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トライアングル20
第十章 二人の夜 3 <side カオル>
(注 BL要素高いです。男の子同士の行為描写があります)
あの日ーー僕とトモの初めての日ーーの翌日は、一学期の終業式だったが、僕たちはその日も結局学校へ行かなかった。いきなりただれているが、初めてふたりで迎えた朝はまだ夢の続きで、僕は現実に立ち戻りがたく、トモはといえば……首筋や腕に散ったキスマークが目立って、これじゃ人前に出られないと言った。
「カオルのせいだから」
サボる気満々のくせに、トモは人のせいにする。確かに僕のせいだったし、仕方ないから、僕たちは二日続けて発熱ということになった。
朝になっても魔法は解けず、夢は終わらなかった。タオルケットにくるまって、ベッドにちょこんと座ったトモが、窓の外を見ている。その剥き出しの肩に、僕のつけたアトが滲んでいる。呼んで振り向かせば済むことなのに、その表情を知ることが怖くて、夢が現実に変わることが怖くて、僕はトモを背中から抱きしめた。「好きだよトモ。めちゃめちゃ好き」
トモの指が回した僕の腕に触れる。
「どうしたの急に」
なんで、離れるなんて思ったんだろう。こんなに好きなのに。知ってしまえば、離せなくなる。今度は、突き放そうとした僕がトモを追いかけることになる。
トモは、いつまでこんな僕に付き合ってくれるんだろうーー?
「泣いてるのか?」
言われて初めて、自分が泣いていることに気がついた。
「こっち向くな」
僕の方に向き直ろうとするトモを制した。
「顔……見られたくない」
「カオルの泣き顔なんて、めずらしくも何ともない」
言葉はぞんざいだけど、口調は優しい。
「……何で泣くんだよ?」
「わからない……」
トモが僕の頭をぽんぽんと叩く。僕はただ、怖くて、幸せなのに、怖くてーー幸せで、怖かった。
夕方近く、夏原がふたり分のプリントやら何やらを持ってやってきた。LINEが来てから、僕とトモは必死に氷でキスマークを冷やし、証拠隠滅に努めた。
「成績表は自分で取りに来いってさ」
熱あったって聞いてたのに元気そうじゃん、と言ってから、夏原は僕たちをじーっと見た。トモを見て、僕を見て、もう一度トモを見て、僕を見た。
「なんか、お前らってカンジ変わった?」
敏感な夏原は、僕たちの様子から何かを嗅ぎ取ったらしい。僕は内心あたふたしていたが、トモはいつもの様子で「仲直りしたからなあ」と言った。
「仲直り?」
「うん、濃ゆいやつ。なあ?」
何てこと言うんだ。確かに濃ゆい。濃すぎるけれど。
「犬も喰わない、ってやつだな」
何をどう感じたのか、夏原はぼそっと言った。
「ははは」
僕の笑いは引きつっていたけれど、トモはただ、ニコニコと笑っている。ある意味、トモは度胸がすわっていると思う一瞬だった。
夏原は泊まっていくことになった。僕とトモがカレーを作って、スーパー銭湯に行ってからゲームをしまくって、近所の公園で花火もした。まだ、昨日の出来事が生々しい僕にとって、夏原がいてくれるのはありがたかった。それに、久しぶりに三人で騒いで楽しかった。
「カノジョたちも呼べば?」
夏原が言った。
「坂崎と、えーと、サクラコだっけ?」
不意に言われた名前に、胸が嫌な感じで高鳴った。一気に現実に引き戻される。だが、トモは落ち着いたものだった。
「今日は夏原デーなの」
女の子たちを瞬殺するという、噂の「アクマな笑み」でトモは夏原を黙らせる。「今日は俺たち、夏原の下僕よ?」
この軽口、トモは何も変わっていない。じたばたしているのは僕だけだった。
そんな感じで始まった夏休み。
時々、お互いに単発のバイトや補習が入る以外は、僕とトモは、一日をずっと一緒に過ごした。蜜月ってのは、きっとこういうのを言うんだろう。
