集中治療室へ送還。
大学病院への転院翌日。
大学病院に入りさえすれば
とりあえずは安心だと思って
一月ぶりくらいによく寝れた朝だった。
ここ数週間は毎日のように
遠方の病院に行っていたし
朝ベッドの上でゆっくりする
時間なんてなかった。
今日くらいは…と思って
二度寝をしたりした。
そして、ふと起きた時に
”03ーーーーー”からの不在着信。
すぐに折り返すと
大学病院の先生からだった。
昨夜から血圧が不安定であること、
感染を落ち着かせるために
グロブリン療法を行う必要があること、
より厳密な管理が必要と判断し、
ICUへ移動することになった
という話だった。
数分でも二度寝した自分を
悔やんだ。
この電話がもし、急変の電話だったらと
想像すると一瞬でも
気を抜いた自分を恥じた。
悠長に過ごしていられないと
すぐに準備して病院へ。
自宅から病院は
door to doorで1時間程度。
昨日は救急車で着いたので、
自宅からその大学病院に行くのは
実質初めて。
電車の乗り換えや
道の検索に戸惑いながら
少し時間はかかったけど到着。
私が病院に着いた時には、
昨日の入ったはずの部屋は
すでに蛻のカラとなっていた。
母が横たわっていたであろう形が
そのままに残されていて、
まさにもぬけ。
温度も感じられる気がした。
母は一足先に移動しており
部屋に残された荷物をまとめて、
私もICUへ向かった。
昨日初めて挨拶した病院に病棟。
なのに翌日にはもう違う環境に
移ることになってしまった。
大学病院ともなると
集中治療室がいくつもある。
その中でも救急患者さんが
多いタイプのICUに入室となった。
まだ、先生とも看護師さんとも
誰とも顔見知りになれていないのに
またニューフェイスの登場。
ICUにいる間はしばらく
救急科の先生が担当する
らしかった。
すぐに母の顔を見られると
思いきや、そんなことはなく。
処置をしているとかで
待合室で1時間くらい待った。
その合間に看護師さんや医師が来て
病棟や治療の説明を受け
同意書系にサインをして…
という一通りを済ませた。
病棟が変わればルールも
必要な物品も変わる
ということで
おしり拭きや洗浄用のガーゼなど
言われたものを
買い出しに出かけたりして。
ようやく面会の許可が出て
入室すると、
全身にモニターをつけて
随分と多くの点滴を携えて
ベッドに横たわっていた。
ひと目見て、
頑張ったんだ
と伝わってきた。
私の顔をみて
「今日は8月28日?」と。
29日だと伝えると「やばいね」
と困惑していた。
こんな状況に
間違っているなんて
言いたいわけじゃないのに。
正すとそういう面も出てきてしまう。
勝手に落ち込まないでくれよ。
まずは感染症のコントロールが
第一とのこと。
小腸炎については一旦
保留となった。
次回はICUでの治療経過に
ついてお伝えしていきます。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。