トライアングル24
第十二章 結末 <side カオル>
注:男の子同士の性描写があります。
「出て来いよ」
僕を抱きとめたままトモは言った。彼の腕に抱かれたまま振り向くと、そこに桜子が立っていた。
「ーー」
僕は一瞬、息を呑んだ。その僕の肩をトモがもう一度強く抱き寄せる。
「わかっただろ?」
トモは挑戦的な、威嚇するような口調だった。
「俺はカオルのもので、カオルは俺のものなんだよ。あんたの出る幕はないから」
真実を知らないトモは、桜子が僕のことを好きなんだと思っている。だから野良猫みたいに桜子のことを威嚇している。まるで目の前の獲物を攫われるかのような恐れをもって威嚇している。
桜子は僕の方を見た。責めるような視線ではないけれど、驚きを隠せない表情だった。
「トモは僕の気持ちに応えてくれたけど、でもそれだけなんだ。それ以上のことはないんだ」
トモの腕の中でこんなことを言ってなんになるのか。でも言わずにいられなかった。言い訳に聞こえても、それは真実なのだから。
「違うよ」
トモははっきりと言った。桜子ではなく僕に。
「違うんだ」
トモが何を言っているのかわからない。何が違うと言おうとした僕の声は桜子の声に一瞬重なって、そして阻まれた。
「誤解」
桜子はトモを見据えて言った。
「あたしはカオルくんのことを、そういう風に好きなわけじゃない。あたしが本当に好きなのはーー」
「やめろよ!」
今度は僕が桜子の言葉を遮った。言わせてはいけない。いけないと思ったのに。「智行、あなたよ」
トモが僕を抱きとめていた腕が緩んだ。反動で僕は床にへたり込む。トモはそのまま立ち尽くし、桜子もまた、姿勢を崩さずにじっとこちらを見ている。
「なに言ってんの?」
嘲るような、トモの第一声。
「あたしは、子どもの頃からあなたのことが好きだったの」
それでも怯まない、桜子の返答。
「だって、だって俺とアンタは本当は双子の兄妹なんだろ? バカも休み休み言えよ」
「あたしはあなたの従姉妹。だから好きになってもなんの問題もーー」
「好きって言うな!」
トモは怒鳴った。悲鳴に近かった。
トモがこんなことを言い出したのは僕のせいだーー僕がちゃんと否定できなかったから。歯噛みしても悔しがっても、もう遅かった。くずぶっていた火種は引きずり出されて、今まさに燃え上がろうとしている。疑念と妄執と、愛するとか憎むとか信じるとか、そんなものがないまぜになって。
「あの女が死ぬ前に言ったんだよ。あんたたちなんか産むんじゃなかったって。あんたたちって!」
「あの人は死んでない、生きてるのよ」
「そんなこと聞きたくない!」
トモは叫んで耳を塞いだ。崩れてしまうーー恐怖にかられて、僕はトモの腕を掴んだ。
「生きてるの。精神的に弱っているけれど、あなたのお母さんは……」
「母親なんかじゃない!」
「トモ!」
桜子に詰め寄ろうとするトモを、僕は羽交い絞めにして抑えた。トモは震えながら、僕にそのまま縋りつく。
「初めてだね。あなたがこんなに……真正面からあたしを見てくれたのは」
桜子の目に涙が浮かんでいる。その涙を僕は拭ってやったことがあった。でも、それはいつのことだっただろう。ついこの前のことなのに、よく思い出せない。
いつかはぶつかる現実だった。二人の間がいい関係に変わるなんて、この三角形が共鳴できるようになるなんて、そんなことはありえなかったのに。甘い夢を見すぎた僕は、それでもトモをここまで傷つける桜子が赦せなかった。
「もう、いいだろ」
僕は桜子に言った。
「もう、やめてくれ。トモが壊れる……」
「壊れてたまるかよ」
自分を支えている僕の腕を掴んで、トモは振り絞るように言った。
「さっきの話がまだ終わってない。あの女は"あんたたち"って確かに言ったんだ。それが、俺とこんなに似ているアンタでなければ他に誰だっていうんだ」
桜子は、もう泣いていなかった。さっきのは錯覚だったのだろうかと思うほどに、彼女は凛としてそこに在った。
「確かに、そういう人がどこかにいるのかもしれない。でも、それはあたしじゃない」
