見出し画像

大好きな親が毒親なんて③


塾に行き始める

小学校4年生になると塾に行き始めます。
私は、塾に行く意味がわかりませんでした。
何のために勉強してるのかもわからず、楽しくもなかったです。
そして中学校受験が始まります。

受験の直前になるとピリピリし始めて
受験をやめるのか母が聞いてくるのです。

何も言ってないのに。

高い塾に行かせてやっているのに!
こんなに身を粉にして働いているのに!
育ててやっているのに!

受験をやめるのかと迫ってきます。
母は辞める選択肢がなくても聞いてきます。
こちらを試すかのように。
辞めると言っても続けると言っても怒られる
地獄です。

そして罪悪感でコントロールするのが常套句でした。

何とか私立の中学校に合格

当時は学費がすごく高かったです。
確かに。

この頃から
高い学費を払っていかせてやってる。
だから家事の手伝いをしろ。
だから妹のめんどうを見ろ!
という圧がすごくなります。

そして母が仕事から帰ってくると必ずリビングに呼ばれました。
何を話すわけでもなく。
父と母はずっとテレビを見ながらご飯を食べます。

私がたまに、「ねぇお母さん今日ね!」
と話そうとすると
「今テレビを見てるから!」
といわれ話は聞いてもらえませんでした。
2階の部屋で勉強しているとわざわざ呼ばれて
リビングに行きますが、とくに話すわけでもなくただ一緒にいるだけの謎時間でした。

ある日どうせ話もきいてもらえないのに
「ねぇ、お母さん!今日ね!」
と話そうとすると
「あんたの話は面白くない!」
と言われました。

すごくショックでしたが、
私の話は面白くないから話さない方がいいんだ。
と思うようになります。

それから私は母に話しかけることはなくなりました。

話したら話したで否定してくるくせに家族が揃うと

みんなもっと会話しよう。
と言い出します。
会話なんてしたことないです。
口を開くと説教か悪口、母の仕事のこと、くらいしか聞いたことないのに?

こちらが話しても、全て母が話を持っていきます。
人の話は聞いていません。
面白くないからかもしれませんが…。

家族を話さなくしているのは母なのに話せという。

これも話しても話さなくても地獄という状況です。笑

友達と遊びに行こうとすると

ほぼ土日は部活で毎日帰りもおそいので
2〜3ヶ月に一回友達と遊びに行くかいかないかでしたが、母に友達と遊びに行くというと

「いいね!あんたは遊びに行けて!私はそんな遊びに行く暇もない!」「働いてばっかり!」
「妹はどうする?」「連れて行って!」

と言われていました。

実際に妹を遊びに連れて行ったこともあります。
今思うとほんとによく頑張っていたなとおもいます。
しかも私が妹の年齢の時は1人でお留守番もしていたので、何で私の時はよかったのに妹は1人にしちゃいけないの?と思っていました。

私が楽しむのがきっと許せなかったんだと思います。

これは今後どんどんエスカレートしていきます。

つづきます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?