私と同じあなたへ -嫌いはキライでいい-
「嫌だなぁ、嫌いだなぁ」という気持ちにフタをしている人はいませんか?
「いやいや、嫌いなものは嫌い。自分の気持ちくらいわかってるよ~」と思っている人のなかにも、知らず知らずのうちに「嫌い」をないものにしていることがあるかもしれない。
特に「人」に対して。
身近な人を”嫌い”と思うとかえってしんどくなったり。
誰かを嫌いに思う自分の感情を、幼いと感じたり、悪い感情だと思ったり。
それは私です!
幡野広志さんに関する記事をここ一年半程追っています。
対談形式で幡野さんが考えていることがわかるのが、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)の企画にいくつかありますが、幡野さんとしいたけさんの対談記事を読んでみました。
幡野広志さん(写真家)という方はすごい方で、撮られる写真も素晴らしいのですが、中身が、考えていることがすごいのです。私の心のボールの底にたまったドレッシングを、大きなスプーンとフォークでわっしゃわっしゃとかき混ぜてくれるようなことをしてくれます。幡野さんの考えに触れるなかで毎回自分のなかで気づくことがたくさんありますが、今回私はことごとく「嫌い」という感情にフタをしていたな、ということに気づいた次第です。
フタの仕方はこうです。
はじめは意識的に(嫌いと思っちゃいけない!)、そしてだんだんと無意識に(嫌いってどんな気持ちだったかしら)…
無意識にそれをするようになると自動的になるから、加速がついてどんどんやりすぎになります。
善人でありたい、と思う自分がいる。
「嫌い」という感情はネガティブなもので、持ってはいけないものだと思っている自分がいる。
「嫌い」という感情は幼さからきていると思う自分がいる。
幼いままいてはいけないと思っている自分がいる。
「嫌い」なことと折り合いをつけて、見ない、感じないことが幼さからの脱却だと思っている自分がいる。
その先にあったのは「嫌いがわからない」!
というか、認めるのが嫌なだけなんですね。怖いというか。
もうさ、コロナもあるし、いつ自分の人生終わるかわからないわけですよ。
これを続けていたら、死ぬ間際に絶対後悔すると思うんです。
なので私は「嫌い」を思いっきり意識して生きてみようと思います。
嫌いな人に「嫌い」って言わなくてもいいんです。心で思うのは自由だ。
毎日がなんだか苦しい人は、ちょっと意識してみませんか?