わたしがあなたと別れた理由
「どうして?」
と彼は言った。
「もうあなたとは一緒に泳げない」そう告げたのはわたしだった。
いつも沖まですいすいと何の苦労もなく泳ぐ彼にはきっと一生わからないのだと思った。
どうしてもっと沖まで泳いでこようとしないの?
海はこんなにも深くて広いのに、浅瀬でバシャバシャ泳いでたって面白くないでしょう?
海は深くて広い、泳げば泳ぐほど見たことのない景色がたくさん見つかる。
彼はそれがとても豊かなことだと思っている。その通りだと思う。
わたしもそう感じたいと思い、本当は泳ぐことなんて苦手なのに、彼と同じ景色を観るために、同じことを感じるために、必死で泳いできた。
でも、どうしてもわたしは沖まで辿り着けなかった。
一人で深く潜ることも出来なかった。
二人で手を取り合って、深く深くに潜ったことがある。
何度も失敗しながら、お互いに傷つけ合いながら、やっと海の深く深くに辿り着いて、わたしたちは宝を見つけた。
二人で大切にしようと誓ったはずなのに、宝を見つけたとき、わたしの心はもうすでに彼から遠く離れていた。
「宝はどうするの?」
と彼は言った。
「わたしが責任を持って大切にする。」
「そんなのは納得できない、二人で見つけた宝なのだから。」
彼がするのは宝をどうするか、という話だけで、わたしたちはこれからどこに向かってどう泳ぐのかという話ではなかった。
宝を見つけた時点で心が遠く離れたのはわたしだけではなかったのだ。
だけど彼はそのことには気付いていなかった。わたしと泳ぐ気などとうに失くしているはずなのに。
わたしはもう二度と沖まで泳ぐことはできないし、深く潜ることもできない。
浅瀬でこの宝と、遠くに泳いでいくあなたを見守っていく、そう告げると彼は悲しそうな顔をして、すいすいと、とても身軽そうに遠く沖まで泳いでいった。
きっとあなたには、遠く沖まで一緒に泳ぐのがたまらなく好きな人が現れるわ。
その人はきっと海に潜るのがとても上手で、あなたに色んな景色を見せることができる。
きっとあなたが本当に求めていたものを一緒に見つけてくれるはず。
そう思いながら、二人で見つけた宝を一人ぎゅっと抱きしめながら遠く小さくなっていく彼を見つめていた。
その宝はどうしたんですか?
浅瀬で出会った人が尋ねる。
遠い昔に二人で見つけたんです、これはその人と二人の宝なんですと答えると、
それはおかしいですね、だってそれは海で見つけたんでしょう?だったら、二人の宝ではなく、海の宝なはずだ、海の宝なんだったらはそれはわたしの宝でもありますね、と続けて言うと、その人はにっこり笑った。
ぎゅっと握りしめていた宝がなんだか一気に軽くなったように感じた。
わたしは遠く沖までは泳げないかもしれない。そんな自分ではいけないのだと思っていたけれど、案外そんなことはなさそうだ。
ここから見える変わり映えのない景色を大切に楽しむことだってできるはずなのだ。
それぞれがそれぞれの場所でそれぞれの人生をみんな泳いでいる。
比べる必要も、無理して合わせる必要も、本当はきっと最初から全くなかったのだった。
沖まで軽々と泳いでいける彼を手放すことで、わたしはわたし自身を手放すことができたのだと思う。
おしまい
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