トライアングル番外編 「Best Frend」4
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「一人で帰るって言うから心配でさ。今日、なんか元気なかったし……そしたら、屋上の方に行ったって聞いて……」
自分がここにいる事の次第を説明しながら、急に高木は俺に対して目をつり上げた。
「夏原ぁ!」
坂崎を背に庇うようにして、俺に数歩歩み寄る。おいおい、俺は呼び捨てかよ……。
「あんた、春菜に何かしたの?」
「してねえよ……」
高木の迫力に、俺は押され気味だった。
「じゃあ、なんでこんな人気のないとこに春菜を連れ込んでんのよっ!」
「人聞きの悪いこと言うなよ。トモの話だよ……察しろよ」
取り合えず、そう言ってこの場をやり過ごすしかなかった。高木は坂崎を振り返る。
「トモに別れようって言われたって……そのこと?」
俺に対してつり上げていた細い眉が、定位置に戻る。高木に優しく問いかけられた坂崎は、急に気が緩んだのか、ぽろぽろと涙を零した。
「……智行くんね、好きな人がいたの」
「誰?」
だが坂崎はその先を言わない。俺は胃がきりきりと痛んだ。
「まさか……」
それ以上言わない坂崎を追求することはせず、そして黙ったままの俺に、高木は探るような目を向けた。
「トモが好きなのって薫くんなんじゃ――」
「なに言ってんだよ!」
いきなり言い当てられて、俺は思わず叫ぶ。だが高木は冷静だった。
「だって、さっきの話……男同士でどうのって、お互いに好きだって……トモと薫くんのことなんじゃないの?」
ああ、やっぱり聞いてたんだ。立ち聞きした俺たちが、今度は立ち聞きされたというわけだ……因果応報ってこういうことなのか。
それに、俺と坂崎が話してて、坂崎の今の事情がこうで、男同士でどうのこうのなんて言えば、確かに宛てはまるのはあいつらしかいない。高木の推理は名推理でもなんでもない。
「そうだよ」
俺は観念した。邪推されるよりは本当のことを言って口止めした方がいいと、頭を切り替えた。
「そうなんだ……」
脱力して、高木は近くにあったベンチに座り込む。両手で自分の頬をはさみ込んで、目をでっかく見開いている。さすがに驚いているようだけど……でも、それだけだ。
高木からは、坂崎が見せたようなショックや嫌悪感は感じられない。なんだろう――と思いながら、俺は高木に念を押す。
「それでさ、誰にも言わないでほしいんだ。あいつらもいろいろあって、今やっと落ち着いたっていうか。だから……」
「なに言ってんのよ。そんなこと、あたしが言いふらすとでも思ってんの?」
高木は、心底バカにしたような顔を俺に向けた。見くびるなよ、という目で彼女は俺に詰め寄ってくる。間近で見る、ばさばさのつけまつげが迫力だ。
「だって、そんなの絶好のネタじゃん? 絶対に、みんな面白がっていろんなこと言うよ。そんなことになったら、トモも薫くんも傷つくっしょ?」
俺が坂崎に言ったことを、高木はそのまま俺に言っている。俺はあっけにとられて彼女を見つめた。
「ねえ、春菜だって絶対に言わないよね。二人がそうだなんて、春菜はすごいショックだと思うけど……」
「ヨーコは、悔しくないの?」
坂崎は高木の言葉を遮った。目にはまだ涙が残っている。
「だって、好きだった人なんだよ?」
「好きだったからこそ、哀しむ顔は見たくないよ。自分のことを見てもらえないのは辛いけど……」
「……男同士なんだよ?」
恐る恐る口にした坂崎の言葉を、高木はあっさりと受け止めた。
「しょうがないじゃん。好きになっちゃったんでしょ?」
俺は思わず、駆け寄って高木をハグしたい気持ちになった。だがそれは、あくまでも、ゴールを決めたサッカー選手がチームメイトとやるハグだ。
俺が言っても坂崎に響かなかった言葉が、驚くほどすんなりと坂崎の中に染みこんでいく。俺はその様に感動していた。
