【メンヘラ卒業】3
中学生で初めて味わった限界、ずっとモヤモヤしていたものが爆発した宗教でおいての全く自分は期待されていないという寂しさ。
「期待に応えられなかった」
「期待してほしかった」
期待したらしたで限界きて飛び降りるくせに宗教の方は期待してほしかったってなんなんだよ面倒くさいなw w w と思われるであろう。
自分でもそう思う。
頷きすぎて首がもげそうだ。
たかが勉強も宗教もうまくいかないくらいで。
じゃあ何故そんなことで飛び降りたか考えてみたい。
前のノートにもかいたが、「世界が小さかった」のだ。 勉強と宗教。
そのたったの2つしかない世界でどちらもうまくいかない。
自分が自信もてる居場所が存在しない。
それを回避するにはどうすれば良かったか。
「世界を広げる」 具体的には ・趣味 ・習い事 ・成功体験を積む などなど。
自分の心地よい場所が多ければ多いほど良いと思う。 私の場合家族は怖いし学校の先生も怖いし心地よい場所(物理)はトイレくらいだ。
そのトイレすらも苦い思い出がある。
父はトイレで新聞読む人だった。
今にも漏れそうなのに待てど暮らせどトイレからでてこない父。
母に泣きついたらお風呂場でトイレさせられた。
漏らすよりマシだが私も母も父にトイレ早く出ろの一言が言えない関係性だったんだなって今思うと異常だなぁ。
父のことは慕っていたがそれは父の「良い人モード」の時しか関わっていなかったからである。
父はモラハラだった。
父のモラスイッチが入る時は兄と2階に避難させられていたので実際父が狂ってる姿は見たことない。
だが癇に障ることしたら怖い人というのは幼いながら本能で察知していて当たり障りないことしか言わないようにしていた。
成功体験 これも大事。(大事だけどこの話は有名でググればいくらでもでてくるから読み飛ばしてもおk)
色々なことに挑戦して成功すると、新しいことに挑む時に自分が成功するシミュレーションができる。
今までの成功体験が背中を押してくれる、どうせ頑張っても無駄という気持ちを減らせる、「何かに挑戦する=世界を広げる」 新しいことをしよう、何かに集中して頑張ってみようというハードルが下がると思う。
折り紙でも良い縄跳びでも良い、健常者であろうが障害者であろうが幼い頃から小さな成功体験を積み重ねることで自己肯定感やら自尊心やら色々なポジティブなものが育っていくんだと思う。
「小さな」成功体験というのがポイント。
失敗しても大したダメージ受けないし成功しても小さなことなので忘れるかもしれないが「成功した」という経験値はたまるから自信はちゃんとたまってく。多分。
だからって子供が失敗しないように親が誘導するのはダメなやつ。
親がすべきは失敗した時の心のケアやら挽回の仕方や次どうしたら成功するかな何が足りなかったかなって考えるのを手伝ったりなんじゃないかな。知らんけど。
わたしの人生は圧倒的成功体験不足であり挫折(失敗)体験がコンプレックス・トラウマになっている。
成功体験不足のせいで期待に応えて大きな成功体験を得たい欲が爆発したり成功体験不足のせいで自己肯定感が0で期待に応えれなかったダメージがでかすぎたんだと思う。
なんだか何を言ってるのかわからなくなってきた🌀伝わってる?
ということでメンヘラ化原因3【成功体験不足 世界が小さかった】
習い事、実はやっていた 何故自信に繋がらなかったか成功体験にならなかったか
まず「囲碁教室」 夏休み限定囲碁教室にいっていた 囲碁、楽しかった 家で母と囲碁をやっていた経験から初心者コースじゃなくて上級者コース選んだのがアホだった。
上級者コースの人はみんな普段から囲碁教室通ってる囲碁ガチ勢で私なんかアウェイの極み。
だからって当時生活保護だった私は夏休み(無料で受けれる)だけでなく普段から通いたいとは言いだせず、自分の心を封印した。
本当にやりたい奴は独学でもやるから親のせいにするなとか言うやつ絶対でてくると思う。
まぁその通りなのかもしれないが当時の私は生活保護者は生きてるのも犯罪だと思っていて、無気力だった。
そしてボロ負けしてホント恥ずかしかった。
「ピアノ教室」 小1で始めて小3で親の離婚、引っ越しを理由にやめた。
純粋に大っ嫌いだった。
無理矢理習わされていた。
子供にやりたくない習い事を無理矢理習わせるのも虐待だと思う。
「ケーキ教室」
親が反対しなさそうでなおかつ比較的やりたいなと思えるものがケーキ作りだった。
全てのケーキ作りの授業を受けて卒業した。
私はそれで良いと思っていた。
でも親はライセンスをとることを望んだ。
私はとらなかった。
ライセンスの試験にはお金がかかる。
高額な為もし落ちたら、と考えると怖かった。
成功体験の少なさからチャレンジする勇気を出せなかったのだと思う。
落ちたとき、親に何言われるか何されるのか恐怖でもあった。
結果ライセンスを取らなかったというコンプレックスになって終わった。
そこの君、私が望んでた期待というものをちゃんとされてたのに自分から逃げてんじゃんマジで親のせいにするなよと思っただろう? あんな、親が私に期待をしてきたときそれはもう私には期待に応える力が残ってない時なんだよ毎回。
遅かったの、思春期に入ってから初めて期待されはじめてもそれもうただのプレッシャーだから。
小さいうちから期待してほしかった。
こたえられるハードルが低いうちから。
こたえられなかった時のことを想像する力が乏しいうちから。。
さっきから連呼してる期待というキーワードが自分の中でより大きなものとなったきっかけは兄の自殺未遂後からであると思う。
私は劣等感の塊だった。
我が兄は、天才だった。
映画を丸暗記したり絶対音感があったり兎に角凄い人だった。
母の口から
「きょうだいどちらかが成功すればいい」
「きょうだいというのはどちらかが馬鹿になるもの」
ときいたことがあった。
その成功するのは兄で失敗作は私だと思った。
どちらかが馬鹿になるの馬鹿は間違いなく私のことをさしてると思った。
そんな天才な兄が精神科に入院し薬漬けになり面会で会ってもなんだか寝惚けてるみたいにポワワ 〜ンとしていた。
母の兄への期待は全部私のものになった(と思った)
まぁ、これが悲劇というか私の自殺未遂に繋がったのかな。
長年全くスポット当てられなかったのに突然当てられた(と思った)
それで、頑張りすぎたんやな私。笑
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