【アニメ】がんばっていきまっしょい評:キモヲタと進学校の狭間で藻掻け!
悦ネエこと悦子は何事にも無気力で斜に構えた、しかも自己評価の低い、進学校の女子高生です。付き合いでボート部に入りますがあまりやる気もありません。
こんなやつ進学校にいねーよ、と言いたいところですが実は稀にいます。モデルになった高校のケースだと、とにかく倍率が低いので中学の進路指導を無視して受験して合格してしまう人がたまにいて、そういう人が無気力で自己評価の低い人になってしまいがちなのです。変にリアリティがあるといえばあるのですが、アニメ制作陣がそこまで考えていたのかはわかりません。1995年の坊っちゃん文学賞受賞作である原作小説の悦子は全く異なるタイプです。
原作の悦子は多少シニカルなところはあるものの、やる気に満ちあふれた活発な女子高生です。進学校にもそうじゃない高校にも普通にいます。漕艇(ローイング)の魅力に取り憑かれて、女子ボート部を復活させようと奔走するリーダータイプです。
この原作小説の映像化はこれが3回目になります。1998年の田中麗奈主演の映画はキネマ旬報ベストテン3位の高評価を得ました。2005年には鈴木杏主演でドラマ化もされています。約20年ぶりの映像化にして初のアニメ化です。
個人的には、どう考えたって原作の悦子のが良いキャラだろう、と思うのです。少年漫画の主人公なんて軒並みそのタイプだし。
ところがネットでアニメの感想を拾ってみると、悦子の自己評価の低さに共感した、みたいな意見が結構目立ちます。
いまや小説も映画ドラマも漫画もアニメも共感できるかどうか!が大衆の評価基準になってしまっている時代です。ラスコーリニコフに共感して強盗すんなよ若人よ。
進学校の賢くお育ちの良い女子高生がそのまま漕艇スポ根をやったところで、共感は得られにくいのです。
じゃあ進学校設定やめて普通の高校にすりゃいいじゃん、と思うでしょうが協力にがっつり当該高校とその同窓会が名を連ねているわけです。制作費調達に当該県の財界も噛んでるだろうしな。
そもそも私がこれを観にいった理由も、同窓会が大騒ぎしていたからだったりもします。
空っぽの悦子の再生の物語…になるのか?!
モデルになったのは正門前のヤクザが黄色いポルシェに乗っていた高校です。
アニメはもちろん原作にもヤクザは出てきません。そもそもアニメの舞台は原作の描いた '70年代ではなく、暴対法以降の令和の時代です。
ちなみに原作者の敷村良子さんは友人の配偶者の従姉妹さんです。ものすごく簡単に言えば赤の他人です。
赤の他人で面識もないわけですが、大して遠くもない時代に同じ高校に学んでいたわけで、ずいぶん昔に原作小説を初めて読んだときに、
えっこの人の目にはこの高校てこういう風に見えてたんだびっくりした!
と、認識のズレにわりと驚愕したわけですが、認識なんてものはみんなそれぞれズレてるもので、私も敷村さんもほかのOBOGも皆が納得する状態なんてもんはないわけで、だからそれは別段重要なことではないです。
なおこの項を書くために約四半世紀ぶりに原作を読み返したところ、違和感はとても減っていましたので、私もずいぶん人間丸くなったもんです。
さて、悦子が無気力で自己評価の低い娘なのに対して、相方のヒメはじつに良いキャラです。小柄で可愛い外観なので甘えん坊キャラかせいぜいヒーラーキャラかと思ったら、なんとヒーラーではなく彼女がリーダーです。
心温かく、かつ冷静で聡明でつねに全員の状態に目を配ります。先頭に立って皆を引っ張る父親型リーダーではなく、後ろから皆の背を押し整列させる母親型リーダーです。小柄なヒメが後ろから背を押したら本人が見えなくなってしまいますが、彼女は皆の '母' なのでそんなことは気にしません。
作戦を立て皆を従わせるのもコックス(舵手)たる彼女の仕事です。ていうかこのアニメはコックスの仕事をわりと丁寧に描いています。ちなみに艇が事故を起こしたときに艦長たる責任を負うのはコックスです。
リーは埼玉からの転校生で、やたらやる気があります。なぜ彼女が漕艇に魅了されたのかよく説明されないまま、悦子たちも観客も彼女の漕艇への情熱に振り回されます。ボート部を復活させようと彼女が奔走するまでもなく、部員は集まってしまいますが。
ポジティブで自己評価の高い、いかにも進学校の女子高生らしいリーですが、男性恐怖症という設定が付与されます。埼玉の県立進学校の一部は現在でも男女別学ですから、そのうちの一つから転校してきたのでしょう。いささか戯画的ですが、ってアニメにその表現を用いるのもなんか変ですが、まあ許容範囲内です。
原作の悦子のリーダーシップをヒメに、漕艇への情熱をリーに割り振ったのがこのアニメです。割り振った結果空っぽになってしまった悦子が、リーダーシップや情熱を取り戻していく、というのがおそらく制作側の描いたアウトラインだったのだろうと思います。
少女の再生の物語というテーマの文芸アニメになるはずだったこの作品は、しかしここからズッコケていきます。
一般向け vs キモヲタアニメ、その綱引きの行方は?