「あたしだってね、トモと春菜がつき合うようになって、すごくショックだったよ? あんたに意地悪したい気持ちになったよ? でも、あたしは春菜のこともトモのことも好きだから。それに、うん、薫くんも好きだな。薫くんさあ、春菜とトモがつき合ってるって知ったとき、すごくショック受けてたよ。あの時はなんでそんなに辛そうなのか、よくわかんなかったけど……そうか、薫くん、トモのことが好きだったんだ……」
高木が言うのを聞いて、坂崎は声を上げて泣き出した。二人のことを知ってから、坂崎がこんな風に声を上げて泣くのは、きっと今が初めてなんだろうな、そう思うと、俺も胸が締め付けられるようにせつなくなった。
高木は、そんな坂崎の背中を、よしよしと優しく撫でている。
「なんか、すげえな高木……」
「夏原に褒められてもしょうがないけどさ」
俺が捧げた感動を、高木はいとも軽くあしらった。
「いや、ほんとに……ありがとう。俺がありがとうって言うのもナンだけど」
「夏原があの二人のことを心配する気持ちはわかるよ……それに、トモの雰囲気が変わったのも、きっと薫くんがいたからなんだよね」
俺と高木の会話に、坂崎が泣いていた顔をふと上げた。
「この前にも聞いたけど……どうして夏原くんはそんなに二人のことに一生懸命なの?」
「うん、俺もな、トモと薫のことがめちゃめちゃ好きなんだよ。一人ずつも好きだけど、俺は二人でいるあいつらが好きなんだ」
前に問われた時は今ひとつうまく説明できなかった気持ちが、今はすんなりと言葉になる。
「うわ……トモと薫くんならアリだけど、夏原がそういうこと言うと、引くわ」
自分だって言ったくせに、高木は残酷にも俺の言葉を一刀両断する。だが、腹は立たなかった。
「なんとでも言えよ。あいつらのこと一番心配してるのは俺だからな」
そう言って、俺は二人の肩に手を置いた。
「じゃあ、トモと薫のことは、今日から俺たち三人だけの秘密だ。俺たちがあいつらを守るんだ」
「守るのはいいけど、なによこの手」
高木は肩に置かれた俺の手をぱしっと叩く。だが、振り払おうとはしなかった。坂崎は黙っていたが、その目からは、やり切れなさが消えている。
「スリーバックフォーメーションだな」
は、なにそれ? と高木が怪訝な顔をする。
「ディフェンスラインだよ」
「だからなに?」
「今度サッカーのルールブックで説明してやるよ。まあつまり、チームNってことでよろしく」
「だからなんでN? トモと薫くんを守るのは夏原だけじゃないんだからね。ねえ春菜?」
坂崎は笑った。
それは、トモと薫の真実を知ってから初めて見る、彼女の笑顔だった。
トモと薫から「いま帰ってきた」というLINEが来たのは、明日から二学期という日の夕方だった。つまり夏休みの最終日で、俺はいまだ終わっていない課題に四苦八苦している最中だったが「ミヤゲあるから、よかったら来いよ」という文面に誘われて、二人のマンションへと出かけていった。
「親に顔見せに行くだけ」と言った通り、二人はここへ戻ってきた。二人とも、少し日焼けして元気そうで、出発した時と同じように笑顔だった。帰ってくるだろうかという俺の心配はいったいなんだったんだと思うくらいに二人は元気で明るくて、この二週間がこいつらにとって、すごくいい時間だったんだろうな……と思うと、俺はなんだか泣きそうになってしまった。
そのあと、怪しい単語がプリントされたTシャツをもらって、サイケな色のチョコレートやガムをつまみながら、向こうで撮ってきた写真を見たりした。
その中に、風景や人物の写真に混じって、黒々とした、何が写っているのかよくわからない画像があった。なんだろうと思って俺がそれを見ていると、トモが嬉しそうに、俺の肩越しに顔をのぞかせた。
「それさ、俺らの弟か妹」
「えっ! コレが?」
