新しい土地に来て一年。
今まで積み上げてきたものを脱いで
もう一度0へ始める、ニュートラルな自分と向き合った。
私は2019年に結婚をして、熊本へ。
それまで10年間
"芯があって柔らかい"そんな女性たちに憧れて…
幼い頃からの夢であった客室乗務員として世界へ。
飛び込んだ先には、
華やかで聡明、チームワークとなれば一瞬でタッグを組むパワフルさも
兼ね備えた女性がまるで辞書のようにバリエーションに富んでたくさんいた。
良く言いすぎのように思うかもしれないが、
10年やっても、女性として 人として尊敬する仲間が次々と現れる素晴らしい職場だった。
もちろん毎回の訓練や辛いこと、
大波小波あったけれどそれ以上に得られるものが大きかった。
先輩、同期、後輩、それぞれが持つ思いやりの引き出しを
言葉でも背中でも教えてもらって
刺激と向上心に溢れた環境だからめぐり会えた奇跡がたくさんあった。
「仕事辞めてこの先不安じゃない?」
「勿体ない!」
「先のこと考えた?」
たくさんの人がアドバイスをくれたけれど
まだ知らない世界を見てみたい!
この好奇心の方が大きかった。
飛び込んだ。
そして
まじまじとぶち当たったのが33年の間に分厚くなった自分の色眼鏡。
33年分生きてきた私のフィルターは無意識でも様々な概念、教育、思考、 プライドによって私にとっての当たり前、固定概念を厚くしていた。
フィルター越しの自分のOKはとても高い基準のものになっていて、次の一歩はそれに敵うもの、だからそんな簡単に失敗はできないし、したくない。そうなりたくないと思いながらも、
客室乗務員である自分=自分のアイデンティティになっていたこと
に気づく。
居場所がない、
なんで辞めたのか、
自分を活かせない
散々自己否定をして、夫も責める。
分厚いフィルターから見ると、私は何にもなくなってしまった。
今までにない
「ない」という体験をして、自分を見失ったとき、
これまで信じてきた自分の感覚を信じられなくなるというのが一番怖かった。
頭で無理やりでも引き戻していたネガティブから抜け出せない。
自分が信じられないから人を頼って、
自分の本意と違う事をするからまたかけ離れたことが起こる、負のループ。
今までどんな時差でも乱れなかった生理まで来なくなり、身体としても不調が出てきた。誰かが、助けてくれると思っていた。そして待っていても何も変わらない月日が過ぎて、気づく。
あっ、わたし今にいない。ずっと一人過去にいて今を生きていない。
ハンドルからいつの間にか手を離してる。
苦しめているのは、ぜーんぶ自分。
完璧主義で、こうでなきゃいけない、すべきに囚われた思考、
当たり前によって、自分をダメだと判断している私。
本当に何もないのか。
どんどん内側を掘っていくと、外側で起きていることの反対を望むわたしがずっとそこに、内に存在している事に気づく。
「正しい、間違ってる」ではなく
「良い、悪い」でもなく
外からの目を軸にするのでもなく、自分が心から納得していること
もう一度自分にとっての心地よさや楽しさを再確認しながら
小さなできることを繰り返して
少しづつ自分への信頼を取り戻していった。
一度バラバラになった私がもう一度繋がったとき、
今まではなんだったの?というぐらい軽くなって、
これまで固く守ってきたものがどうでもよくなった。
そしてこれから、大切にしたいものがシンプルになった。
まっさらな私が私であること
認識できる全てのことはないと思えばないし
あると思えばある。
内側の見え方で目の前に起こる事、見えるものが変わることを全身で体験した。
分厚くなった殻を脱いで、ゼロへ。
そう簡単にはいかなかった〜!