トライアングル番外編 「Best Frend」3
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仕方なく預かってしまった坂崎のスマホの電源をオフにする。
人質をとってるみたいで嫌な気分だったが、坂崎自身がそのことを望んでいるような気もした。だから預かったのだ。
彼女は納得したわけじゃない。やり切れなさと怒りを抱え、でも、こういう形で「言わない」と約束してくれたのだ。スマホがなくたって、バラそうと思えばなんとでもできる。でも俺は、坂崎を信じようと思った。
理不尽だよなあ……某テーマパークキャラのケースに包まれたスマホをスクバの中につっこんで、俺はベッドに寝転がった。
好きになった相手が、必ずしも自分の方を向いてくれるとは限らない。むしろ、そうでない確率の方が高いのだ。思うようにいかないからと言って、相手を責めるのは間違っている。でも、そう思ってしまう気持ちだって、責められるものじゃない。別れようと言われて、はいそうですかと答えるやつはいないだろう。
坂崎の気持ちはわかる。でも、やり方を間違ってほしくないと思うのは、俺のおせっかいなのか?
坂崎がトモと薫の秘密を暴いたとして、それで誰も幸せになんかなれない。せいぜい噂話のネタを提供するくらいのものだ。坂崎だって、そんなことをした自分に傷つくに違いないのだ。
結局、誰かがどこかで我慢しなきゃなんないのか? だったら、坂崎が泣いた分、トモと薫には幸せになってほしい。
俺は、そんなあいつらを見届けたい。
夏休みの後半から、学校で夏季特別補習が予定されていた。参加は表向き自由だが、休み明けの実力テストに直結しているとあって、ほとんどの生徒が参加希望になっている。
俺はその時に、坂崎にスマホを返すことにした。そして、トモと薫はこの補習は不参加になっている。その日に、シアトルに赴任している両親のもとへ出発することになっていたからだ。八月の十七日から二週間程度、シアトルへ遊びに行くのだということは聞いていた。
でも、本当に遊びに行くだけなんだろうか。このまま帰ってこないつもりなんじゃないか……そんな心配を抱えた俺は、出発前日に二人に会いに行った。
彼らに会うのは、坂崎を止められなかったあの日以来だ。だが、どんな顔して会えばいいんだとは思わなかった。
二人の関係を、驚くほどすんなりと俺は受け入れている。違和感も、嫌悪感も何もない。あるのは二人への心配だけだった。
部屋の中は、旅行の準備でごった返していた。まだ何も用意ができていないらしい。
二人は仲良く、あれこれと相談しながら手を動かしていて、俺はその微笑ましい様子にホッとした。少なくとも、逃避行というような切羽詰った感じはない。でも俺は、確認せずにいられなかった。
「二人とも、帰ってくるよな」
トモも薫も、驚いた顔で俺を見た。
「帰ってくるよ。親に顔見せにいくだけ」
なあ? とトモが薫を見て、薫も頷いている。
少々無理やりながらも、坂崎が「言わない」と約束してくれたことを、俺は二人に話そうと思ったが、でもやめた。
わざわざ先回りしなくても、二人が帰ってくると言うならそれでいい。俺は黙って後ろで守っていれば、それでいい。
『もっとディフェンスを信頼したら?』
ふと、中学の時、トモに言われたことを思い出した。あの時はものすごく腹が立って、トモが信頼なんていう言葉を使ったことに憤慨した。
ああ、そんなこともあったな――。
思い出しながら、でも俺は追い詰められた顔をしていたんだろう。どうした? と言いたげに、二人が俺の顔を見ている。
「忘れるな」
俺は最終ラインだ。
「何があっても、俺は最後までおまえらの味方だから」
だから戻ってこい。ここへ。この場所へ。俺の前に。
俺がおまえたちを守るから。
夏季特別補習は午前中の三時間で終わる。
補習が終わったら坂崎を呼び出して携スマホを返す……つもりなのだが、できれば坂崎一人の時に渡したい。トモと薫の話も出るだろうし、俺が坂崎にスマホを渡すなんて場面を誰かに見られたら、それこそ意味深な想像をされてしまう。俺は坂崎の後ろの席に陣取り、彼女にそっと話しかけるチャンスを待った。
俺が後ろにいることに気づいても、坂崎は無反応だった。まるで、その辺の椅子とか机みたいに俺のことを無視している。坂崎の隣りには高木容子がいて、二人が話しているのが聞こえてきた。
「いったい、スマホどうしたのよ」
「ちょっと調子悪くて、メンテ出してるんだ」
坂崎はそんな風にごまかしている。一方の高木は、連絡とれなくて不便じゃん、と言いながら、スポンジみたいなやつでせっせと爪を磨いていた。
おとなしい雰囲気の坂崎に対して、高木はいわゆるギャル系だ。校則ぎりぎりでメイクして、髪も制服もいろいろとアレンジしている。二人が並んでいると違和感はあるが、性格は合っているらしい。
そういえば、高木もトモのカノジョだった時があった。高木にすれば、自分を振った男と親友がつき合っていたことになるのに、そういうことは気にならないものなんだろうか。
俺は、派手な高木の横顔を見ながら考えた。
高木はどう思うんだろうな。トモが薫のことを好きなんだって聞いたら――。
つらつらと考えながら、俺はノートの端っこを少し破って、小さなメモを作った。
『スマホ返すから、授業終わったら屋上へ来て』
そこまで書いて、坂崎の隣りにいる高木を見る。そして付け足した。
