通り掛かりの人達なんだ。
情けを架けてくれる人達を、大切にせねばならない。自分を信じてくれた人達を、大切にせねばならない。コレは、私がこの人生で学んだ言葉だ。
ケアパックを届けてくれた教会の牧師や、職場の同期、たまたまそこに居合わせて、損籤を引いた様な気持で助けてくれた、同僚。そんな人、なかなかいない。
一度でも私を助けに来てくださった方々、有難うございました。
神の御加護を心からお祈りします。