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トライアングル番外編 「Best Frend」2

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 そんなわけで俺は、薫とは親友づきあいをしながら、トモとは距離を置き続けた。
 あちらが俺に興味を示すことはなく、俺とトモの距離はクラスメート未満のまま、系列の高校へと進学した。高校生になってもトモは相変わらず、来る者拒まずで女の子にもてまくっていた。一方で薫も、坂崎や他の女の子に好きだと告られていたけれど、結局、薫は誰ともつき合わなかった。
 そして俺はと言えば、あんなにトモに薫をとられたような気がして腹が立ったのに、薫を好きだという女の子が現れても、別に何も感じなかった。それどころか、「もったいない。つき合えばいいのに」なんて思っていたのだ。
 どうしてトモに対してだけ、あんなに腹が立ったのか……気になったけれど、考えてもわからなかったので、放っておいた。
 その頃、高校一年の夏ごろから、薫は急に情緒不安定になった。俺からも離れて、今までとは違うやつらとつるんで遊ぶようになり、校則に触れるようなこともやらかしていた。
 さすがにトモもそんな薫のことが心配だったようで、彼にしては切羽つまった余裕のない様子で、薫をクラスまで問い詰めにきたことがある。
 その時、トモは俺に「薫を呼んでくれ」と言ったのだが、きっと俺のことなんか、頭の隅っこにさえ存在していなかった。中学の時にやりあってから始めて口を聞いたのだが、そんなこと、トモにとっては究極にどうでもいいことだったんだろう。
 そんな俺とトモの距離が縮まったのは、高校一年の冬のことだ。今にも雪がちらつきそうな、凍える一月の夜のことだった。


 毎週読んでいる雑誌を買って、別に何をするでもなく本屋の中をぶらついていたら、同じように所在なげに立ち読みをしているトモを見かけた。
 視線を外してそのまま気づかないふりをしようとしたのに、トモが視線を上げたので、目が合ってしまった。そこで、軽く会釈だけしてそのまま立ち去ってもよかったのだ。薫を介しても、俺たちはクラスメート未満。別に話しかけなくてもなんの不都合もないはずだった。
 それなのに俺がその場にとどまったのは、その時のトモがとても頼りなげで、今まで見たことのないような、泣きそうな顔をしていたのが気になったから……だった。
「よう……」
 俺が声をかけると、トモは俺をじっと見た。
 明らかに「顔は知ってるけど名前が出てこない」という表情だった。こいつ、俺の名前忘れてやがる、と呆れたが、思い出そうとしている表情が妙に可愛い感じがした。この時のトモは、なんて言うか……無防備で、剥きだしだった。いつもの冷たい笑顔や、人を小馬鹿にしたような表情は、すべて武装していたのだと思えるような……そんな素顔を晒している。
「何してんの?」
「ちょっと時間つぶしてる」
「薫は一緒じゃないのか?」
 そう言うと、トモは困ったように笑った。確かに、こんな顔は見たことがない。「ケンカしてさ、頭冷やそうと思って、ウチ出てきたんだ」
 俺は、驚いて目を見開いた。
 そりゃ、こいつらだってケンカくらいするだろう。でも薫とケンカして、トモがこんなに傷ついた顔をするのか……俺はそれが意外だった。
 いつもと違う表情を、ぽろぽろと無防備に零すトモに、俺はたちまち興味を覚える。こいつのこと苦手だったはずなのに……そう思いながらも、とても一人にしてはおけないような危なっかしさも気になった。
 その後、結局俺たちはファミレスに場所を移して、だらだらと時間を過ごした。触れてほしくなさそうだったので、ケンカの内容には触れず、学校のことや音楽のこと、雑誌のこと、どうでもいいようなことを、ただ目的もなく話し続けた。
「そろそろ帰ってやれよ。きっと心配してるぞ、薫」
 俺がそう言うと、トモはそれに対して驚くほど素直に頷いた。そして信じられないけど、すごく小さな声だけど、確かに「ありがとな」と言ったのだ。
 その日のことがきっかけで、俺とトモの距離が、少しずつ縮まり始めた。
 どうでもいいようなことを何時間も話せるなんていうのは、気が合う証拠だ。二年生で同じクラスになってからは、気がつけば、俺たちはいつも一緒にいるようになっていた。
 そんなふうに俺の見方が変わったこともあるのかもしれないが、トモは明らかに、周囲に対する雰囲気が柔らかくなった。角がとれたというのか、以前のように笑っていても人を拒絶するような感じがしない。そしてきっと、トモをそんな風に変えたのは、薫に違いなかった。
 この頃になると、俺は薫とトモを見ても、前のように苛々することはなくなった。トモが思ったよりも薫のことを大切にしていることが、わかってきたからだったのだと思う。
 でも、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。ほんの少し刺激を与えるだけでヒビが入ってしまうガラス細工のように、二人の関係は、まだまだ脆かったのだ。