どう見ても、ただ真っ暗な画像だ。だがトモが指差した先に、確かに袋みたいなものが見える。
「そう、超音波でこうやってわかるんだぜ。俺、感動しちゃってさ、思わず写真撮ってきちゃった」
「三月の終わりくらいに生まれるんだ」
薫もそう言って、少し恥ずかしそうに笑った。
「へえ……今になってきょうだいができるなんてどんな気持ち?」
ちょっとくすぐったいよな」
そう言って、トモが蕩けそうな色っぽい目を薫に向けたので、俺は慌てて、マーブルチョコを床の上にばら撒いてしまった。
床の上に散らばった極彩色の粒をかき集めながら、俺は一人で赤くなって、胸をドキドキさせている。あちゃー、とか、大丈夫、食べられるよなとか、どうでもいいようなことを言いながら、前触れもなく訪れたその空気に戸惑っていた。
「仁志」
そんな俺を、薫が呼んだ。二人に名前で呼ばれることはあんまりなくて、だからよけいに俺は緊張してしまう。俺が顔だけを上げると、薫は厳かに口を開いた。
「おまえには、ちゃんと言っときたいんだ。いろいろ迷惑かけたし。僕たちのこと、もう――わかってるとは思うけど」
「俺が言うよ」
薫を遮って、トモが口を挟む。だが薫もまた、そんなトモを遮った。
「いや、僕が」
「俺だってば」
「僕が言うって」
「いいから、おまえは引っ込んでろよ。すぐに泣くんだから」
トモにぴしゃりと言われて、薫は口をきゅっと結んだ。確かに、もう泣きそうな顔をしている。
俺は床にしゃがみ込んだまま、両手をマーブルチョコでいっぱいにした変な格好で二人のやり取りを聞いていた。さっきまでは緊張していたけど、まさに犬も喰わないような二人の掛け合いに、もう勝手にやってくれよという感じでどうでもよくなって、そんな二人が微笑ましくてしょうがない。
「いいよ。ほんとにもう、わかってるから。好きなんだろ? お互いに」
俺の言葉に、トモと薫は顔を見合わせる。二人の視線がぶつかって、絡んで、そして揃って俺の方を向いた。
「よかったな」
俺は二人を交互に見た。薫を見て、トモを見て、そしてまた薫を見る。
「大事にしろよ、二人とも……まあ、これからも何かあったら、俺が聞いてやらんでもないけど」
最後の方は照れ隠しで早口になってしまった。薫はやっぱり堪えきれなくなったのか、ごしごしと目をこすっている。トモはそんな薫の肩を抱き……そして俺に、親指を立てて笑って見せた。
「もう泊まって行けよ。明日、一緒に学校行けばいいし」
トモにそう言われて、俺は言葉に甘えることにした。中途半端なままの課題は、いさぎよく諦めることにし、制服は二人のストックを借りることになった。
出来上がったばっかりの二人の邪魔はしたくなかったが、そんな気を遣わねばならないような雰囲気ではなかった。二人がそういう意味で寄り添うようになっても、二人の側に俺の位置が変わらずにあるのが嬉しい。
「時差ボケとか平気なのか?」と聞くと、「ゆっくり昼寝したから」と薫は言い、「なあ」とトモが相槌を打つ。
そのやり取りが少し意味ありげに感じて、俺はまた少し慌てたが、まあ、おいおい、こういうことにも慣れて行くんだろう。
近所にラーメンを食べに行ってから、順番に風呂に入ることになった。ジャンケンで薫、俺、トモの順。それで、スーツケースの中味でごった返したままのリビングで、俺はトモと二人になった。
トモは、ローテーブルに頬杖をついて、シアトルで撮ってきた写真をパソコンに取り込んでいる。
その横顔は、改めて言うまでもなく綺麗で、すごく整っている。だが今は、それだけでは説明のつかない何かが彼の雰囲気に確かに加味されている――それは、俺が初めて二人の間で感じた、あのふわふわ感とも通ずるところがあって、見る者を少し落ち着かない気分にさせるのだ。
男同士でどうやって、ナニするのかなんて知らないし、考えたこともないけど――。
でも、いわゆるカラダの面から言えば、愛されてるのはトモの方なんだろうな、俺はそんなことを思った。
