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演劇note①

演劇において時代背景の考証などをしても、
ノートの切れ端などに書いていてもどこかに行ってしまうので、
ここに残しておいて、
しかも別の人が読んでわかりやすいようにnoteにまとめてみることにしました。

ジョン・パトリック・シャンリィ
「ダウト」

1964年
ニューヨーク州ブロンクス地区

人口は約135万人。
地区名は1641年に入植したオランダ人、
「ヨナス・ブロンクス」の名に由来する。
低所得者(主に黒人とヒスパニック)中心の居住地区で、かつては高級アパートが建ち並んでいたが、現在はニューヨーク市内で特に治安が悪い事で有名。

アメリカにおける黒人の歴史

1964年というのはアメリカの黒人にとって、特別な意味を持つ年であることは間違いない。
というのも、
アメリカ国内において人種差別を禁止する法律、公民権法が成立した年だから。

あまり歴史に詳しくない人でも、
マーティン・ルーサー・キング牧師の名前は聞いたことがあると思うのだけど、
彼はこの公民権運動の中心人物だった。

1965年に黒人にも選挙権が認められる。

それまではジム・クロウ法という、
1870年代から1964年の公民権法が制定されるまで続いた黒人分離の州法が存在し、

この法律によって具体的には、学校、バスなどの交通機関、公園、水道、トイレなどの公共施設が、白人用と黒人用に分離されていた。

「ダウト」で学校唯一の黒人が出てくるのはこういった経緯があってのこと。
そして、最初のフリン神父の演説の中で出てくるケネディ大統領暗殺に関して言えるのは、
彼は黒人に対する人種差別を撤廃させる為の公民権運動に尽力したため、
彼が暗殺されたということは、
それを否定したい勢力が少なからずいたということ。そのことが当時の黒人たちに多くの動揺を与えたのは間違いない。
もちろん「ダウト」に出てくる唯一の黒人生徒とその家族にも。

第二バチカン公会議

1962年〜1965年にかけて開催された公会議。
教会の現代化について議論され、

それまで使用されていたラテン語ではなく、
各国の言葉でミサを行うように

それまではミサの参加者に背を向けて行っていたのを対面式になり

修道女たちが修道服を着ることは自由となった。

そして、修道女たちは一般信徒と同じ扱いになる。つまり彼女たちのヒエラルキーが降格。

このことが多くの修道女たちに衝撃を与え、信仰を捨てた修道女は9万人に及ぶと言われている。

こちらの映画が第二バチカン公会議が修道女に
与えた影響が非常に分かりやすく描かれています。

第二バチカン公会議が行われていたのは1962年〜1965年。
「ダウト」で描かれたのは1964年。
まさにカトリック教会は大きな変化の時期にあった。信仰を持つ女性たちを蚊帳の外に置いて。

「ダウト」で描かれるのは変化に柔軟な神父と、保守的なシスター
アロイシスが最後に吐露する「疑い」は、
第二バチカン公会議をきっかけに信仰から離れた9万人の女性たちを代表するものだったのかもしれない。

ダウトの副題は「疑いをめぐる寓話」 この話はあくまでも寓話として描かれている。
何がなんの例えとして描かれているのかは、
こうやって時代背景について学ぶことで見えてくるのではないだろうか。

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