台風が近付いたある日は、一日中ベッドから出なかった……こんなこと一日してたらバカになる、と思ったけれど、大雨のために外へ出られず、その閉ざされた空間は、世界に自分たちだけみたいな感じがして居心地がよかった。結果、あきれ返るほどの性欲のままに、僕たちはその一日を過ごした。
僕はトモに触ることをやめられず、トモは、僕に身をあずけてくれる。そしてトモもまた、側にいてよと言って僕を求め、僕はあっさりと彼に陥落する。そして、無我夢中だった時から少し進んで、僕はトモの表情や声をほんの少し余裕をもって感じられるようになってきた。
トモは極度のくすぐったがりで、Tシャツを脱がせるだけでも身をよじる。わざと背中や首筋に指を這わせてふざけていると、そのうちにお互いもっと違うところを触って欲しくなる。僕がトモの手をとって、僕の中心へ導くと、トモもまた同じように僕の手をとった。そして二人とも、すぐに何も考えられなくなってしまうのだ。
「好き……好きだよトモ」
「あ……」
お互いの指で果てたあとに、僕は濡れたトモ自身をそっと口に含んだ。まだ感覚が敏感なそこは、気をつけて優しく舌を這わせても、トモの悩ましい声を呼び覚ます。
「……あ……そんな……」
ためらいがちなトモの抗議を無視して、僕は夢中でトモを舐める。
「気持ちいい?」
「や……」
トモの声を聞いてるだけで腰に来る。僕は、トモが「気持ちいい」と泣くまで、彼を放してやらなかった。
さすがに、一日中そんなことをやりまくったのはその日だけだったけど、深いキスも、せつなくてじれったいスキンシップも、不意打ちのハグも日常だった。
七月末の十日間、そんなふうに、僕はトモに溺れていた。
だが、蜜月も甘いばかりのものではなかった。トモに、坂崎から電話やLINEが来る。当然だ。夏休みだし、つき合っている二人が連絡を取り合わないなんて不自然だ。トモは決して僕の前で坂崎と話したりはしなかったけど、そういうのは空気でわかる。仕方ない。仕方ないんだ。二人の間に割って入ったのは僕なんだから。「坂崎とさ、会わなくていいの?」
おずおずと僕が聞くと、トモは不機嫌に答えた。
「会ってほしいの?」
「僕が、会わないでって言えることじゃないから」
「俺は桜子に会うなって言ったけどね」
「それとこれとは事情が違うだろ……」
だって僕は、と言おうとして口をつぐむ。言い訳ばっかりだ。トモみたいに行かないで、とか側にいてほしい、とかどうして素直に言えないんだろう。
「カオルってさ」
僕の心を見透かしたようにトモは言った。
「いつもどこかに逃げ場をつくってるよな」
言い返せなかった。今回だって、逃げる僕を捕まえたのは、確かにトモだ。
それから次の日まで、僕たちは口を聞かなかった。夏原が泊まった日以来、初めて一緒に寝なかったことになる。
トモは、坂崎と別れてと言ったら別れてくれるんだろうか。いや、違うだろ。別れてくれるんじゃない。別れてほしいんだ。
坂崎とトモのことを考えるのは、僕たちの今の関係を考えるのと、イコールだった。トモは僕とこうなったけれど、それは僕を「好き」だからじゃない。トモは僕が離れない代償として、身体を投げ出したにすぎない。わかった上でトモの手をとったはずなのに、今の関係をそんな風に肯定できない自分が嫌だ。そしてそれは、トモ自身も否定してるのと同じことなのに。
いたたまれずに僕は自分の部屋を出て、トモの部屋の前に立った。部屋からは何の物音もしない。もう熟睡してるんだろうーー
「トモ」
小さい声で呼びながら部屋に入り、彼のベッドに潜り込む。トモの背に寄り添ったら、自然に「ゴメン」が言えた。
「カオルって背中に抱きつくの好きだよな」
寝ていると思ったトモが顔を僕の方に向けた。そのまま身体の向きを変え、横になったまま僕たちは向かい合う。
「会わないで」
僕はトモの顔を両手で挟み込み、キスをしたまま言った。
「坂崎と会わないで」
トモは僕の手の上に自分の手を重ねる。
