「SWAN SONG」は"個"から"群"になることの奇跡をうたっている作品だと思う
以下、知り合いへのメモを張り付けただけ。
作品の大事な部分に触れているので注意。
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swan songの最も大きなテーマの一つに"個"と"群"の違い、
構成要素達が一つになった瞬間に生まれる奇跡の話があると思っています。
オーケストラの指揮者についての話がひとつ、
オーケストラを構成する演奏者。彼らはそれぞれ別の場所に行くだけで、誰一人いなくなるわけではない。彼らに会おうと思えばその機会はあるだろうし、それは何でもないことなのだ。どう考えても、形ある何かが減ったわけでも、失われたわけでもない。なのに、妙に寂しいのはなんでだろう。誰かと別れてしまうような、変な気持ちがするのはなんでだろう。オーケストラが死ぬ。それはどう言うことなのだろう。もう同じ演奏を聴くことが出来ないって、それだけじゃない、もっと深い意味があるような気がする。
あろえの"ナカマ"意識についての話がひとつ、
「これがどういうことかって言うと、たとえば、ここに使い道がわからない正体不明の棒があったとするでしょう? 正体不明だけど、でも、紙に先端を押し当てたら紙に色がついた。ペンって言うナカマがあることを知っていたら、何はともあれそれをペンだって片づけることが出来るじゃない。でも、頭のなかにペンのナカマっていう考え方がなかったら、それをペンだとは思えないし、他のナカマも知らなかったら、それはずっとただ一つの正体不明のものでしょ? あたまのなかにクエッチョンマークが残りっぱなしになっちゃう」
「そうです」
「ナカマっていう考え方がなければ、整理整頓されない部屋みたいに、何もかもが孤独に一個ずつバラバラに散らばっちゃう。これじゃ、何も解らないよ。きっとこれ、言葉がバラバラに散らばってるようなものなのね。文章って、言葉が順番通りに並んで、繋がってるから意味がわかるんであって、これがもし、言葉が適当にノート一杯の好きな場所に書いてあったら、誰にも読めないでしょ? 意味がわからなくなっちゃう。きっと、あろえって、世界がそういう風に見えてるんだよ。ナカマが見つけられないの。全部混乱してぐちゃぐちゃに見えてるの」
(中略)
「そうでしょう? それでね、そう考えると全部うまく説明がつくような気がするんだ。たとえば、あろえはルールを作るでしょう? あろえは意味はわからないけど、ものの形はわかる。形の似たものを整列させれば、そこにナカマになっているのがわかる。いまのこれだって、きっと、この像の人がキリストだとか、そんなことがわからないんだろうけど、破片をつなぎ合わせると大きな別のものになるって、それは意味なんか知らなくても見ればわかるじゃない。その秩序が、すごく安心するんだと思う。さっきの文字の話だと、書いてある内容はしっちゃかめっちゃかで解らないけど、文字を自分なりに並べ替えてルールを作れば少し安心するとか、そういう気持ちだと思うんだ。……ねえ、これは、あろえのナカマ探しなんだよ! だからさ、ねえ、わたし、あろえは、やっぱりおかしい人じゃないと思うんだ」
そして最後のキリスト像についての話もひとつ、
司「見てくださいよ、この像を。あちこち歪んでますよね。なんだか不気味でさえあります」
柚香「……」
司「でも僕、これは好きだな。宗教的なものって、どっちかと言うと嫌いなんですけど、でもこれは悪くないです。やっぱりそれは、あろえが手で一つ一つ貼り付けたからだと思うんですよね。綺麗ではないけれど、すごく、いいと思うな」
柚香「何が言いたいんですか?」
柚香は、いつの間にか僕を見つめている。ちょっと怒っているようだ。
司「それくらい、わかってくださいよ」
僕は困った顔を作る。
全てがグルーピングによる価値の有る無しの話です。
小さな単位がある法則の元で集まって一つになった時、そこに唯一無二の価値が生まれている。
(オーケストラは集団に価値があるし、あろえは殆どの"ナカマ"という概念を持たないが純粋な規則性の上でキリスト像というパズルを組み上げている)
そしてそれが多少歪でも意味があると言っています。
これがどう人間賛歌に繋がるか、という話なのですが。
司くんは死んでいく間際になってハッキリと"生は素晴らしい"と語ります。
この瞬間、彼の身体には今まで話した三例と真逆のことが起きています。
死ぬということは自分が"群"(人間)から"個"(細胞)になる瞬間であり、これまで自分を構成してきたものがバラバラになってしまう瞬間です。
このまま僕の生物としての機能はどんどん失われていくのだろう。
少しずつ、僕を構成していたものたちは、僕を形作ることをやめて、元々そうであったようにただの物質へ帰ってゆくのだ。
そして最終的に僕は消えてなくなる。
二十年ちょっと前に何かのいたずらで組み上げられた僕は、またバラバラに分解され世界に還元されるのだ。
なんだか寂しいな、と思った。
そして、無性に昔のことが思い出された。
自分が価値のない"個"(細胞)の寄せ集めに戻る瞬間になって改めて、それらが奇跡的に集まって人間であったことに気づき、彼はその素晴らしさを口にしたのだと思います。
SWAN SONGが傑作足る理由の一つは、このような一つ一つの小さなテーマが全てしっかりと人間賛歌に結びつく点かな、と思います。
「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、人の一生は素晴らしいです」
最後の尼子司のセリフが唐突に見えるという意見もよく聞きますが、僕は上記の全てがパスになっているのではないかと思いました。
この辺りが全て考えられているのだとすればすごいし、無意識であるとすればもっとすごい。
(※引用は全て「SWAN SONG」より)