トライアングル19
第十章 二人の夜 2 <side カオル>
(注 BL要素多いです)
「いつから?」
トモの口調は硬かった。戸惑っているのはわかるけれど、少なくとも拒否や嫌悪は感じられない。
「ちゃんと自覚したのは、一年くらい前から。でも、部屋のことでケンカしたあの頃から、きっと、もう好きだったんだと思う」
いったん言ってしまえば、言葉はよどむ事なく流れ出る。長い間のつかえから解放されて、僕は心が軽くさえ感じていた。
「……気持ち悪い?」
「そんなこと!」
トモは、ここでやっと大きな声を出した。
「そんなこと思わない。ただ、そんな長い間、俺は何も知らなくて……」
「知られたら、もう側にはいられないって思ってたから、だから必死で隠してたよ。でも、時々くじけてた」
「時々?」
「酔っ払って寝てるお前にキスしたこともあるよ。お前が誰かと付き合うたびに、すっごく嫉妬もした」
「……」
「僕はいつだってそういう目でトモを見てたんだよ。だからこれが、お前の側にいるのが辛い理由」
「カオル……」
声で誰かを捕まえることができたとしたら、それはちょうど、今のトモと僕の状態だった。トモの振り絞るような声は、僕をその場に押し留めた。
「俺は、どうしたらいい?」
トモが心からそう言っているのがわかるので、僕はそれだけで安堵する。もういい。これでいいーー
「どうもしなくていいよ。僕が消えるだけ……嫌わないでいてくれたら、それでいい」
「バカ言うなよ!」
トモは足元にあったクッションを僕に投げつけた。さっきまでの戸惑いの表情は消えて、明らかに怒っている。
「嫌うなって何だよ? 俺はそんなことでカオルを失わなきゃならないのか?」
「じゃあお前は、好きなやつといつも二人きりでいて、手を出さないでいられるのか?」
投げつけられたクッションを拾って、叩いて形を直す。今度は僕が正面からトモを見る番だった。僕に見すえられ、トモは一瞬小さく怯む。
「そういうことだよ」
「カオル……」
「もう、出てけよ」
「カオル!」
「出てけったら!」
トモが投げつけたクッションを、今度は僕がトモに投げつける。避けもしないでクッションの直撃をくらい、トモはその場に立ちつくしている。
タオルケットを引っかぶって、僕はトモを視界から消した。
考えごとをしながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。中途半端に開いたブラインド越しに光が差し込み、暑くなって目が覚めた。
「好きだ」と告げて、楽になったと思ったのは、ほんの一瞬だった。その言葉は、好きな人と新たな関係を結ぶものだと思っていた。より思いが近付くように、もっと思いが深まるようにと。
でも、僕にとっての「好き」は、トモを自分から切り離すためのものだったーーそのことに今更ながらに気付いて、空しくなった。なのに、トモは僕から離れようとしない。いったい、トモの僕に対する執着は何なんだろう。ひとつわかっているのは、それが恋ではないということだけだ。
タオルケットから這い出て時計を見たら、十時を過ぎている。心は晴れないのに、頭はスッキリして、熱は完全に抜けていた。悩みは結局、何一つ解決してないけど、眠れるようになっただけ、少しでも前へ進めたのかもしれない。そう思うことにした。それにしてもよく寝た。どうせ学校は休むつもりだったけどーー
トモはちゃんと学校へ行っただろうかと思ったその時、タオルケットにくるまったトモが、ベッドの足元で転がって寝ているのが目に入った。
「おい……」
呆れて、同時に腹が立った。何でこいつは……
「ん……?」
僕に小突かれて、トモは目を開けた。
「何してんだよ」
「……寝てた」
トモは、しごく最もな答えを返した。
「だからなんでここで……それにお前、学校は?」
「だって、俺がいない間にカオルが出て行くかもしれないって思って……」
寝起きの潤んだ目で僕を見上げるトモは、悪びれずにそう言った。
「病み上がりですぐに出て行くかよ」
押し倒してやりたい気持ちを抑え、その代わりに持てる限りの嫌味を込めて、僕は答えた。
二人で向かい合い、朝昼兼用のトーストをかじって、トモの作ったハムエッグを食べた。今からでも学校行けよ、と言ったけれど、がんとして行かないと言う。「熱も下がったし心配いらないから。それに今すぐ出て行くなんてことはしないから」