 トモは次第に、依存と言う形で薫に寄りかかるようになり、薫は前とは違う形で、そんなトモに振り回されてばかりいる。
 そんな二人を見ていて、俺は歯がゆくて仕方がない。お互いに相手に言えずに溜まっていくものが、いつかかたちを変えて爆発してしまうんじゃないかと心配だった。
 ――俺だって、一時、薫が気になってしょうがない時期があった。いつも側にいるトモに嫉妬らしきこともした。まるで、薫に関する俺のいろんな事を、トモに取って代わられたように悔しかった。
 でも、薫とトモの間にある感情は、そんなに単純なものではないと思えた。できれば目を逸らしたいような、危うくて見ていられないような――? 
 だけど、やっぱりそんな二人を放っておくことはできない。俺は彼らを見てしまう。特に、トモの薫への執着が気になって、「もう薫を解放してやれ」と言ってしまったのだが、俺は、なんてトモに残酷なことをしたんだろう……本当に、あの時のことを思いだすと、いたたまれなくなる。
 そんな二人に変化が訪れたのは――あれは、一学期の終業式の日だった。


 二人揃って学校を休んでいたので、俺は二人分のプリントや書類を届けに行った。その数日前に、薫の外泊を巡って二人がまた揉めていたから、気になっていたのだ。
 俺を出迎えた二人は、熱が出たと聞いていたわりに、元気だった。しかも、揉めていたはずなのに、そんな気まずさは微塵もなくて、俺は少々拍子抜けした。
 それどころか……二人の間の空気が、どこか今までと違っている。でも、それがなんなのか、言葉では説明できない。ただ、確実に今まで二人の間で感じたことのないものが存在している。それは、俺のあずかり知らない空気感だったので、名前をつけることもできない。嫌な感じのものではないのだが、どこか落ち着かない違和感が、ふわふわと漂っていた。
「オマエらって、なんかカンジ変わった?」
 その問いに、薫はなぜか赤くなり、トモはいつも通りの軽口を叩いた。でも、妙にこの日のトモは色っぽかった。もともと中性的な色気のあるやつだが、男の俺でもちょっと慌てるくらいに……いやいや、いくらなんでもそんなことはないだろう。 
 一瞬浮かんだ可能性を、俺はその場で打ち消した。