「ちゃんと言うよ。実はずっとそのこと考えてたんだ。真面目にこういうことしてるヤツがいるのに、坂崎とはこれ以上つき合えない。それは坂崎に失礼なことだと思うから」
「でも、僕はその、トモのカレシ……とかじゃないよ」
僕は、僕たちの関係を表す言葉を知らない。
「けど、いい加減な気持ちでこうなったワケじゃないから」
トモはそっと僕の額にキスをした。
「なあ、お前、いつ俺の背抜いたの?」
「同じくらいだよ」
「いや、カオルの方が少し高いよ」
わだかまりの波がすうっと引いていく。僕たちはこうやって、もっと話さなきゃいけないんだ。
次の日、トモは坂崎に会うと言って出かけて行った。残された僕は、落ち着かない気持ちを紛らわすように掃除に没頭し、キッチンのシンクをピカピカに磨き上げた。
夕方、トモは夕飯の材料を買って帰ってきた。トモほど、エコバッグの似合わないヤツはいない。坂崎とハードな話をしてきははずなのに、トモは、卵や牛乳の入ったエコバッグを提げて帰ってきた。僕なら、きっと現実的な買い物どころじゃなくなるのに。
「話してきたよ」
トモは、キッチンカウンターの上に、食材を出しながら言った。こういう話をするのに、まるで似合わないシチュエーションだった。
「何て言ったの?」
「ごめん、付き合えないって。そのまま」
「坂崎は?」
「好きな人がいるの? って言うから、大切な人がいる、って答えた」
トモはどこまでも正直だ。僕のことを「好きな人」とは言わない。でもーー
「あとは、これはもう坂崎と俺の話だから聞かないでくれる? でも、信じて?」「うん」
大切な人、と言われたことが嬉しくて、坂崎にも僕にも真っ直ぐであろうとするトモが愛しくて、僕はトモに抱きついた。
そのまま、二人で床に倒れこむ。カウンターに食材が出しっぱなしだ。でも、僕はトモの耳元で囁いた。
「ベッド、行こ?」
トモにも異論はなかった。
もつれ合うようにたどり着いた僕の部屋のベッドの上で、着ているものをもどかしく脱ぎ捨てる。ひと通り身体中にキスして触れあったあと、僕は、自分の指を、トモのそこにあてがった。
「……欲しい」
最初のときに痛がられてから、怖くて触れられなかったその場所に。
「だめ?」
トモの顔は紅潮し、愛撫を中断されて中途半端に投げ出されたことに戸惑っていた。潤んだ目を、抗議するように僕に向ける。
「ーー聞くなって」
僕は片方の指をトモの口に差し入れた。抵抗せずに、トモがその指を舐める。その生あたたかい感触だけで、僕の意識は、何万光年も先に飛んで行ってしまいそうだ。
その濡れた指を、もう一度そこにあてがって、入り口を探す。トモは目をぎゅっと瞑って、僕の腕を強く掴んだ。
「つらい?」
「恥ずかしくて、もう、死にそう……見んなって。顔、見んな……」
「トモかわいい」
「あと、で、おぼ、覚えとけ、よっ」
憎まれ口を叩こうとするが、未知のことに対する恐怖と羞恥心と、二人でもつれ合っているという快楽に意識が引っ張られて、上手く行かないようだ。そして、それすらも僕を煽る材料にしかならない。
「無理、無理無理無理……!」
やがて、自分の中に押し入ろうとする異物に、トモは怯え、初めて抵抗した。「痛い……痛い」
僕の腕を押し戻そうともがき、首を振る。
「ごめん、ご、めん、トモ……」
でも、もうやめられない。
「うあ」
一番つらいところで、トモは声を上げたが、その後は必死で僕にしがみついてきた。
「……嫌なんじゃないから……でも……あ……カオル、キス、キスして」
キスしながら、身体をトモの中に沈める。生温かくてきついものにめり込んでいく感覚。それは、以前経験した、桜子とのそれとは比べようもない、強烈なものだった。
何も、考えられない。
「ごめん」
トモは起き上がれずに、シーツの上に突っ伏したままだった。憔悴しきった顔をして、目には涙が滲んでいる。そして、まだ荒い息で言った。
「ケダモノ」