何度かそう言っても、トモは黙って首を横に振るだけだ。
「いい加減にしろよ。いつまでそうやって僕を見張ってるつもりだよ」
そんなやり取りが数時間続いたあと、僕はついに切れた。好きだと言った僕の方がトモを突き放そうとし、言われたトモが僕に行くなと言う。だから僕は、あやうく錯覚しそうになる。それが怖かった。
「お前、ゆうべ僕が言ったこと、わかってるよな」
「わかんないよ」
トモは、また膝を抱えて丸くなっていた。その声は、顔を膝にくっつけたままだったので、くぐもっている。僕はため息をついた。
「僕は、お前のことが好きで……」
こんな風に駄々をこねられると、今までさんざん悩んできた自分が可哀想になってくる。実際、今のトモは親にワガママを言う駄々っ子にすぎなかった。けど、本当は、少し考えればわかることだったのだ。トモが子どもの頃に、こんなふうにワガママを言ったことがなかったのだということに。
「それは、わかってるよ」
トモは下を向いたまま。
「なんだよお前」
ふざけんなよ、と言おうとしたら、トモは顔を上げた。
「だから、何でそれが俺から離れることになるのかが、わからない」
「トモ」
「だってそうだろ? カオルは逃げればそれでいいかもしれない。俺のために離れたいなんて、そんなの嘘だ。カオルは自分が楽になりたいだけなんだ。残される俺のことなんて考えてない」
めちゃくちゃだ。トモの言い分を聞いて思った。自分のことしか考えてないのはお前の方だ。しかも「逃げる」なんて僕の一番こたえる言葉で責めるなんて、僕をどれだけ傷つければ気が済むんだ。
「俺は」
トモの声のトーンが落ちた。
「カオルに一緒にいてほしいだけなんだよ」
ふり絞るような声だった。それは単にワガママでなく、真摯に僕を引き止めたいという思いから発せられていることが、僕自身、痛いほどーー心のすみずみまで針を刺されるようにーー感じさせられてしまった。 でも。
「……わからないヤツだな」
僕はそう言うしかなかった。
「じゃあ、わからせてよ」
「トモ……」
「わからせてよ」
トモは、僕に向かって手を差し伸べた。その手をとるべきなのか、撥ねかえすべきなのか、トモの目が決断を迫っている。
「……なに、言ってるのか、わかってんの?」
「カオルを失いたくない」
僕の天秤は、ある方向へ傾き始める。
「後悔、しても知らないから」
「そんなこと、やってみなきゃわからない」
「途中でやめてくれって言っても、やめられないから」
「言わないよ、たぶん」
たぶんって何だよ。天秤は風に煽られるようにぐらぐらとバランスを失ってゆく。
「サイテーだよ、お前……」
こんな方法で僕をつなぎとめようとするなんて。
「どうでもいいよ、そんなこと……」
どうでもよくないよバカ、と心の中で言いながら、僕は、伸ばされたトモの手をとった。三角形の頂点から手を伸ばしたのは、トモの方だった。
僕とトモの点がつながって、三角形はますますいびつになる。桜子の顔がよぎったけれど、僕はそれを打ち消した。サイテーなのは僕の方だ。
掴んだトモの手に、僕は指を絡めた。トモもまた指を絡め返す。そのままその手にくちづけて、挑むように僕は言った。
「キス、するから」
「誓いのキスだからな」
そう言ったトモの口を、僕はそのまま塞いだ。
その間、トモは何度も「行くなよ」「行かないで」と言っていた。まるでうわごとのように……切れ切れの声で囁かれると、それだけでもうたまらなくなって、自分が抑えられなかった。
はっきりと覚えているのはそれくらいだ。もう夢中で、ほんとに夢中で。初めて知る、トモの熱に浮かされたような表情と、せつない声に翻弄されて我を忘れてしまった。「どうやってやる」かなんてわかっちゃいなかった。でも、触れたかったところ全てに触れて、自分と同じように、トモが熱を帯びてくるのを全身で感じ、何度も何度もその身体じゅうに、唇に、キスをした。
トモの身体はどこもかしこもエロくて、思ったよりも白い肌とか細い腰とか、長い指とか、くっきりした肩甲骨とか……今までにトモの身体を触った何人もの女の子を思って、やり場のない嫉妬に苦しめられた。
僕はトモの名前を呼ぶ。何度も「好きだ」と言う。トモが吐息でそれに答える。時に吐息は言葉を伴って、僕を煽る。
「苦しい、カオル……」
