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うっかり旦那のことを両目で見てしまう
この連休は、夫婦関係について考え込んでしまった。
ふとした一言が引っ掛かり、疑問に思い、疑惑が生まれ、不信感が募り、妄想が膨らみ、絶望的な気分になった。
離婚したら、のシュミレーションもした。
ところが40代の頃のシュミレーションとは、明らかに違う。
勢いがない。新たな希望がない。ひとりで生きる目的がない。
決定的な損害や理不尽、暴力があるわけじゃないなら、離婚は貧困を増やすだけだ、
とすぐに守りに入る。
だって、いまから正社員になれるのか。部屋を借りられるのか。親や子供たちに、どう説明するのか。深くないとはいえ、築いてきた人間関係をすべて手放していいのか。
面倒くさすぎるじゃないか。
言い訳を並べる。離婚しない理由を探す。
グルグル考える。
(暇か。)
考えに考えて、
【私は弱っているんだな】と思い至った。
弱っているから理解を求めてしまうのだろう。孤独がデフォルトなはずなのに、ブレてしまうのだ。
人間関係なんて、それぞれの解釈で成り立っていればいいのに。
家族も夫婦も友人も、腹の底を見せ合うことが、イコール信頼関係じゃないのだから。
旦那とは中学生からの付き合いだ。
長く知っているからって、よく知っているとは限らない。
旦那は外で働く時間のほうがずっと長いのだから、外の世界が中心だろう。
なにを見て、なにを感じて生きてきたのか、これからどう歳を重ねていくのか、本人にしか分からない。
旦那は旦那で、私を知らないだろう。
私は私で、変わってきたのだ。
たとえば40代の頃は騒げた。
悩み苦しみは友人に聞いてもらったり、行動したり、ジタバタできたのだ。
それがどうだろう。
ひとりぼっちの殻の中にとじ込もってしまった。
(更年期だから?)
孤独をガッツリ、掴んだまま離せない。
60代ではどうだろう。
70代になったら、どんな私になるんだろう。
…まあ、いい。
考えても仕方がない。
グルグル思考が止まらなくなったのは、暇だからだ。
弱っているからだ。
うっかり、旦那を両目で見ようとしてしまったからだ。
片目をつむって。
正面から向き合わずに。
それぞれの方向を向いて。
行けるところまで、行けるだろうか。