残る2人のキャラ、ダッコとイモッチについては、アニヲタ以外の人は許容するのは難しいでしょう。
ダッコは派手な髪型で口と態度の悪いキャラです。イモッチはストレートロングの髪のテンプレお嬢様キャラで、リアルではまず聴くことのない変なお嬢様言葉を使います。どちらもお金持ちのお嬢様の設定で、海の近くに住んでいます。
私は大概長く人間をやっていますが、どちらのタイプのお嬢様もリアルで見たことはありません。あと日本では海の近くに住むお嬢様も少ないよな。どちらも大きな漁家の設定みたいですが、漁家のお嬢様というのもなかなかピンと来ないものです。
悦子、ヒメ、リーの3人がそれなりのリアリティラインをクリアしているのに対して、ダッコとイモッチは完全にキモヲタアニメの世界の住人です。ここにまず分裂があります。
制作陣の間で、一般向けアニメにしたい一派とキモヲタアニメにしたい一派の間で綱引きがあったのではないかと推察するわけです。
一般向けアニメというのはジブリや新海誠、細田守の作品のような幅広い層に受け入れられるアニメです。対するキモヲタアニメってのはアレです。下乳の影を濃く描いて、女子高生におっさんの趣味をさせるアニメとかです。バイクとか野球とか。漕艇がおっさんの趣味なのかはわかりませんが。
一般向けアニメにしたい派とキモヲタアニメにしたい派が妥協点を探って、落としどころになったのがこのアニメなのではと考えます。結果、客層のよくわからないアニメになってしまいました。
内容以前にマーケティングで失敗しています。人気女性声優をズラリと並べられても一般人はあーキモヲタアニメか気持ち悪、と思うだけです。下乳の影のない貧乳女子高生の絵ではキモヲタ層はスルーです。
ですから私は木曜の夜に見に行って、公開初週配布のイラストカードが貰えました。
'黒一点' と大人の不在、排除される異物
二宮は唯一の男子高校生キャラです。唯一の、ということは彼の友人も仲間もライバルも描かれません。彼は孤立した状態で一人シングルスカルの練習に励みます。
二宮の描かれ方はキモヲタアニメ風味ではありません。ボート部に5人も可愛い女子高生がいて男一人で、しかしハーレムになるわけではありません。悦子に淡い想いを寄せられ、リーとちょっといい雰囲気になるだけです。
斎藤美奈子が紅一点論 (1998) を上梓してから四半世紀。斎藤が当時批判した、同性との繋がりが欠如し孤立した紅一点の女性キャラの裏返しのような、黒一点キャラの登場です。時代もここまで来たか、と感慨にふけっている場合ではありません。目の当たりにするとやはり違和感があります。
大人の存在も周到に排除されます。顧問教諭の渋ジイはまるで置物で、全く声を発しません。原作には女性コーチがおり、1998年の実写映画でもコーチ役を中嶋朋子が務めています。爺さんコーチキャラより美人女性コーチキャラのほうが良いのでは?と普通は思うはずです。原作の爺さんコーチをアニメで美人女性コーチに変更するなら理解しやすいのに、なぜ逆のことを?
美人だろうが何だろうがコーチは大人です。高校生とは異なる視点を持つ人物です。排除したかったのはその大人の視点です。
教師はモブとして描かれ、キャラたちの両親も登場しません。彼女らは合宿にかこつけてダッコの家に押し掛けているのに、両親が登場しないのです!
そもそも彼女ら5人と二宮は同学年です。彼女らには先輩も後輩もいないのです。上下関係のない優しい世界、すなわち異常な世界です。
ですからこのアニメ唯一の異物、もとい他者である強豪校のストローク(整調)すなわちエースである梅子との対話は、物語中最も重要なものとなるはずでした。梅子は高校卒業後も漕艇を続けると明言します。彼女はインターハイに出場することが目標ではなく、もっと上を見据えているのです。後輩を引き連れて歩いている彼女は、そもそも優しい世界などに生きてはいません。
悦子が優しい世界から脱却して前に進むためには、梅子との対話以外に方法はなかったのです。
それが中途半端な印象で終わっているのは、梅子側の事情が全く描かれてないからでしょう。進学校のお嬢さんのお遊びだろうと悦子らに不快感を示していたはずの梅子が、なぜ悦子に興味を持ったのか?ここが曖昧なために、せっかくの唯一の他者である梅子も物語を転がすための部品のように見えてしまうのです。
優しい世界はキモヲタ好みの世界です。そこから脱却しようと藻掻くのが一般向けの文芸アニメです。ここにもそのせめぎ合いが見え隠れします。
それでも艇は真っ直ぐ進む
長々と文句を書き連ねてきましたが、好きか嫌いかで言えば嫌いじゃなかったのだよこのアニメ。意外にも。
大人の事情や制作陣の間での意見の不一致を垣間見せながらも、艇はなんとかよろけながらも真っ直ぐに進みます。艇が水を切って真っ直ぐに進むのは気持ちが良いものなのです。
私はアニメにも描かれている校内ボート大会に、1年時と3年時に出場しました。1クラスあたり数人しか出られないから、2回出たのは珍しいと思う(自慢)。
1年のときは練習すっぽかしたら練習してないやつに漕がせられねー、とコックスをやらされた。急造コックスなんて声出すだけで面白くなかったので、2年時にもやらせろと喚いたが2年連続で出れるわけねーだろ、と却下された。それで3年時にやっと漕げたわけです。
アニメに描かれた舵手付きクォドルプルではなく、オール1本で漕ぐナックルフォアの時代です。ポジションは整調だったか3番だったか、勝ったのか負けたのかも記憶が定かではありませんが、イージーオールのコールのあとに見上げた空が気持ち良かったことは覚えています。天気の記憶も定かではないのですが、きっと晴れていたはずです。