トモはいつだって女の子が途切れたことがなくて、経験値から言うなら、薫よりずっと上だ。
けど、きっと薫に関しては違うんだろうと思う。だって今まで、誰とつき合っても、トモはこんな落ち着いた表情はしなかったし、それに……とにかく今まで以上に色っぽくなったのだ。あれは、愛され、可愛がられてる表情だ。俺は自分が経験値ゼロのくせに、そんな大胆なことを考えていた。
そして、時を同じくして薫はなんだか雰囲気が逞しくなった。
泣き虫で感情が顔に出やすいところは変わってないけれど、ずうっと俺が守って支えたかった薫は、もうどこにもいないんだと思う。一人の男として、もう自分の道を歩み始めてるんだ、そう思うと、俺は薫を追っかけまわしていたあの頃の自分が、急に置いてきぼりにされたような気持ちになる。「薫ばなれ」しなきゃいけなかったのは、トモよりも俺の方だったんだな――そう感じて、あの頃の自分を抱きしめてやりたくなった。
「なあ、俺のコイバナ聞いてくれる?」
えっ? 振り向いたトモに「ああ、いいからそのまま聞いて」と言って、俺は赤くなる顔をトモから遠ざけた。
「今だから言うけど、俺のハツコイはさ、薫だったんだよ」
そのまま聞いてと言ったのに、トモはがばっと身体ごと俺の方を向いた。
「えっ、いつ?」
「小学校の時から中学の初めくらい」
トモはふうっと長いため息をつく。安堵したようなため息だ。
薫を好きだったという身近な男の発現に、トモにしてはめずらしく焦っている。薫のことになるとちょっと見境いがつかなくなってる感じだ。俺はそれが可愛くて、思わず笑ってしまった。
「同じサッカーチームにいた頃から、あいつのこと気になって構いたくて仕方なくてさ。中学でおまえに出会った時は、薫を取られたみたいな気になって妬いたよ。でも、それだけなんだ。別に薫とどうこうなりたいとか、そういうのは思ったことないし……まあ、ガキだったのもあるんだろうけど」
明らかに心配顔のトモを安心させるように、俺は言葉を続けた。それでも尚、眉根を寄せた苦しそうな顔で、トモは俺に問いかける。
「薫のこと触りたいとか……触られたいとか、そういう風に思ったことないの?」
「ないよ」
俺はきっぱりと言い切る。すると、やっとトモは安心したような顔になった。「そういう風には思わなかったけど、でも俺はいつでも薫が大事で、心配だった。だから、あれは恋だったと思うわけよ」
冗談ぽく返そうと思ったのに、トモが真面目な顔をしているので、俺の口調は思ったよりもしみじみとしてしまった。だからそのまま……俺はトモに言っておきたかったことを言葉に乗せた。こんなこと、こういう時でもないと言えやしなかった。
「だからさ、薫のこと泣かすなよな」
俺の言葉に、トモの方が泣きそうな顔になる。その表情をごまかすように、彼は横を向いてぼそっと呟いた。
「ふん……いつもあいつに泣かされてるのは、俺の方だっつの」
「おまえなあ……俺の初々しいコイバナに、そんな生々しいこと言うか?」
「いいじゃん。俺だって、たまには誰かにノロけたいよ」
真面目半分、冗談半分のトモのその台詞が、やけに俺の胸を刺激した。
くすぐったくて、むずがゆくて……そして少し痛い。その感覚を持て余し、俺は取り合えず、手近にあったクッションをトモに投げつけた。
そのクッションが、倍の強さで俺に投げ返される。「なんだよ」と言うと、「おまえこそ」とトモは言い返した。
「もっとディフェンスを信用したら?」
俺が言ったその言葉を覚えているのかいないのか、トモは苦笑いをしてから、ありがとう、と小さな声で言った。
「仁志愛してるよ。薫の次に」
その順番は、まったく意味を成さないけどな――。
「そういうことは薫に言ってやれ」
あ、なんかこれもデジャブだなと思いながら、俺はもう一度、トモにクッションを投げつけた。
THE END