***

 先に飛び出した坂崎を追って、俺はマンションの外階段を駆け下りた。タイミングが悪くて、エレベーターがすぐに上がってこなかったのだ。
 駆け下りながら、俺は、薫とトモに出会ってからこれまでのことを、走馬灯のように思い起こしていた。
 小学校の時から、何かと気になって仕方がなかった薫。
 第一印象は最悪で、でも今は、薫と同じくらいに大切になったトモ。
 なあ、俺はオマエらに何をしてやれる?
 友情とか、家族の間の情とか、それ以外のもっと深い何かがオマエらの間に芽生えたら、それをなんて呼んだらいい?
 男と女なら簡単に解ける方程式を、俺は彼らにあてはめることができなかった。でも本当は気づいていた。
 二人が抗いようのない何かに囚われていることを気づいていて、見ないふりをしていた。
 ――怖かったんだと思う。
 心を削ぎ合うような二人を見ていて、これが恋なんだと認識することが怖かった。だって、人を好きになるっていうのは、もっと温かくて、初々しくて、甘酸っぱいものだろ?
 あんな風に、傷つきながら相手を求めるものじゃないだろ?
 だから、そんな恋があることを知るのが怖かった。そんな二人を見ていることが辛かった。
 でも、二人の関係に気づいた今は、もう目を背けることはできない。だって俺は、二人がどんなに悩んで苦しんでたかを知ってるんだ。
 エントランスを出たところで、俯いて歩く坂崎が、マンションの前の歩道橋を上ろうとしているところを見つけた。
「坂崎!」
 俺は走った。あいつらに何かしてやれるとすれば、それは――。


