作らない人にも読んでほしい俳句

俳句ポスト365では、昨日の月曜日から金曜日にかけて結果が発表されています。

今回の季語は「原爆忌」

季語が季語だけに、皆さんの句を読むと胸につき刺さります。
正直しんどいほどに。

こういった句も一つ一つ丁寧に読んでくださっている選者の夏井先生と家藤先生に改めて敬服の念が湧き、離れた地から合掌🙏。
本当にありがとうございます。

私も皆さんに混ざって季語「蝸牛」の月から参加しているので、なるべく全部目を通す努力をしていますが、今回突き刺さりまくってるので、できるか?という気になっています。でも読まねば、と思う。

皆の平和への真剣な想いが凝縮された一句一句だから。

そして、俳句を作らない方たちにもぜひ読んで欲しい。


投句されたコメントの中には、
「戦争を経験していない自分たちが、絵空事で俳句にしてよいのか」という戸惑いの声もありましたし、「あの悲惨な時代が若い人たちには伝わらないもどかしさと、不安を抱えている」という先輩方の声もありました。

 様々な思いはあるにしても、
毎年8月がくれば、「原爆忌」の句を作ってみる。それが、平和を希求する強い心となって育っていくに違いないと、私は確信しています。

 俳人たちは、体験していない季語や出来事を、五感で生々しく想像する訓練を日々しているのです。その場の臭いや音や皮膚感をリアルに想像する力。それが、恐怖スイッチとなって、危機感を強固にしていく、と。

 今回は、巧く作れた作れなかった、選ばれた選ばれなかった、ではなく、「真摯に原爆忌という季語と向き合った」ことを、皆で共有したいと思うのです。 

 皆さんの作った一句一句が、明日への平和と反戦の礎になると、信じております。

夏井いつき先生 【選者コメント】より


こちらで俳句が読めます。↓


類想句はめちゃくちゃ共感しやすいので、読むのはなるべく元気な時がいいかも。表現がストレートな句もありズドーンときます。

でも、一度読んでみてください。



ここからは、自分の備忘録的つぶやきです。

🍀つぶやき1🍀

私自身も体験したわけではありませんが
幼いころから
原爆関係のアニメや漫画を観たり読んだりする機会があったせいか
皮膚感覚のような感情的な拒絶反応があります。

「はだしのゲン」や「火垂るの墓」。
そして「風が吹くとき」。(こちらは内容はもううろ覚えでしたが、ただ静かな恐怖感だけが記憶に残っています。白黒映像だと思っていましたが、検索したところ色がついているアニメ映画だったようです。今、もう一度観る勇気は正直ない...…)


🍀つぶやき2🍀

皆の俳句を読んで、この感覚、前もあったなと思い出したことがありました。
20年ほど前、渋谷Bunkamuraでピューリッツァー賞の写真展。
それを見たときもかなりしんどかった。

検索してみたら出てきました。
たぶんこれ。(写真集がでてたようです)


そして、bunnkamuraの過去の展示記録がなにか残ってないかと探すと、日程の記録だけかろうじてありました。
1日平均入館者数ランキング
7位
20世紀の証言 ピュリッツァー賞写真展 1998年2月13日~3月8日


なぜこれを見に行ったかといえば
好きな漫画の中で、カメラマンである主人公が「報道か人命か」と真実を伝えるために葛藤するという場面があり、引用として出てきたのがピュリッツァー賞を受賞した写真「ハゲワシと少女」。

知りたい方は
「ピュリッツァー賞 ハゲワシと少女」で検索すると出てきます。

「ハゲワシと少女」。この写真一葉が、スーダンの惨状を世界中に知らしめた。作品は彼を有名にしたが、写真の中の子どもを助ける前にシャッターを押した彼は、“ハゲワシ”と非難され……。

GQ Japan
https://www.gqjapan.jp/culture/bma/20120313/culture-photo-book

非難された写真家は自ら命を絶ってしまいます。
しかし、彼は写真を撮った後に、少女を助けているのです。
写真を撮らなければその地の悲惨さは伝わらなかった。

現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアン・シルバ(英語版)の証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったという。カーターは写真を撮った後、ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり、国連の食糧配給センターの方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けた姿が目撃されている

ウィキペディアより

(参考)


若い頃の方が色々真面目に考えていたな、と反省。
今ならわかる人生の分岐点w。
かといって、今までの道も人間的には多少なりとも成長できた道だとも思う。

なんの力ももたない一市民だけれども
やはり最後はひとりひとりの意識が大切だと思って。

夏井先生のこのコメントを、大切に胸に留めます。

毎年8月がくれば、「原爆忌」の句を作ってみる。それが、平和を希求する強い心となって育っていくに違いないと、私は確信しています。

 俳人たちは、体験していない季語や出来事を、五感で生々しく想像する訓練を日々しているのです。その場の臭いや音や皮膚感をリアルに想像する力。それが、恐怖スイッチとなって、危機感を強固にしていく、と。

 今回は、巧く作れた作れなかった、選ばれた選ばれなかった、ではなく、「真摯に原爆忌という季語と向き合った」ことを、皆で共有したいと思うのです。 

 皆さんの作った一句一句が、明日への平和と反戦の礎になると、信じております。

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