『一人で来てよ』
まるでラブレターみたいなその一文に、俺は鼻白む。
これって、俺が生まれて初めて女の子に渡す手紙じゃん……なんだかな―と思いながら、メモを小さく畳んだ。釈然としないけれど、これもあいつらのためだ。
補習授業が始まり、プリントが配られた。
前の席の者が、後ろへとプリントを送って行く。俺は坂崎が振り向いてプリントを手渡す時に、そっと彼女の手のひらにメモを載せた。坂崎は無表情なままでそれを見て、手のひらに握り込み――そして、何事もなかったようにまた前を向いた。
三時間の補習が終わり、皆が帰って行く中を逆行して、俺は屋上へと向かった。
ここは俺と薫のお気に入りの場所で、ヒマがあるとここでダラダラしていた。最近はトモと二人で来ることも多くなっているが。
気温が高くなってからはコンクリートの照り返しがきついこともあって、休み時間にここを訪れる生徒はほとんどいない。今日ももちろん、夏休み中ということもあって、そこには誰もいなかった。
「あつ……」
日陰に引っ込みたかったが、坂崎を待っていなければならない。メモは確かに渡ったはずだから、坂崎の性格からして、きっと来てくれるはずだ。
空を見上げる。
一筋ひこうき雲が流れ、あいつら今、どの辺りかなあなんて手すりにもたれてぼんやり考えていたら、足音も立てずに坂崎が現れた。
「ちょ……びっくりするじゃんかよ」
驚いた俺に何も言わず、仏頂面のままで坂崎は立っている。俺は彼女のスマホを差し出した。
「これ……返す。あんたが言わないでいてくれるって俺、わかったから。で、この前はごめん」
彼女の言葉を信じなかったことを謝りたかったのだ。自分のショックや哀しみを置いて、それが例え売り言葉に買い言葉でも、彼女は自分の行き場のない憤りを押し留めてくれたのだから。
受け取ったスマホの電源を入れて、坂崎はぽつんと呟いた。
「甘いよ。夏原くん」
「え?」
「あたしが今この場で、LINEグループに送信するかもなんて、考えもしないの?」
俺を見ない坂崎――俺は迷うことなく言い切った。
「あんたはそんなことしないよ。好きになったやつを苦しめるなんてこと、あんたにはできないはずだ」
「どうだか……」
彼女は尚も、そんなことを言った。
「二人とも、補習に出てなかったね。あたし、二人にどんな顔して会えばいいのかわからなくて緊張してたんだけど……気がぬけちゃった」
坂崎は陽射しを避けるように、手を顔にかざした。だから、その表情は隠れてしまってわからない。諦め顔なのか、それともやっぱり泣きそうなのか。
「今日から、シアトルの親んとこ行くことになってたんだよ。今頃、飛行機の中だな」
「二人だけで?」
「他に誰が一緒に行くんだよ」
坂崎の言った意味がわからなくて、俺はぞんざいに返事をした。だが、そこから急に坂崎の口調が変わった。
「あの二人……やっぱりそうなの? 二人でずっと一緒にいて……誰もいない家の中で、ずっと二人だけで」
「……何が言いたいんだよ」
彼女が言おうとしていることはわかる。でも俺は、二人に対する彼女の嫌悪感を……失恋とは別の次元にある嫌悪感を察知して素直に返答できず、突き放したような口調になった。
「あの時、抱き合ってたわよね」
「そうだな」
ボルテージが上がる坂崎に対し、俺はだんだん冷めていく。これが、あの二人に対する周囲の反応なのだと思うと、心が重たくなった。
「夏原くん、嫌じゃないの? 男同士でそんなことって……気持ち悪いと思わないの?」
「思わないね」
冷える感情に対し、俺の思いははっきりしていた。冷えれば冷えるほど、それは確かな実感となった。
「だって、お互いに好きなんだから」
終業式の日に、二人を訪ねた時のことを思い出す。二人の間に漂っていた、俺の知らない、ふわふわとした空気。だけどそれは嫌なものじゃなかった。トモだって、いつにも増して色っぽくてきれいだった。照れて赤くなっていた薫は可愛かった。
それだけだ。坂崎の言うような感覚は感じない。それよりも、あんなに傷つけ合ってお互いを求めていたあいつらが抱き合ったって、そんなの当たり前じゃないかと思えた。
「おかしいよ、夏原くん……」
「おかしくなんかない!」
俺は駄々っ子のように言い返す。
「自分が他の男とどうこういうことは考えられないけど、でもそれは嫌悪感じゃないよ。わかってもらえないとは思うけど」
小学生の時、薫が気になって、構いたくてしかたなかった。中学生になっても、薫が心配な気持ちは変わらなかった。だけど、薫に触れたいとか触れられたいとか、そういう風には思わなかった。
だから俺の気持ちは、トモや薫のそれとは違うのかもしれないけど、でもあれはやっぱり恋だったんじゃないかと思うから――だから俺は否定しない。同性に恋する気持ちを否定しない。
ここで、俺のハツコイは薫だったんだよ、なんて言うと、坂崎は卒倒しかねない。だからそれ以上は何も言わないけれど。
「話になんない」
坂崎があきれたように踵を返した時だった。
「ちょっと! 今の話なに?」
驚いた顔の高木容子が、屋上から階段へ通ずるドアを塞ぐようにして立っていた。
「……ヨーコ」
俺だけでなく、坂崎も驚いている。聞かれた? どこから聞いてた? どこまで聞いてた? まさか、学校にまだ生徒が残ってるなんて思いもしなかった。ドアを確認しなかった自分の迂闊さも呪って、俺は心の中で頭をかきむしった。
Best Frend4に続く