「坂崎!」
 駆け寄って、息を切らしながら俺は坂崎の腕を掴んだ。彼女は来た時のように俺から逃げることをせず、歩みを止めて、ただゆっくりと振り向いた。
 一瞬、言葉に詰まる。彼女の顔は涙で濡れていた。
「あの……」
 こんな時、何を言ってもなんにもならないような気がした。でも何か言わなくちゃと思って言葉を探していると、彼女は腕を掴んでいた俺の手をそっと外した。「まったく、お笑いよね」
 俺から目を逸らした坂崎は、地面に言葉を吐き捨てた。
「男の子に、好きな人をとられたなんて。しかもダブルでよ?」
「そんな風に言うなよ」
 彼女の言い方に引っかかったが、強く言い返すことはできなかった。
「夏原くん、知ってたの?」
 彼女は俺にきつい目を向けた。
「知ってて、あたしの話聞いてたの? いつから二人はそうだったの? 夏原くんはいつから知ってたの? ひどいよ……それなら相談なんかしなかったのに!」「……はっきり知ったのは、たった今だよ」
 怒りの矛先が俺に向かうなら、それはそれでよかった。だから俺は正直に答える。
「二人がずっとお互いのことで悩んでて……その濃さっていうのか、そういうのはずっと気になってた。でも、それがなんなのかはわからなくて」
「じゃあ、やっぱり知ってたんだ」
 違う、とは言えなかった。だけど、そうだとも言えない。ただ、たった一つ言えるのは――。
「でもな、あいつら本当にすごく悩んでたよ。真剣だった。だからトモだって、坂崎にちゃんとつき合えないって言っただろ? 今までのあいつなら、そんなこと女の子に言わなかっただろ?」
 歩道橋の上で彼女に向かい、俺は必死だった。
 すれ違う人たちが、俺たち二人を見て見ぬふりして通り過ぎて行く。なんにも知らない人から見れば、俺は振られる寸前で彼女に必死になって取りすがっている一生懸命な男に見えたに違いない。でも、そんな俺の様子も、坂崎の心には届かなかった。
「だから何? だから我慢して泣き寝入りしろって言うの?」
「泣き寝入りってなんだよ! あいつらがあんたのことをからかったみたいに言うな!」
 あまりの言い分に、俺は思わず怒鳴ってしまった。すると、坂崎の顔は意地悪く歪んだ。そんな顔は絶対に似合わないのに、彼女は眉をつり上げる。
「……バラしてやるんだから」
「だからそれはやめろって!」
「夏原くんには関係ないでしょ!」
「頼む! それだけはやめてくれ……!」
 俺は膝に手をつき、頭を下げた。
 こんなことでわかってくれるなら、頭ぐらい、いくらでも下げていい。
 俺の頭の中に、好奇心と無責任な憶測の中に放り込まれた、薫とトモの姿が浮かんだ。
 そんな時でも、トモは飄々としているような気がしたけれど、でも、薫は駄目だ――さっき見た、血の気の引いた薫の顔が頭を過ぎる。
 隠さなきゃいけないような悪いことを、二人がしているのだとは思わない。でもそれは、他人が明かしていいことじゃない。それに、やっと何かを乗り越えたに違いない二人に、周囲の心無い目は負担にしかならない。そんなこと、絶対にさせられなかった。
 俺のただ事でない様子に、坂崎は少々驚いたようだった。
「ちょっと……何よそれ。なんで夏原くんがそんなに一生懸命になるのよ」
 坂崎は訊ねたが、俺は二人に対しての自分の気持ちを簡単に説明することができなかった。だからただ、こう言うしかできなかった。
「それは、あいつらは俺の友だちだから。あんただって、友だちが困ってたら庇うだろ? それに、あれは二人の問題なんだ。俺たちがどうこう言っていいことじゃないんだよ。だから頼む……!」
 俺はもう一度、頭を下げた。
「じゃあ、この歩道橋の手すりの上を歩いてみてよ」
 信じられない坂崎の言葉に、俺は頭を上げた。彼女は俺と目を合わそうとせず、不自然な方向を向いている。
「それくらい真剣だって言うなら、考えてあげる」
 バカなこと言うなよと思ったが、俺は坂崎の声が震えているのを聞き逃さなかった。きっと、彼女だって本気でそんなバカなことを言ってるわけじゃない。すべて、行き場のない気持ちの八つ当たりだ。そうでもしないと心の置き所がないんだ。逸らし続ける彼女の目が、そのことを語っている。俺にとんでもないことを言いながら、坂崎は泣いているのだから。
 俺は黙って、歩道橋の手すりに手と足をかけた。
 本気でやろうとしたわけじゃない。でも、真似事だけでも彼女の気持ちに沿ってあげなければと思った。
 だが、身体を手すりに引き上げると、思ったよりも地上との距離がある上に、眼下には車がビュンビュン走っている。加えて、上半身をもっていかれそうな風圧に、さすがに俺は自分の行動を後悔した。
「バカっ!」
 坂崎は金切り声を上げて、俺を引きずり下ろそうとTシャツの裾を掴んだ。腰が抜けそうになっていた俺は、なんとか彼女の手を借りて手すりの下に身体を下ろし、深くため息をついた。
「あんたさ、バカはないだろ、バカは」
「バカでしょ? こんな冗談間に受けて……」
「冗談にしちゃ、タチ悪すぎだよ」
「……わかったわよ。言わない。言わなきゃいいんでしょ」
 明らかにヤケだったが、坂崎はそう言った。
「ほんとに?」
「言わないわよ」
「ほんとだな?」
「しつこいよ。そんなに言うなら、あたしのスマホ預かればいいでしょ」
 そう言って、坂崎は自分のスマートフォンを俺の手に押し付ける。その様子に、俺は彼女を信用しなかったことを申し訳なく思った。
「わかった。ごめん、信じるから……だから、そこまではいいよ」
 そう言ってスマホを差し出すが、坂崎は受け取ろうとしない。
「あたしのせいで、夏原くんが歩道橋から落ちたなんてことになったら……」
 坂崎は言葉を詰まらせた。
 そんなことになったら……その続きは、恐ろしいことだった。彼女は複雑な表情で黙り込む。自分が感情に任せて軽率に言ってしまったことに、今更ながらに怖くなったようだった。
「……そんなことになったら、トモと薫がもっと哀しむな。俺のことだけじゃない。あんたにそんなことさせたのは、自分たちなんだって言って哀しむ」
 俺が言葉を引き継ぐと、納得した顔ではないが、彼女の昂ぶった感情の波が、すうっと引いていくのを感じた。
 坂崎は、深く息をついた。
「とにかく、それは持っててくれていいから……持ってて」

 Best Frend 3に続く


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