誰の話か
誰の話か。
私の話か、母の話か、父の話か。
家族の話か、男の話か、女の話か。
私の話をする。
私は3姉妹の長女である。
父は無関心そしてモラハラ、母は過干渉、過保護。
私の幼少期は劣等感の塊であった。
今思えば何故劣等感の塊だったのか。
母からの期待に応えなければならないという思いが大きかったのだ。
その期待こそが過干渉だった。
母からの期待に応えたいが、
勉強では叶えてあげられなかった。
だから、スポーツを頑張った。
スポーツは父が好きだったスポーツを選んだ。 母からの勉強への過干渉から逃げたかったし、
無関心だった父の気を引きたかった。
スポーツを始めたことにより
男勝りになった。
男も女も関係ない。男の中でも頑張れ。
と言われた父の言葉が小中学生の頃の呪いだった。
中学の終わりには、自分が女であることに気づいた。
男勝りにしていても女であることには変わりなく、
女は男に好かれなければならないと思ったのだ。
それは父が私に無関心だったことが関係しているのではないかと今では思っている。
女は男に好かれなければならない。
これが高校生から大学3年生までの呪いとなった。
大学は女子大に進み、
男に好かれるために、メイクをしスカートをはいて、男のために女としての役割を演じた。
だが、いくら男のためにと女を演じても男に好かれることはなかったのだ。
大学3年生の頃、ジェンダーを学ぶゼミに入った。
何故男に好かれたいのか、と聞かれた時、
モテたいから、結婚したいからと答えた。
でもそれは女は男に好かれなければならないという呪いであり、
女は色んな呪いをかけられていると学んだ。
この学びによって、父娘と母娘について考えるようになった。
父は男であり、母は女である。
父は子育てには参加せず、仕事をして家に帰ってくるとテレビをみてご飯を食べて寝る。
母は子育てに家事に家のこと全てをおこなっており、その上で仕事もしていた。
女であるというだけで、女としての役割、家のこと全ての役割、そして社会に出て仕事をするという役割をこなす母が初めて見えたのだ。
母はこれに文句をいいつつも、
父親がモラハラ気質のため何も言えず
家事、子育て、育児を行っていた。
私は女がそうすることは当たり前であり、
それが幸せなのだと思っていた。
ゼミに入り、それは呪いであり
何故父親が子育てに参加しないのか、家事をしないのか、そんなことを考えるようになった。
考えれば考えるほど、母を見るのが辛くなり
次第に実家に帰らなくなっていった。
そして、現在に至る。
私は女であること、男に好かれることをやめ、
仕事を頑張っていた。
だが、20代後半になり、周りの友達が結婚して行くとやはり女として男に好かれ女として生きる思いが強くなった。
だが、仕事も頑張り自分のキャリアを積むことも頑張った。
それは母が子育て家事に追われて
仕事でのキャリアを積むことができなかったことを見て私はそうなりたくないと思ったのだ。
そして20代最後の年に、キャリアアップのために転職し、
それと同時期に彼氏ができたのだ。
だが、キャリアを積むことと、女として彼氏に好かれることを同時におこなう体力はなかった。
難病に罹患してしまったのだ。
そして1人暮らしであった私は、
療養のため久しぶりに実家に長期間帰ったのだ。
その時気がついた。
私が家を出て実家に帰らなかったことで、
父のモラハラ、無関心に加担していたのだ。
母親は父からのモラハラと更年期で体調を崩していた。
その時、私が療養のため実家に帰って来たのだ。
母からしたら、過干渉していた子供が帰って来てくれたことで私の面倒を喜んでみた。
そして体調を少しずつ戻していったのだ。
だが父親は私が難病だと知っているにも関わらず無関心であった。
母が体調を崩している時でさえ、家事を手伝っていないこともなく、母を怒鳴ったり、機嫌を悪くしたり、大きな音で威嚇したりしていたのだ。
続く。