立ち直るってなんだろう……。

最近、ちょくちょく夫が娘のことを話題にする。
と、言っても主には幼かったころやった粗相の話や、中高生の時に一緒に遊びに行ったこと、ゲームをしたことなどをほんの二言三言だけれど。

なんだろう。彼の中ではある程度消化されてきたのかな。

今まで、基本的に娘の事にはお互い触れないように、話題に出さないようにしてきたように思う。夫は意識していたかはわからないけれど、私が耐えられなかったので。

夫であっても人それぞれなので、彼が娘のことをどう消化したのかはわからない。していないのかもしれない。
こういうのって傷がでかすぎて、身近な人間とはかえって共有しづらいものだと、私は思った。

本音を言えば、もっと苦しんで泣き崩れている姿を見たかったという、おぞましくもエゴイスティックな気持ちもないではなかったが、夫は私とは別の人間なのだ。同じように悲しめというのは違うだろう。

そういう私は、どうなんだろう。
頻度は減ってきたが、未だに喘息の発作おこすくらいに泣いてしまうことがある。米津玄師の「Lemon」やamazarashiの「夏を待っていました」が流れてくると一気にフラッシュバックで呼吸困難になる。こうしていつまでも嘆き悲しんでいることは正しいのか、おかしいのかわからない。

しかし、これでうまく思考ができなくなってきたり、仕事が進められなくなった言い訳にあの子の死を持ち出したりしたくはないので、せめて対外的にはしっかり見えるように生きて行かねば。とは思う。

最近見た動画で、いじめられた子の心を説明するのに、「この紙に向かって酷いことを言ってみて」と、先生が一枚の紙を広げてみせ、子どもたちが心無いセリフを投げかけるたびに先生が紙をくしゃっと握りつぶしていく。
「じゃあ、この紙にあやまってみて」といい、生徒が「ごめんなさい」と言うと先生は握りつぶした紙を広げて「これでこの紙は元通りですか?」と問いかけるものだ。

こんな風に自死遺族の心も一気に握りつぶされた紙のように、もう二度とつるんとした紙にはもどれないんだろうな……と思うと同時に、心を病んで亡くなった家族もとっくにこの握りつぶされた紙状態で、無理に伸ばそう、広げようとして破れちゃったんだろうな……と考えて、またしんどくなった。


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