その声で僕は初めて、キスが深く長すぎて、息を奪っていることに気が付いた。なのに、呼吸するために逃れようとするその顎をとらえ、逃げたことを罰するようにまた口を塞いでしまう。今度は、トモの首の辺りでこんがらがっていたTシャツがジャマで、イライラする。脱がせるために腕を上げさせると、浮き出た鎖骨にまたクラクラする。僕はトモの鎖骨を思い切り吸った。トモは小さく声を上げて、僕にしがみつく……
そんな、激しいせめぎ合いにも幕あいは訪れる。髪を乱し、肩で息をするトモを見て、僕はようやく我に返った。
「嫌じゃない……?」
「?」
「嫌じゃないの? 俺に、こんなことされて」
「嫌だったら、とっくに張り倒してる」
トモはそう言って、僕の頭を抱え込んで唇に長いキスをくれた。舌が入ってきて、僕のそれに優しく絡んだ。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
何だよ夕方って……落ちていたスマホの時計を見て愕然とした。行為が長かったのか、オチたあとの眠りが長かったのか、とにかくもう、夜に近い夕方だった。
トモはよく眠っていた。キスしたいと思ったけれど、あんまりよく寝ているので、起こしたら悪いと思って、我慢して部屋を出た。シャワーを浴びて洗濯機を回す。まあアレだ。いろいろと、洗わなきゃいけないものもあったのだ……
本当はこれで何も終わったわけじゃなくて、むしろ考えなきゃいけないことは、これから山積みになるはずだ。だけど、トモの寝息が息づくこの空間で、洗濯をし、取り合えずコーヒーの用意をする。夕メシは何にしよう。今はそれだけのことが幸せで泣きそうだった。
つい数時間前のことを思い出すだけで、また身体が熱くなりそうだった。洗濯機の回るドラムを見ているだけでも、トモの姿を思い出してしまう。自分に呆れた。
そうこうしているうちに、リビングで一人コーヒーを飲んでいたら、身体にタオルケットを巻きつけたトモが現われた。
「何おまえ、そのカッコ……」
寝起きのぼうっとした顔に、乱れた前髪が汗で貼りつき、覆い切れずに無防備に晒された首筋にはアザが散っている。タオルケットから見え隠れするヒザにも同じようなアザが見えて、自分がトモに何をしたのかを思い知らされた。トモは、壮絶に色っぽかった。
「だって、着てたモンが見あたらねんだもん」
壮絶な色気を振りまきながら、トモの答えは間が抜けていた。とにかくシャワーに追い立てて、僕は理性を押しとどめる。
「メシ食うだろ? 簡単なモノしかないけど」
ありもの食材の、パスタとサラダ、コーヒー。用意された夕食を、トモはおとなしく食べた。
トモが何も言わないので、ありがたかった。トモを前にこんなに緊張するのは始めてだ。僕もまた、何も言わずにもくもくとパスタを食した。
「……何かしゃべれよ」
突然にトモがぼそっと言った。
「何かって……」
「……照れるんだよ……」
そう言ったトモの顔は、耳まで真っ赤だった。僕はテーブルを乗り越えたいのをガマンして、身を乗り出した。
「嫌じゃなかった?」
「カオル、そればっか」
「だって……」
言葉につまる。こんな時に返す言葉なんて僕のボキャブラリーには存在しない。「嫌じゃなかったよ」
「トモ……」
「そう言ったろ? あの時も」
あの時、と言われて心臓が跳ね上がった。確実に頭の先までは跳ね上がったはずだ。
「カオル、真っ赤……」
「人のこと言えないだろ!」
「でも、あれは未遂……?」
「未遂?」
「だってカオル、本当は最後までやりたかったんじゃ」
「うわー!」
トモのあけすけな切り返しに、僕はパニックに陥った。
「言うな言うな言うなー!」
言ってるトモも赤くなったままだ。どうやら嫌味でも冗談でも責めでもないらしい。だから、僕もヤケになって言ってやった。
「だってお前が痛がるから……」
トモは立ち上がってテーブルに身を乗り出すと、僕の胸ぐらをつかんで耳の側で言った。
「変わってやろうか?」
僕たちは何日かぶりに、声をあげて笑った。笑って、笑って、その合間に何度もキスをした。本当は何も解決していないのに、これで全てがうまくいくような錯覚に陥っていた。そのことすらも忘れさせてしまう、甘い罠にはまり込んで。
テーブル一つ分の距離がもどかしくて、だんだんキスが深くなる。ふたりのサイテーな夜は、優しく、幸せに僕たちを包んでいた。
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