この夏、……だったかもしれなかった話
それは、うだるような暑さの七月下旬のこと。
市の検診で「引っかかった」私は、大腸の内視鏡検査を受けた。初めての内視鏡、検査に行き着くまでが辛くて、でも始まってしまえば痛みも感じず、落ちついていた。
「入り口に大きなポリープがある! うーん、これは開腹しないととれないかも……」
「えっ、開腹って手術ですか?」
持病でお世話になっている総合病院だが、消化器内科にかかるのは初めてだった。でも、気さくな先生で、そもそも病院自体がもう、私にとっては第二の家のようなものだから。
「さっき説明したように、小さいポリープは検査しながらとっていくんだけど、とにかく、これは今とることはできない。後日もう一度検査することになるね」
つまり、内視鏡でとれる大きさではない、ぎりぎり、一泊二日入院して内視鏡の電気メスでとれるか……ということだ。その上――。
「表面がガン化しているようにも見えるね……」
先生は淡々と続ける。ガン化、と言われてぎょっとしたが、怖いとは思わなかった。ただ、開腹手術になったら嫌だなあと。今日で終わると思ってたのに、またあの大量の下剤を飲まねばならないのかと、それがうんざりだった。
あと、今は検査の前に同意書書かないんだなあ、先生から直接こうして言われるものなのか……と、以前、乳がん検診に引っかかった時のことを思い出していた。あの時は、『悪性ならば告知を希望しますか?』みたいな同意書を書いた覚えがあるのだけど……。
私は内視鏡カメラが撮っている自分の身体の中を観ていた。ローストビーフとか、レアなステーキ、赤身の魚は食べられないくせに、こういうのは平気なのだ。
確かにそのポリープは禍々しかった。他に小さなポリープもとってもらったけれど、そのポリープや内部の襞に比べても、「なんやこれ」と思うくらいにおどろおどろしいというか、なんと言うか……。(自分の身体の内部を淡々とみる女。BL作家なので、ほほう、こうなっているのか、と思ったことを告白しておきます)
検査のあと先生が言うには、このまま放置して数年後に判明したら、確実にガンの開腹手術になっていた、とのことで、結果、その大きなポリープはなんとか内視鏡手術でとれると判断された。 ああ、またあの下剤を……そっちかい、という感じで夫に報告すると、彼の方が慌てていた。8年前、難病に罹っていることを告げた時よりも動揺していた。
一方、私は間質性肺炎に罹っていることも告知されていて、女性の平均寿命までは生きられないリスクが高いとも言われていた。父系がガン家系だったこともあり、自分もそうなるかもと思っていたこともあって、割と淡々としていた。(父も直接の死因ではなかったが、肺の腫瘍が早期発見され、レーザー治療を受けていた)むしろ、指定難病に罹っているとわかった時の方が落ち込んでいた。
「ガン化してるかもって、それがわかってるなら、なんですぐにとってもらえへんのや」
「だから、今とれないからやろ」
という感じ……。それに、早期発見であれば98%が治ると言われているし、早く見つかったならそれでよかったと思っていた。
……のだが。
次の内視鏡手術まで、三週間ほど間があいていた。さっさととって、ガンならガンですっきりしたいなあ……なんて思っていた。膠原病の方の主治医も、子宮ガン検診をしてもらっている先生も、「それは大変だったね。でも早く見つかって良かった」と言ってくれたし。そして二人とも、消化器内科の先生と同じことを言っていた。
『これが数年、放置していたなら……』
以前、持病の記事で「検診ではわからない病もある」と書いたけれど、やっぱり「検診は受けないとな」と今更そんなことを思った。乳ガンが進行していたのに、検診で見つからなかったという例も最近、聞いたけれど……。
話を「……のだが」に戻す。
酷暑だったこともあり、持病の減薬も止めて過ごしていたが、この夏は体調の波がひどかった。身体に次々と青いアザや黄色いアザができたり……(血小板が少ない状態が疑われたが、数値上では異常はみられなかった)でも、良い時は東京へ遠征したりしていた(すると心は元気になる)。
内視鏡検査を受ける前から、私は持病よりも難聴のことで鬱々としていた。だんだん聞こえが悪くなることを実感する日々だったのだ。補聴器をつけているというものの、テレビや動画を見るときの音量は上がっていくし、大好きな舞台は大丈夫だけれど、カフェとかざわざわした所へ行くと、向かい合っている人の話も聞き取りにくい。声は聞こえるけれど、言葉が聞き取れないのだ。時には、何度も聞き返すのが申し訳ないのと辛いのとで、曖昧に笑って相づちを打ったりして、すごくストレスを抱えていた。
そんなストレスを家人はわかってくれない。ガンのことでは動揺したのに、難聴や持病に対しては当たりが厳しい……これを語り出すと一冊の本が書けそうなくらいだから、今はやめておくけれど。
次々アザができるのに、数値には現れない矛盾、難聴についての様々なストレス……その積み重ねで疲れていた時、ふっと思ってしまったのだ。
「完治しない難病、難聴、その上ガンだって?」
以前のような淡々とした前向きな気持ちは消え失せ、病気に対する怖れよりも、なんでこんなにたくさん抱えなきゃならないんだ、と私はヤサぐれた。義姉が話を聴いてくれることだけが救いだった。でも、こんなことばかり聴いてもらって申し訳ない。私は買い物に依存するようになった。カードを使って、ネットでもリアルでもばんばん買い物した。だが、アルコールも煙草も禁止されているから、そのラインを守る理性だけは残っていたようだった。そして、ちょうど8月刊の本が出たばかりだったから、Xで挙げていただいた新刊の感想や書影がどれだけ私を力づけてくれたことか……。それがなかったら、あのラインも越えていたかも……と思うくらいだ。
こうして悶々とした日々は辛かったが、内視鏡手術では無事大きなポリープをとってもらった(1,5㎝だったそうだ) 心が折れていたこともあって、一泊二日の入院も、内視鏡での処置も、前回よりもずっと辛く――そして懸念だった病理検査の結果が出たが、ポリープはガン化していなかった。そのまま来年の検査予約を取り、私は荷物を下ろしたような安堵感を得て、折れていた心は幾分、修復されたが、翌月には、ひえー!! となるほどのカードの請求書が届いたのだった……自業自得。
身体は無事だったが、心は傷ついた。それは病気そのものへの恐怖ではなく、気持ちをわかってもらえないことに起因していた。私は今お世話になっている先生や、この病院そのものを信頼しているから。それはもちろん人それぞれだと思うけれど。
人を追い込むのも人、人を癒やし元気づけてくれるのも人。読者さま、お義姉さん、内視鏡手術の時に背中をさすり続けてくださった看護師さん、指が冷たくてレイノー化現象(指の色が変わる)を起こしていた私の手を自分の手で温めてくださった看護師さん、迅速な処置をしてくださった先生……私に寄り添ってくださって本当にありがとうございます。
……などと夏を振り返る今はもう、秋がなかった冬の始め。心身、緩やかに生きていきたいと思う11月の終わり。
11月には心痛む思い出があるので、それはまたいずれ……。