随分と前、私が大学院生のころ、
遅く起きた休日に、ぼぅっとテレビをみていた時のお話。
ついていたのは某テレ◯の「◯子の部屋」でした。
何やら誰かの追悼番組をやっているのかしらんと観進めていると、
そこには若かりし頃の黒◯徹子氏(以降、徹子氏)と森◯久彌氏(以降、久彌氏)ではあるまいか。
おお、若い若い。玉ねぎかわいい。
けれども、どうやら様子がおかしい。
徹子氏はシベリヤ抑留の話を久彌氏に話しかけているようだが、
久彌氏はのらりくらりと釈然としない回答で、
一向に話し始めていない感がある。
徹子氏はついにプッツンとして、
バッと立ち上がって、
「困ります!!!こたえてくれるというお話だったじゃありませんか!!」
だなんて、
ぼけっと観ていた私は、おや?これは放送事故的な展開なのか??
とヒヤリとして見つめた。
そして、暫しの沈黙があたりを包む。。
あれま、徹子氏のこんな怒ったところを初めて見たもんだ。
困りましたね〜、どうする久彌氏。
そしてやっと、久彌氏が口を開いて暗唱したのは、
萩原朔太郎氏の「利根川のほとり」という詩でありました。
以下、青空文庫より抜粋。
利根川のほとり
きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ
久彌氏が語りたくない過去の苦しい気持ちを、
萩原朔太郎氏の詩で徹子氏にこたえたその一瞬を、
何かすごいものを観たような、
空気が変わるのを感じました。
私はそれを聞いた途端におんおんと涙がとまらなくなってしまって、
画面を見ると徹子氏も泣いてしまっていて、
大変大変、びっくりと同時に、
久彌氏の語りかける声色と、
萩原朔太郎氏の利根川のほとりが、
妙にぐっと私の心になだれ込んできて、
感激感銘を身をもって体感しました。
いやはやそれ以来、
萩原朔太郎氏が気になりだしてしまって、
ちょうど世田谷線沿線の美術館で展示があるというもんだから、
これは行くしかないと。
マンドリン奏者でもあったのね、だとか、
猫好きなのね、だとか、色々と知ることができました。
朔太郎氏の詩はどれもロマンチックで優雅なんだけれども、
リズムが厳しいというか、
言葉よりも音とか韻とか優先してるんでないか?
と思ってしまうほど、
声に出してみると口当たりがいい。
そういったところが、
何だかグラフィックデザインにも通じるというか、
情緒的なようで結構計算して企画しているというか、
演出力も重要ですもんね。デザインて。
って、知ったような口ぶりで申し訳ないです笑
朔太郎氏のことは『月に吠える』とか、
教科書では知っていたのだけれども、
改めてこうゆう機会に知るというのは、
劇的で面白い。
勝手に運命なんか感じちゃって、
展示で購入した朔太郎氏の作品集を読み返してみたりするけども、
あれ、、、
利根川のほとりが載ってないじゃん〜、これ〜。
萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)
1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日
日本の詩人。
《代表作》
『月に吠える』(1917年)
『青猫』(1923年)
『純情小曲集』(1925年)
『氷島』(1926年)
『猫町』(1935年、小説) など