うちの山田太郎議員が申し訳ありませんでした
1年以上ぶりの投稿になりますが、こんな記事を書く日は来ないでほしかった……。
「うちの」山田太郎議員ってどういうこと?、となるかもしれませんが、選挙期間にネット上で応援し、実際に一票入れた身ですので、その関わりに責任を持つべく「うちの」としました。
現時点、不倫報道があり本人が事実と認め政務官を辞任、以上のことは分かっていない状態で書いております。
私は元来、著名人の不倫報道には興味がなく、どうでもいいと考えておりました。
勿論不倫は悪いことではあるが、言ってしまえば他人様の家庭内の話であり、他にもっと報道すべきことがあるだろうと。
しかしながら、この件を同列に扱い、どうでもいいとだんまりを決め込むのは、駄目だ。
応援し、支持し、投票した者として、なかったことにしてはいけない。
詫びも表明しなければ、フェアではない。
この度は私が一票を投じた議員が誠に申し訳ありませんでした。
さて、この件、何が悪いってまあ全部悪いのだが、整理してみたいと思う。
まず、不倫なんぞしてお前真面目に政治やっとんのか?、と言われたときにまあ反論できないであろうというのが不味い。
私たちオタクは、「自分たちの自由なオタクライフを守るべく活躍してくれそう」という期待から山田議員を応援しているのである。
それに対し、「期待に応えて真面目に政治をやっています(なお不倫はする)」では、まあこれは納得できんでしょう、さすがに。
支持者に不信を持たせてしまったというのがまず悪い。
続いて、これは言い方に気を付けたいのだが、露見したらこうなっちゃうだろということをしてしまい、露見してしまったのが不味い。
バレなきゃいというわけではない。しかし、それだけのリスクのある行為をしてバレた時点で、「そもそもやらないという倫理観や判断力」「やるからには絶対に露見しないようにする情報管理能力」のいずれも欠けているという事実を明らかにしてしまった。
政治家において、能力に疑念をもたれるというのはかなりのマイナスである。
最後に、取材の応じ方が不味い。
認める所はきちんと認め、誤認についてはきっぱりと主張する。
これはいいのだが、時間だからと切り上げず、質問にはとことん答えるべきだったと思う。質問に答えずに去るというのは、どうしても逃げているという印象を持たれる。
逃げる=後ろめたいことがある、と思われるのは悪手だろう。
ということで大変しょんぼりな記事になってしまった。
今回のように、応援していた議員がやらかしてしまった有権者の方々は古今東西与野党問わずあちこちにいるのだろうけれど、一体どんな気持ちでその後関わったのだろうなぁと考える。
いわゆる政治用語としての「禊」というのがあるけれど、何かしらの問題を起こした後にでも当選すれば許された、落選すれば許されなかった、という単純なものでいいのだろうか。
「人」を表立って応援するというのは中々難しいものがあるのだなぁという気付きを得た今回の問題でした。
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