それは、全てを終わりにするような、有無を言わせない口調だった。審判の女神でさえきっと、この時の桜子ほど全てを黙らせることはできないんじゃないかと思えた。
「カオルくん」
桜子は僕に向かった。
「今までありがとう。智行を傷つけてごめんね……明日、ここを出ていくから」「って、どこへ……」
「両親のところへ帰るわ」
両親、を強調して桜子は答えた。
「家に入れてもらえないかもしれないけど、でも、取り合えずあそこにしか帰れないから」
桜子は弱々しく笑った。トモは何も言わず、俯いて床を見つめていた。
「あなた誰?」
桜子のものとは違う女の子の声がして、僕はトモに手を差し伸べたまま顔を挙げた。
出て行こうとしてリビングのドアを開けた桜子と、その前に立ちはだかって真っ青な顔をしているのは……。
「坂崎……」
桜子は何も言わずに、坂崎の横をすり抜けて部屋を出て行った。その後ろに夏原もいる。桜子に取り残された坂崎春菜は、顔面蒼白で僕とトモを凝視していた。「どういうこと?」
坂崎は低い声で言った。僕に聞いているのか、トモに聞いているのかわからなかった。
「全部、本当なの?」
「……聞いてたのか」
答えたのはトモだった。何も言わない坂崎に変わって、夏原が口を開く。
「ごめん。坂崎がここへ行くって聞かなくて……俺、止められなくて!」
「夏原が悪いんじゃないよ」
トモは夏原に優しく笑いかけた。僕だけが何も言えずにいる。
「本当だよ。どこから聞いてたのか知らないけど」
トモの言葉に、坂崎の顔が苦しそうに歪む。
「嘘よ。信じられない……男の子同士でそんな……」
「ごめんね」
トモは坂崎に歩み寄った。
「カオルのために遠まわしな言い方しかできなくて君を傷つけた。でも」
トモは坂崎を真っ直ぐに見た。
「俺は、少なくとも今までに付き合った女の子の中で君が一番好きだったよ」
聞いていられなかった。口調は優しく、それはトモの精一杯の誠実な謝罪には違いないのだろうけど、坂崎にとっては、これほど残酷な拒絶はなかったに違いない。
「言ってやるから」
坂崎は僕に視線を移し、睨んだ。いつも人を心配しているような優しい彼女に、こんな顔をさせたのは僕だ。
「二人はこういう関係なんだって、みんなにバラしてやるから!」
「いい加減にしろって!」
叫んだ坂崎を夏原が制したけれど、彼女はそれだけ言い放って部屋を飛び出して行った。荒々しく玄関のドアが閉まる音がする。
「俺が、そんなこと言わせないから……お前らがどんだけ悩んでたか何も知らないくせに、そんなこと俺が言わせないから」
夏原は僕とトモを交互に見て、まるで誓うようにそう言い、坂崎の後を追って行った。
嵐のような数十分間が過ぎ、部屋には僕とトモが残された。一気に押し寄せた現実なのに、それはわかっているのに、その流れについて行けずに、僕は映画でも観ていたかのような非現実感に漂っている。リアリティが伴わず、共感も生まない映画を観たあとのように。
「どうしよっか?」
トモは、呆けている僕の肩に手をかけた。
「学校が始まったら、俺たち一躍有名人だな」
トモの言葉と手の温かさが、僕を優しく現実にいざなってくれる。無理やり引き戻すのではなく、僕が少しずつ、その現実に向き合えるようにと。
「ごめんな。勝手にカミングアウトして」
トモは僕の顔を両手で挟む。僕の好きな仕草だ。
「好きだよ、カオル」
そう言ったトモの瞳を、僕は改めて見た気がした。こんな色をしてたっけ? 薄く茶色がかって……。
ああ、そうだ僕はいつも余裕がないから。
「今頃気付いてごめん」
トモは、自分の額と僕の額をコツンと重ね合わせる。合わさった皮膚の接点から、いろんなモノが流れ込んでくる。悲しみとか苦しみとか、疑念とか痛みとか、そして、パンドラの箱の一番底にあったに違いない、あったかくて切ないものも。「何も言えない?」
僕は頷いた。トモに好きだと言われたことで胸がいっぱいなのか、桜子や坂崎の言ったことで胸がいっぱいなのか、わからないのが情けなかった。