弁明できずに、僕は俯いて手を合わす。トモは痛がっているのに、止められなかった僕は「ごめん」を繰り返しながら、彼の中で動いてしまった。押し入るときより、引くときの方が、彼の顔が苦痛で歪む。僕の背に立てた指が食い込んで痛かったけれど、トモが耐えたものとは比べ物にならなかったはずだ。
「なんつーか、すごい体験だった」
あやまる僕を無視して、トモはシーツに顔を埋めた。
「世界の、未知の扉を開けたって感じ?」
「未知の扉……」
僕はうなだれたまま言った。それは一体どんなものだろう。
「もういいよバカ、痛くてビビっただけだよ。いい加減に顔上げろ」
うつぶせのまま伸ばした手で、顎を捕まえられた僕は、お叱りを受ける犬と同じ状態になった。
「本当に、お前でなきゃさせないんだからな。こんなこと」
トモは僕の頬をぺちぺちと叩く。僕は、許容範囲を超えた驚きに、完全に魂を抜かれてしまった。
「なに?」
僕の呆けた顔を見て、トモが怪訝そうに聞く。
「感動した」
「感動してろ」
トモはちょっと赤くなって横を向いた。僕もまた、熱い顔を手で扇いだ。
「どうしよ。俺、玲子母さんに合わす顔がない……」
「……父さんはいいのかよ。もう二週間もすればあっちへ行くんだぜ」
「うわ……」
そうだ、トモはともかく、僕はトモとこうなってから、ふわふわした感覚がダダ漏れだ。父さんや玲子母さんの前で、何事もなくふるまえるんだろうか。
「やっぱり、知られるのはキツイよな……」
トモの言葉で、僕は途端に、暗くて冷たいところへ突き落とされたような感覚に陥った。なんで、なんで今まで考えもしなかったんだろう。狭い二人だけの世界に溺れて僕は……
連れ子同士が、しかも男同士でできてるなんて知ったら、ふたりともどんなショックを受けるだろう。絶対に、僕たちも引き離されるに決まってる。それだけじゃない、トモを好きだという僕の気持ち、葛藤の末に僕を受け入れてくれたトモの気持ち、それが「間違ったこと」「恥ずかしいこと」なのかと、第三者の目で認識してしまった自分が、一番ショックだった。
「俺より、カオルが心配だな」
トモもそれをわかっている。僕は悩みや迷いが、顔や態度に出やすい。
玲子母さんや父さんに言えないことをしているーー僕たちの場合、それはよくある思春期の隠し事の範囲を超えていた。手に余るこの事態に、僕たちは本能のままに溺れていただけだったのか。あの「怖さ」がまた僕の心を侵食し始める。僕は喘ぐように言った。
「僕が全部、悪いんだ。僕がトモのこと好きになったから。トモは僕に合わせてくれただけなんだよ」
「違うよ」
トモはきっぱりと言った。
「悪いとかじゃなくて、こうなったのは俺が望んだからだよ。だって俺が望まなきゃ、俺たちはこういう関係にならなかっただろ? カオルは、俺から離れようとしてたんだから。でも、俺は逃げないから」
「……」
「だから、カオルも逃げるな」
「トモ」
「俺はカオルを守るよ。カオルは、俺のわがままを聞いてくれた。俺は、お前に恋してるのかどうかわからないけど……わからないんだ。人を好きになるってことが、どういうことなのか」
トモは辛そうに言った。玲子母さんが言っていた「人の情ってものがわかりづらい」トモは、そんな自分に、それでも確かにもがいていた。
「もういいよ。トモ、十分だよ」
僕だけに許すといった、この行為だけで。もう、それだけでーー
トモと坂崎の話は、それから何日か続いていたようだった。彼女が納得できないのは、仕方ないことだと思う。トモは他に好きな人ができたわけじゃない。坂崎が「大切な人」というのを理解するのは難しいだろう……
桜子と僕は、何の連絡もとっていなかった。僕たちは、あの日駅で別れたときに終わっている。そもそも、始まってもいなかったのかもしれない。だから、電話やLINEのデータを消去することすら忘れていた。
桜子から「たすけて」というLINEが来たのは、七月最後の日の午後だった。