頭のいい人シリーズ。この前に読んだ西岡壱誠さんの本の中で独特なものの見方が出来る人で紹介されていた。 本を読むことの利益のひとつは自分だけでは出来ない目線やものの考え方を知れること。分かってはいるけれど、あんまり好きじゃない人の本は食指が進むものではない。 ホリエモンが言うように、僕もひろゆき氏は人を小馬鹿にして見下して生きている人という印象がありました。でも本著を読んでみると少し違いますね。日本の報道というフィルターの影響が大きい。 人の話は聞いてみるもんです。き
このところ全然小説の気分にならない。今回は東大の若いお兄ちゃんの本を手に取ってみた。頭のいい人の本だ。 僕が頑張って入った大学は大した偏差値のところではないが、この本で言う「世界の解像度が高い」人は居た。バンド活動なんかも含めて、東京ではこういった人たちにたくさん出会った。いつしか僕はいつもこの種の人たちを参考に生きていた。頭のいい人たちに憧れていた。 なので本書の内容はなかなかの共感度だった。とにかくこの手の人たちは関係していて面白い。面白いと言う言葉が適切かどう
人間の先入観というものがどれほど他者との関係性に置いて厚く高い壁になり得るか、それを思い知った。 他者と接するときには、事前あるいは現在瞬間的に得た情報だけで、ある程度の期待を相手方に対して持っている。本を読むことも同じで、ベストセラーだったり広告や評判からその本や著者に対して先入観を持って読む。そしてその期待を上回れば感動し、下回れば失望するわけだ。 要するに全然つまらなかったんだが、僕の読みが浅いという問題もはらむ。 とにかく読み辛い。これも先入観の悪行だろう
久しぶりにアドラー心理学に帰る。岸見一郎先生の著。 本著はリーダー論としているが、アドラー心理学にしてみれば対人関係一般論だと思う。アドラーはそもそも対人関係は対等であるべきと横の関係を論じているので、縦の上下関係を有害だとする。 ほめることも、叱ることも、カリスマも対等な対人関係ではないから弊害が発生する。それらは全て現代リーダーシップの誤解であると説く。 生産性で個人の価値は決まらないとしてはいるが、課題の分離などはドラッカーのマネジメントと通づる点もある。マ
近頃齋藤孝先生の著書がよく目に留まる。相当の著書を出版しているというのもあるが、本屋さんで物色していると、そうだ、僕はこれを考えたかったと思って手に取るパターンが多い。 本著はデカルト。方法序説は文庫本だと薄いけど、こんなに削ぎ落として端的にまとめられるの??っていうくらい読みやすい内容。 ちょっと難解な、教科書に載るような古典文学を読んでいると、サロンみたいな場所でディスカッションしたくなるのだが、齋藤先生の本はまさにその感覚が得られる。大学に行き直さなくても本にお
僕は本を読んで考えます。考えるために本を読みます。 何のためでしょうか。今出来ることをやるためです 何のために生きているのでしょうか。分かりません。人生の設計は出来ません。明日、1分、1秒先に何が起こるか分かりません。そういう意味で刹那的に生きています。 幸福でありたいと思います。社会的評価は分かりません。 僕より頭の良い人は五万といます。それでも僕は日夜存在していて、考えています。 僕は今を存在するために、考えるのです。 インスタに投稿していた読書感想文