「じゃあ、話せるようになったら教えて。桜子が言ってたこと」
トモは静かに言って、そのまま僕の額にキスをした。
熱いコーヒーを飲んだら少し落ち着いた。濃い目に入れたブラックコーヒーのカフェインは、きっと僕の心を奮い立たせてくれたとは思うけれど、それより大切なのは、トモが淹れてくれたコーヒーだということだ。
「桜子が、子どもの頃からトモを好きだったっていうのは本当。だから僕に近付いたんだって」
僕はトモに知っていることを話し始めた。でも、桜子が張った一線は守り通した。自分の思いを告げるのか、妹であることを告げるのか。彼女の身を切られるような二者択一を、僕はやっぱり守るべきだと思った。それがトモを欺くことになっても、トモがとっくに真実に気付いていたとしても、僕が桜子にしてやれるのは、もうこれだけしかない。
トモは何も言わずに僕の話を聞いていた。桜子が親とうまく行ってないこと、寂しくて、いろんな男と遊んでいたこと、そんなことを知ったからと言って、トモが桜子になんらかの柔らかい感情を抱くとは思えないけれど、でも話さずにいられなかった。
「あいつって、そういうとこ俺と同じなんだな」
トモはそう言った。
「寂しくて、取り合えずそういうもので埋めようとしてる。でも、俺には父さんや母さんやお前がいてくれたから」
「その……トモを産んだひとのこと」
僕はやっぱり「お母さん」という言葉は使えなかった。
「柏崎さんに調べてもらえば、何かわかるかも」
地雷を承知で僕は言った。踏んで痛みを覚えても、傷ついても、僕が一緒に傷ついてやればいい。逃げずに向かっていかなきゃならないことも、きっとあるのだから。
「別にいいよ。生きてても死んでても、あの人は俺の母親じゃないから」
そう、と言って僕は下を向く。こみ上げてきた涙を隠すためだったのに、涙はトモの手の上に落ちた。
「泣き虫だよなあ、カオルは」
トモは僕の顔を掬い上げた。
「ずっと側にいるから、側にいてよ」
トモの言葉には主語がなかった。必要ないんだ。だってそれは、お互い以外あり得ないのだから。
「抱きたい」
トモの首に腕をからめる。
「ケダモノ」
語尾はキスで絡め取られる。
「学校に居られなくなったらさ」
僕の胸の上に舌を這わせながらトモは言った。
「シアトルに行っちゃおうか」
声の振動がダイレクトに皮膚に伝わる。そのたびに僕は、自分のものとは思えない甘い吐息を漏らしてしまう。
「……っ、それじゃ逃げだろ」
「そりゃそうだけど」
今度は、さんざん焦らされて敏感になった胸の頂を吸われた。連れ込まれそうな甘い疼きに耐えて、僕は答えを試みる。
「逃げるな、って言ったのトモだろ? 僕は、逃げるなってこと自体、どういうことなのかよくわかってなかったけど……ちゃんと言う……よ、俺はトモのこと、好きなん……だって……」
トモの容赦ない攻撃に、語尾と声がだんだん怪しくなる。
「エロい声でそういうこと言うなよ」
トモは真上から僕に笑いかけた。今のお前の方がずっとエロいって。
「……襲いたくなるだろ?」
ニッと笑って、トモは僕の上に膝を立てて座りなおした。
「ちょ……トモ」
トモが僕の上で腰を沈める。苦痛に歪む顔が少しずつ上気して、その口から悩ましい声が漏れる。やがて僕を飲み込んだトモは達成感に溢れた顔をして「どうだ」と言わんばかりに得意そうだ。
「……すごすぎる」
「すごいだろ」
やっぱり僕たちはサイテーだ。二人の女の子を傷つけて、夏原に厄介かけて、明日にも夏休み中の同級生にLINEが回って、噂されるかもしれないのに。僕は父さんに約束したことさえ、まだトモに話せていないのに。それなのに、お互いこんなに、どうしようもなく溺れている。
僕は身体を起こしてトモを抱きしめた。結合が深くなってトモが泣く。泣きながら好き、と言われて僕も、と答える。俺の方が好き、と切り替えされて、僕の方が好き、と言い返す。キスで応酬する。
二人同時に果てたのは、これが初めてだった。
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