サルトル 『嘔吐』感想メモ

マジで記憶になかったメモです。というか、noteをやってたことを久しぶりに思い出した。(笑) ちなみに前回つづくっていってたガンダムはもう見るのやめてます。(笑)

サルトルは、読んだ記憶もなかったし、noteって【サルトルの『嘔吐』感想メモ】が書き方のひとつの例として下書きに入ってるのがデフォなんだっけ〜?と真剣に思いましたが、最後の方の感想で自分のだわ。と気づきました。ちなみに時期的には私が全てを休んでて、無為にもすっかり慣れてしまい、ちょうど名探偵コナンを1話から1000話ちょっとくらいを毎日見続けることしかできなかった頃だと思います。(笑)
 コナンの全体(アニメ1話~1100話あたり)の感想もいつか書きたいなあー

↓↓↓以下、下書きに残ってたメモです。

印象に残ったことも、いちいち書き留めて置かないとどんどん忘れていってしまうのでメモ形式で記していきたい。

まず私はサルトルを読むのは多分初めてだ。それでこの本が、語りが日記調なんだけど、日記を書く時あるあるが初っ端から展開されていて興味深い。そもそも私はたまにしか日記を書くことが出来ないのだが、些細なことを書き留め過ぎてどれが大事か、何を書くべきかわからなくなっていくのは私もやったことがある。サルトルはたしか卓上の厚紙の箱(厚紙の箱?)について語り始めてはすぐやめてしまうけど、きっと後で言ってる通り「ごく稀にしかものを考えない 」から書くことが蓄積しすぎてしまううえにこまめに記すのに慣れてないからこんなことが起こるんだと思う。当然、物書きのひと(主人公?)と比べたら慣れてないのは私の方だけど、だから普段からこまめに記録しておくというのは大事だ。その他にも、あんまり生きるのに精一杯ということも無く、ワーァと生きていたら急に日々に自分というものがぼんやりと溶けてしてしまう感覚がやってきて振り払えなくなってそのままアーア… というように生活していくなんてのも、この労働してなくてただただ休んでる生活でなんども経験したのでめちゃ共感した。だからぜんぜん、謎めいてはいないのだが、そもそも文学ってそういうどうしようも無いやつあるあるみたいなことで共感者を増やすということが目的かもしれないし?まあとにかく、私がシンプルに共感してるのはそうさせる必要があってそうさせられている側面はあるから、わかる〜!なんていって創作物の登場人物に自分と同じような人がいることに安心しきっちゃったりすることには注意が必要だ。ときには!

序盤も序盤だが、読み進めていくとそこそこ有名なフレーズに出会った。主人公が鏡で自分を見つめて、自分のことを醜いかそうでないかを考えてるいるときに思い出した、自分の叔母さんに言われたひとこと「あんまり鏡で長いこと自分を眺めていると、猿に見えてくるよ」というセリフ。だいたいこういうので出会う有名なフレーズというのはなんでここが有名なんですか?という感想になるようなものが多い。正直どうでもいいし、誰が有名にしたんだよ?とも思う。まあ多くの共感者がいたのかな。それはさておき〜、これに対して主人公は自分が猿を通り越してポリープに見えてきたと言っていて、ポリープというとこがなんか独特に下品でまあまあオモロいけど、ここで主人公は、なんといってたか忘れたんだけどあきらかに、自分を鏡で見つめていた時間は叔母さんがそれをしていた時間よりも長くて当然だ、と勝手に決めつけているようである。どっちが実際に鏡を長く見てたかなんてのは別にかなりどっちでもいいことなんだけど、なんとなくこの主人公は、自分が一番深くものを考えている風で、とくに女や労働者が生活の中で考えていることなどくだらないといった感じはして、そこがどーしても気になった。自分以外の他人、例えばここではおばさんが自分の顔をまじまじと鏡を見ることがあるなどという想像をしたことが無い感じだ…。“文学”なのでそれはそうなのかもだけど……(笑)
私は絶対にポリープに見えるより猿に見える方が深刻だと感じるね。やっぱり具体的なヒリヒリする悩みを持って鏡を見るはめになっているとポリープではなく猿に見えるのではないか。


↑↑↑↑↑以上が感想メモでした。感想メモだけど、ストーリーとか一切追うことなく、言いたいことだけを言っている…… 読んだことない人にまあ何一つ伝わらないだろうな?

鏡の話、ちなみに私はルッキズムを完全に内面化していた10代から20代の序盤までは鏡を見すぎていたと思います。それこそ、猿に見えてもいたし、時には美しくも見えていたが、まあ、肉塊でもあった。当時も、鏡の中に答えがあるような気はあまりしてなかったけど、答えは鏡から出すしかない、と思っていたしそれをまずは解決しないと、とばかり考えていました。今ではすっかり自分の顔に慣れたし、自分の美醜なんかはまあまあどうでもよくなりましたが。思春期の自分の容姿に耐えられない感覚は、やっぱり社会が生み出してくるルッキズムはもちろん前提で問題なのだけれど、生まれてからたった20年の間あっというまにででかくなったりするワケだから、若者は自分の顔にまだ慣れてないっていうことも実際結構あるんじゃないかと少し思います。だから、いま不安げに鏡ばっかみてる中学生とかいたら、大人になってくると自分に慣れてきて本当に気にならなくなるんだけど、君たちが悩んだり苦しんだりしてるのはそれはそれで意味があることです、と言いたいくらいです。でもしかし、中学生に20年の短さを説くのには無理があるかもなあ。やあ、、中学生と関わる機会はマジで無いので言いたいだけなんですけど。

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