月夜に祈る事
凄く月が綺麗だった夜、占術師の友人から、メッセージが届いた。彼女には霊感があるそうで、私が頭に浮かんだと言う。
うん、と答えた。彼女も頷いた。
「そうね」、「まずは彼を知る為に相談事を聴いてやる耳が必要かもね」。
イヤ、恋愛は別にして、相談事は私の許によ〜く持ち込まれる。既に或る一定の年齢なので(苦笑)、年下の連中の相談話をよく聴いてやる様になった。大体、相手の考えも言われなくても「あ、こう言う事ね」と想像 出来るようになってきて、良い年だ、私も💦
特に私が惚れてるこの好き彼の場合、(クリスチャンではないけれど)、私は彼を心からこよなく愛しているので、彼の幸せを望んでいる。
彼が悩んでいて、苦しんでいて、彼の悩みや悲しみを私が聴く事で解決に向かう方向性があると言うのなら、是非やってやりたい、と答えた。
そう言った瞬間、血液型の権威で本を沢山出版された能見正比古先生がその著書の中で真実の愛を語っておられていたのをふと、思いだした。
自己犠牲の愛こそ、唯一無二の神の愛だ。
主 イエスが我々罰当たりな者たちの為に流した血やとげだらけの鞭の痛みこそ、元々は無神論者の我々の為に流した血である。
クリスチャンになった後、この能美先生の数節を思いだしたものだ。
相談事を聴く時に必ずやる事は、最後に相手の幸せを祈ってやる。経験から、アドバイスを次々と並べても、誰も頭から色々と命令されたりするのは、嫌なものだ。御託並べて従うワケない。結果的に心の底から聴いていない。
だから、最後に、聴いた事を全部一纏めにして、その人の前で神に祈ってやる。最後に聴くこの祈りの言葉が意味をなす事も多いので、話した場所が教会でなくても、祈ってやる事は多い。
祈られた者は、大体が
「さっぱりし、心が軽くなった」
とスッキリした感覚を言う。
まず、思い悩んでいた事を他人に相談すると気が軽くなるので、その反応。
そして、私が祈ってやる事で、相手の方の脳に移り住んでいる忌まわしい悩みの根源が、神に相談内容を伝えてやる事で、消えるからだろう。
聖書に拠れば、神は真摯に祈る者があれば、神はその頭(こうべ)を御掌によって触れ、神の守護、神の加護を感じさせてくださる、と言う者も居るし、神からの祝福だ。
預言者イザヤは、旧約聖書の自著で神に祈ると、その耳の後ろから神の御言葉が聴こえる時がある、と書いた。
これは勘の様に本能的に感じるモノで、右・左に分かれる道をどちらへ進むか、と神にお尋ねすれば、神が指示してくださる、と言う聖句があるが、よく遣わせて頂いている。
心の中で悩んで堂々巡りをするのは心に健やかさを齎さない。悩みにはいつも、祈って神に託して、神のアドバイスを待ちたいものだ。わが好き彼についても、心の底から彼の心が健やか、穏やかになる事を祈るばかりだ。
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